第50話:盲目の玉座、あるいは無謬の絶対領域
バルツァー特別自治区、中央広場。
青空の下、集まった数千人の領民たちは、息を呑んでバルコニーを見上げていた。
「領主様が、お見えになります」
クロエの凛とした声が響き、重厚な扉が開かれる。
そこに姿を現したアレン・バルツァーの姿に、広場は水を打ったような静寂に包まれた。
彼の両目は、分厚い純白の包帯で覆われていた。
数日前、広場で突如として錯乱し、領民の少女を突き飛ばしてしまった若き領主。その彼が、痛々しい姿で再び公の場に現れたのだ。
(……やはり、あの狂気の発作で自傷したのか)
(哀れなものだ。視力を失った領主など、ただの飾り物ではないか)
領民たちが不安と動揺にざわめく中、群衆の影に潜んでいた『漆黒の外套の男』が、獰猛な笑みを浮かべた。
(馬鹿め。自ら光を捨てるとはな)
男は、王都の貴族院が送り込んだ特級暗殺者だった。
ハッカー部隊が壊滅した今、残された手段は物理的な暗殺のみ。視力を失い、クロエの腕に支えられて歩くアレンなど、彼にとっては止まった的も同然だった。
男は音も殺気も完全に消し去る隠密魔法を展開し、群衆の死角から一気に跳躍した。
手にした毒刃が、バルコニーに立つアレンの首筋へと音もなく迫る。
領民たちが男の存在に気づき、悲鳴を上げるよりも速い、神速の一撃。
――しかし。
アレンの隣に立つクロエは、迫り来る凶刃を見ても、瞬き一つしなかった。
「……五月蝿いな」
アレンの口から、ひどく冷たく、静かな声が漏れた。
パチン、と。
盲目の領主が指を鳴らした瞬間。
ドゴォォォォォォンッ!!
空中で暗殺者の身体が、見えない『巨大な圧力』に叩き落とされ、広場の石畳にめり込んだ。
「がはっ……!? な、なに、が……っ!?」
全身の骨が砕ける激痛に、男が血を吐きながら呻く。
アレンは包帯で覆われた顔を、正確に暗殺者の見下ろす角度へと向けた。
「心拍数140。魔力回路の異常励起。そして靴底に仕込んだ毒物の不快な揮発臭。……視覚に頼っていた頃より、お前の薄汚い殺意が手に取るように『視える』ぞ、王都のネズミ」
「ば、ばかな……俺の隠密魔法は、特級……見えない、はず……」
「俺の領域に、視界などという不確かなデータは不要だ」
アレンが杖の先で軽くバルコニーの床を叩くと、自治区の地下に張り巡らされたインフラの魔力線が黄金色に発光し、暗殺者の四肢を鎖のように縛り上げた。
圧倒的。あまりにも次元の違う制圧力。
その神業に、広場を埋め尽くす数千の領民たちは言葉を失い、ただ震えることしかできなかった。
「領民たちよ、不安にさせたな」
アレンは広場に向かって、よく通る声で語りかけた。
「俺の目は、この街に仕掛けられた『視覚汚染ウイルス』を物理的に遮断するために、俺自身の判断で焼き捨てた。……この街と、お前たちの平穏な日常を守るための、極めて合理的な代償だ」
その言葉に、群衆の中からハッと息を呑む音が連鎖した。
彼らはようやく理解したのだ。先日アレンが広場で狂乱したのは、自分たちを守るために一人で最悪の呪いと戦っていたからだということを。そして、その呪いを断ち切るために、自らの光を永遠に手放したのだということを。
「あ、アレン様……!」
「俺たちのために、ご自分の目を……っ」
数日前の不信感は完全に消え去り、領民たちの目に熱い涙が浮かび上がる。
彼らは次々とその場に膝をつき、盲目の玉座に君臨する若き領主へ、これまで以上の深く、絶対的な忠誠を誓うように頭を垂れた。
「……ふふっ。素晴らしい費用対効果ですわ、アレン様。視力という機能を手放しただけで、王都の刺客を無力化し、領民の忠誠心を限界突破させるなんて」
隣に立つクロエが、アレンの耳元で満足げに囁いた。
「計算通りだ、クロエ。……俺の目となり、共にこの絶対領域を統治する覚悟はできているな?」
「愚問ですわ。私の計算式には、最初からあなたと添い遂げる未来しか入力されていませんから」
黄金の魔力光に包まれたバルコニーで、盲目の領主と氷の補佐官は不敵に微笑み合った。
かつてのリリアが愛した『おっちょこちょいな温かさ』を土台にし、圧倒的な『冷徹なるロジック』で武装した、誰も手出しできない最強の自治区。
絶望を乗り越えた二人の反撃の物語が、ここから新たな幕を開けるのだった。




