第47話:狂気のパレード、あるいは優しき断罪
「……落ち着け。これはウイルスによる視覚と聴覚のハッキングだ。論理的に考えろ。街の住人がリリアになるはずがない。目の前にいるのは、ただの領民だ」
アレンは執務室の壁に手をつき、荒い息を吐きながら必死に自分に言い聞かせていた。
目を閉じれば、完璧なインフラの稼働データが脳内に浮かぶ。街は平和だ。王都からの刺客は消え、住民たちは日常を取り戻している。自分の「認識」だけが狂っているのだと、理性では完全に理解していた。
「アレン様、顔色が最悪ですわ……。本日の視察は中止に――」
『アレン様、どうして……私を見捨てるの……?』
心配して声をかけてくるクロエの姿は、アレンの目には「血の涙を流して恨みがましく見つめてくるリリア」に変換されていた。
アレンは奥歯を強く噛み締め、ギリッと血の味がするほど拳を握る。
「……いや、行く。俺は領主だ。トップが引きこもれば、街のシステム(不安)に直結する。理屈が分かっているなら……『見間違い』として処理すればいいだけだ」
アレンはクロエの制止を振り切り、震える足で街の視察へと向かった。
それが、マリアの仕掛けた『地獄』の本当の恐ろしさを味わう引き金になるとも知らずに。
* * *
澄み切った青空の下、大通りは活気に満ちていた。
王都からのサイバーテロをアレンたちが未然に防いだという噂はすでに広まっており、領民たちは若き領主への感謝と敬意に胸を膨らませていた。
「あっ、アレン領主様だ!」
「領主様、昨日は街を守ってくださって本当にありがとうございました!」
住民たちが笑顔で駆け寄ってくる。
しかし、アレンの視界に入力されたその光景は、身の毛のよだつ『狂気のパレード』だった。
肉屋の屈強な主人が、花屋の老婆が、無邪気に笑う子供たちが。
アレンに近づいた瞬間、すべて「胸に短剣を突き立てられ、血まみれになったリリアの姿」へと変貌するのだ。
『アレン様……痛いよ、痛いよぉ……っ!』
『あなたの完璧なロジックのせいで、私は殺されたのに……!』
『どうして私を見殺しにして、自分だけ笑っているの……? 人殺し……っ!』
領民たちが口々に叫ぶ「ありがとう」という温かい感謝の言葉は、ウイルスによってすべて「リリアの怨嗟と呪詛の悲鳴」に翻訳されてアレンの鼓膜を激しく叩き打つ。
「ちが、違う……俺は……っ」
アレンは頭を抱え、後ずさった。
理性では「彼らは領民だ」と分かっている。だが、視界を埋め尽くす数十人の血まみれのリリアが、這いずりながら自分を取り囲み、恨み言を叫びながら手を伸ばしてくるのだ。人間の精神が耐えられる光景ではなかった。
「領主様? どうされたのですか……?」
『どうして逃げるの……? 私の血を見てよ……っ!』
一人の幼い少女が、心配そうにアレンの服の袖を引いた。
だが、アレンの目には、それが「リリアの亡骸が自分の腕を掴み、血の海へ引きずり込もうとしている」ようにしか見えなかった。
「やめろッ!! 俺に、触るなァァッ!!」
ドンッ!!
恐怖とパニックに支配されたアレンは、反射的に少女を強く突き飛ばしてしまった。
「きゃあっ……!」
少女が石畳に転び、膝をすりむいて泣き出す。
その瞬間、大通りを包んでいた温かな空気が、水を打ったように凍りついた。
「りょ、領主様……?」
「どうしてあんな小さな子を……」
領民たちが、怯えた目でアレンを見る。
あれほどアレンを慕っていた彼らの顔に、明確な「不信感」と「恐怖」が浮かんでいた。せっかく収穫祭で取り戻した『領主と領民の温かな絆』が、音を立てて崩れ去っていく。
「あ……違う、俺は……」
アレンは自分の震える両手を見つめ、絶望に顔を歪めた。
『――あははははっ! 傑作ね、お兄様!』
ふいに、脳の聴覚神経に直接、マリアの悍ましくも甘い囁きが響いた。
地下牢にいるはずの彼女が、ウイルスを通じてアレンの心に直接語りかけてきたのだ。
『論理で分かっていても、感情(恐怖)は抑えきれないでしょう? 領民たちはね、今お兄様を「頭のおかしくなった恐ろしい暴君」を見る目で見ているわよ』
「黙れ……っ、マリア……!」
『お兄様はもう、誰の顔も見られない。誰の言葉も信じられない。みんなを傷つけるだけ。……ねえ、もうインフラを維持する理由なんてないでしょう?』
マリアの声が、毒蛇のようにアレンの心臓に巻き付く。
『街のシステムを落として、自室に引きこもってしまえばいいのよ。……それか、いっそ死んでしまえば、あの女の幻影から解放されるわよ?』
「う、あぁぁぁぁっ……!!」
狂気の囁きと、周囲を取り囲む血まみれのリリアの幻影。そして、現実の領民たちが向ける冷たい不信の目。
逃げ場のない認知の密室に閉じ込められたアレンは、ついに膝から崩れ落ち、頭を抱えて路上で絶叫した。
完璧な領主は、ついにその精神を根元からへし折られてしまったのだ。




