第43話:不可視の侵略者、あるいは優しさを狙うトロイの木馬
王都の地下深く、冷たい魔力光に照らされた極秘施設。
無数に並ぶ黒水晶のモニター群を前に、豪奢なローブを纏った魔導技師たちが嘲笑を浮かべていた。
「ビンゴだ。バルツァー自治区の地下牢から、マリア様の残存コード(バックドア)を受信したぞ」
「辺境の成り上がり者が、随分と小綺麗なインフラを構築しているようだが……所詮は田舎者の箱庭だ。王都の『深淵』の恐ろしさを教えてやろう」
リーダー格の男が、歪んだ笑みとともに巨大な魔力制御盤へ手を触れる。
「奴らのシステムは強固だが、たった一つだけ『致命的な脆弱性』がある。……昨夜、わざわざ自分たちから開け放った『収穫祭の娯楽用ネットワーク』だ。あんな無駄な余白を残している時点で、三流のロジックよ」
「では、予定通り『認知汚染ウイルス』を流し込みますか?」
「ああ。あの街の領民共の脳を、直接焼き切ってやれ」
男の指先から放たれたドス黒い魔力が、光の回線を通じて、遥か遠くの辺境へと牙を剥いた。
* * *
「――アレン様! 第3、第4居住区から異常な魔力波形を検知! これは……っ!」
執務室でコンソールを監視していたクロエが、弾かれたように立ち上がった。
彼女の片眼鏡に、凄まじい勢いでエラーの赤い警告が流れていく。
「何が起きた! 防壁は抜かれたのか!?」
アレンが駆け寄るが、クロエは青ざめた顔で首を横に振った。
「違います! インフラの防壁は無傷です。攻撃の対象はシステムではなく……『領民たちの精神(脳)』そのものです!」
アレンが窓を開け放つと、眼下に広がる街の光景が一変していた。
昨日まで温かな黄金色に輝いていた街灯や祭りの提灯が、すべて禍々しい赤紫色の光に変色している。
そして、その光を浴びた領民たちが、次々と頭を抱えて石畳に倒れ込んでいた。
「あぁぁっ……! 頭が、割れる……っ!」
「助けて、領主様……痛い、痛いよぉっ!」
悲鳴と絶叫が、美しかった街を地獄絵図へと変えていく。
「なっ……インフラの光を媒介にした、精神干渉魔法だと!?」
「最悪のトロイの木馬ですわ……! 昨夜展開した『星灯りの収穫祭』のネットワークは、領民たちの感情と直接リンクしています。敵はそこを逆手に取り、インフラを通じて領民の魔力回路に直接『絶望』を流し込んでいるんです!」
クロエの指が、信じられない速度でコンソールの上を舞う。しかし、赤紫色のノイズは全く消える気配がない。
「アレン様、このままではあと十分で領民たちの精神が完全に崩壊します! 直ちにインフラの全電源を物理的に切断し、街を放棄するしか――」
「駄目だ! 今この極寒の中でインフラを落とせば、病気の者や赤ん坊は凍え死ぬ! それに、この光はリリアが最後に遺してくれた……っ!」
アレンは強く歯を食い縛った。
自分が「人間の温かさ」を取り戻した直後に、その一番脆い部分(優しさ)を的確に狙い撃ちにしてくる悪意。
マリアの怨念と、王都の腐敗した貴族たちの執念が、かつてない規模でバルツァーを飲み込もうとしている。
「クロエ! インフラは絶対に落とさない。俺が直接、魔力の逆流を仕掛けてウイルスの発信源を焼き切る!」
「正気ですか!? 相手は王都の国家級ハッカーの集団ですわ! アレン様一人の演算能力で挑めば、あなたの脳が負荷に耐えきれず廃人になります!」
「やらなきゃ、皆死ぬんだよ!!」
アレンはクロエの制止を振り切り、コンソールの中心――メインフレームへ素手を突き入れた。
バチィィッ!! と凄まじい紫電が弾け、アレンの全身の血管が異様に隆起する。
「ぐっ……ぁあああああっ!!」
脳髄に直接、数万の針を打ち込まれるような激痛。
王都のハッカーたちが送り込んでくる膨大な悪意のデータ量が、アレンの思考領域を情赦なく蹂躙し始める。
完璧なはずのロジックが、圧倒的な暴力の前にメリメリと音を立てて崩れかけていた。
「アレン様ッ!!」
クロエが叫ぶ。
このままでは、アレンの心が完全に壊れてしまう。
かつて「感情など無駄だ」と切り捨てていた氷の補佐官は、震える手を強く握り締め、自らの『完璧なロジック』では絶対にあり得ない、非合理的な決断を下そうとしていた。




