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第51話:見えざる慧眼、あるいは完璧なる双星

静寂に包まれた領主執務室。

陽の光を遮断した薄暗い部屋の中で、羊皮紙に羽ペンが走る乾いた音だけが響いていた。

「アレン様。第三区画の魔力炉の出力調整、承認をお願いしますわ」

「ああ。……魔力回路の第4バイパスに0.2%のロスがあるな。修正してサインした」

クロエが差し出した書類を、アレンは包帯で覆われた盲目のままで受け取り、一切の躊躇いなく完璧な位置にサインを書き入れた。

視力を失って数日。アレンの執務速度は落ちるどころか、以前の倍以上に跳ね上がっていた。視覚という不確定なノイズを遮断したことで、彼の『魔力探知(ソナー)』は街中のインフラと完全に同調し、紙に書かれたインクの僅かな魔力や凹凸すらも、鮮明なデータとして脳内で処理できるようになっていたのだ。

「……信じられませんわ。私が徹夜で組み上げた最適化ロジックのミスを、一瞬で指摘するなんて」

クロエが淹れたての紅茶をデスクに置きながら、わざとらしくため息をつく。

「目が見えていた頃より、ずっと化け物じみていますわね」

「最高の褒め言葉として受け取っておこう。お前の淹れる紅茶の温度も、相変わらず完璧な72度だ」

アレンがカップに口をつけたその時、執務室の扉がノックされ、警備兵が緊張した面持ちで入室してきた。

「アレン様。隣接するガルドス領の特使、ギュンター子爵がお見えです。……急な資源取引の交渉を行いたいと」

アレンとクロエは、微かに口角を上げた。

王都からの刺客が敗れ、アレンが視力を失ったという噂は、すでに近隣の領主たちにも広まっている。このタイミングでの急な交渉――それが何を意味するかなど、完璧なロジックを持つ二人には計算するまでもなかった。

「通せ」

数分後、執務室に現れたギュンター子爵は、見るからに高価な装飾品を身に纏い、包帯姿のアレンを見るなり下卑た笑みを浮かべた。

「いやはや、若き領主殿。視力を失われたという痛ましい噂を聞き、居ても立っても居られず馳せ参じましたぞ。つきましては、我がガルドス領から『高品質な魔力石』を特別価格で提供させていただきたい」

子爵は、分厚い契約書をアレンの机に叩きつけるように置いた。

「相場の三倍にはなりますが、目の見えぬ領主殿では、粗悪品を掴まされる危険もおありでしょう? 私が特別に――」

「心拍数120。発汗量の異常な増加。そして、袖口に隠し持った幻覚作用のある微細な毒蛾の鱗粉(ノイズ)」

アレンの冷たい声が、子爵の言葉を遮った。

「な……なんの話ですかな?」

「お前の生理的なデータ(嘘)を読み上げているだけだ、子爵」

アレンは立ち上がり、盲目の顔を正確に子爵へと向けた。

「俺には今、お前の瞳の泳ぐ音も、その粗悪な魔力石が内包する不純物の割合も、すべて手に取るように『視えて』いる。……相場の三倍だと? この石炭のカス以下のゴミに?」

「ば、馬鹿な! 目が見えぬくせにハッタリを……!」

「クロエ」

アレンの短い指示(プロンプト)に、クロエが冷酷な笑みを浮かべて一歩前に出た。

「ガルドス領の先月の採掘量は過去最低。さらに王都からの融資が打ち切られ、破産寸前であるというデータは、大商会のネットワークですでに裏付けが取れておりますわ。……弱みにつけ込み、目が見えないと侮って詐欺を働こうとした罪、高くつきますわよ?」

「ひっ……!」

子爵が後ずさる。だが、アレンの杖から放たれた黄金の魔力が、瞬時に子爵の首元に冷たい刃のように突きつけられた。

「視界(光)を捨てた俺のシステムに、誤魔化しは一切通用しない」

アレンは冷酷な暴君の覇気を放ちながら、契約書を魔力で燃やし尽くした。

「二度と俺の街の敷居を跨ぐな。次にその不快な心音を俺のソナーに検知させたら……その無駄に動く心臓ごと、物理的に停止(デリート)してやる」

「ひぃぃぃぃッ!」

腰を抜かした子爵は、這いつくばるようにして執務室から逃げ出していった。

嵐が去った執務室で、アレンは再び静かに玉座へと腰を下ろす。

「……無駄な時間を取らせたな」

「いいえ。あの程度のバグ(小物)、良い息抜きになりましたわ」

クロエは少しぬるくなったアレンの紅茶を回収し、新しく熱いものを淹れ直す。

「それにしても……本当に容赦がありませんわね、私の領主様は」

「お前が俺を、暗闇の中で無敵にしてくれたからだ。クロエ」

アレンは差し出されたティーカップを受け取ると、ふと、その手がクロエの指先に触れた。

ひどく冷たくて、完璧な彼女の指。

だが、その奥にある確かな温もりと、わずかに跳ねた心臓の音を、アレンのソナーはしっかりと捉えていた。

「少し、砂糖が少ないな」

「……文句があるなら、ご自分で淹れることですわ」

憎まれ口を叩きながらも、ほんのりと赤らんだ彼女の頬の熱を感知して、アレンは声を立てずに笑った。

リリアが遺した「人間らしいノイズ」と、クロエがもたらした「完璧なロジック」。

盲目の絶対君主と氷の補佐官は、真の意味で無敵の双星として、この冷酷な世界に彼らだけの温かな秩序を築き始めていた。

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