第49話:盲目の暴君、あるいは深淵の解析
視界は、完全な暗闇だった。
だが、アレンの足取りに一切の迷いはなかった。
冷たい石造りの階段を、杖もつかずに正確に降りていく。隣を歩くクロエが、包帯で両目を覆われたアレンの袖を心配そうに握っていたが、アレンは彼女の震える指先をそっと撫でて安心させた。
アレンの脳内には今、かつてないほど鮮明で『完璧な世界』が広がっていた。
視覚という不確定なノイズを物理的に排除したことで、アレンの魔力探知は異常なまでの進化を遂げていた。
街中を巡るインフラの脈動、領民たちの温かな魔力の揺らぎ、そして隣を歩くクロエの心臓の鼓動と、彼女から放たれる純白の魔力の流れ。それらすべてが、一切の嘘偽りない『純粋なデータ』としてアレンの脳に直接入力されていた。
地下特別隔離牢。
重い鉄扉を開けた瞬間、冷たく湿った空気とともに、マリアの悍ましい魔力の残滓が肌を撫でた。
「……あら? あらあらあら……!」
鉄格子の奥で鎖に繋がれたマリアが、目を覆う血のにじんだ包帯を見て、腹の底から嘲笑を漏らした。
「あははははっ! お兄様、まさか自分の目を潰したの!? 私のウイルスから逃れるために、自ら光を手放すなんて……あははっ、なんて惨めで滑稽なの!」
「マリア」
アレンの静かな、だが絶対的な冷気を含んだ声が地下牢に響いた。その声に、マリアの笑い声がピタリと止まる。
「お前の仕込んだウイルスは、俺の視神経という『カメラ』を乗っ取るだけの、実につまらないコードだった。だから、カメラごと物理的に破壊した。たったそれだけのことだ」
「強がらないでよ! あなたはもう一生、美しい景色も、愛する人の顔も見られない! 永遠の暗闇の中で怯えて暮らすのよ!」
「暗闇? ……笑わせるな」
アレンは鉄格子にスッと手を伸ばし、魔力を流し込んだ。
ピィィィンッ! と、黄金の魔力が地下牢全体を一瞬にして制圧する。
「お前こそ、何も見えていないようだな。俺には今、お前の魂の奥底にこびりついた『腐臭』まで、痛いほど正確に視えているぞ」
「な、にを……」
マリアが息を呑む。
アレンの異常なまでに研ぎ澄まされた魔力探知は、マリアのウイルスの発信源を逆探知するだけでなく、彼女の『精神の深淵』までをも完全に丸裸にしていた。
「お前の組んだウイルス『リバース・リリア』の深層コードを解析した。実に奇妙な構造だったよ。あれは、俺を絶望させるための攻撃プログラムじゃない。……『自分だけを見てほしい』という、ひどく幼稚で、哀れな承認欲求の塊だ」
「ちが……違うわ! 私はお兄様に絶望を――」
「お前は、空っぽなんだよ、マリア」
アレンの冷酷なロジックが、マリアの心を刃のように解体していく。
「権力が欲しかったわけでも、リリアが憎かったわけでもない。お前には『自分』という確固たる自我がない。だから、俺というシステムに依存し、俺のトラウマを刺激することでしか、自分の存在価値を見出せなかった。……ただの、哀れな寄生虫だ」
「や、やめろ……やめなさいッ!! 私は、私はお兄様の特別なの! 私がお兄様を一番理解して――」
「クロエ」
「はい、アレン様」
アレンの呼びかけに、クロエが冷徹な声で応じる。
「この寄生虫の魔力波形を、自治区の全システム、及び俺の生体魔力から完全に『遮断』しろ。今後、こいつの魔力、声、存在のすべてを、我が領地は『存在しないエラー』として処理する」
「承知いたしましたわ。……最高権限にて、対象の完全隔離を実行します」
クロエがコンソールを操作した瞬間、マリアの体を覆っていた微かな魔力の繋がりが、プツンッ、と音を立ててすべて切断された。
それは、死よりも残酷な罰。
アレンの認知からも、世界のシステムからも、マリアという存在が完全に『無視』される絶対の孤独。
「あ……あぁ……? 嘘、いや……嫌ぁぁぁぁっ!!」
マリアは鉄格子にすがりつき、狂ったように絶叫した。
「お兄様! 見て、私を見て! 怒って、憎んで、私を罰してよぉっ! お兄様ぁぁっ!!」
どれほど叫ぼうと、どれほど涙を流そうと。
アレンはもう、マリアの方に顔を向けることすらなく、ただ静かに踵を返した。
「行こう、クロエ。ここにはもう、何もない(ゼロだ)」
「ええ、アレン様。戻って、死ぬほど甘い紅茶を淹れ直しますわ」
完璧なロジックを取り戻した盲目の暴君と、彼の手を引く氷の補佐官。
二人の足音が階段を上って消えていく中、地下牢には、誰にも届かないマリアの絶望の悲鳴だけが、永遠に響き続けていた。




