第4話:泥にまみれる魔法と、動き出す現場
翌朝、夜明け前のバルツァー川河川敷。
立ち込める朝霧の中、鍬やスコップを手にした村人たち――男も女も、総勢六十名ほどが集まっていた。
だが、その表情は重い。
「本当に金なんて貰えるのかよ……」
「代官様ってのは、いつも口先だけだろ……」
不信感と不安でざわめく彼らの前に、俺はダガンを連れて大股で進み出た。
「集まってくれて感謝する。まずはこれを受け取ってくれ」
俺の合図で、ダガンがドサリと重い麻袋を木箱の上に落とした。
口紐を解くと、中から現れたのは鈍い銀色に輝く大量の硬貨――王国の正規銀貨だった。
「ひっ……!? ぎ、銀貨……!?」
「こんな大金、見たことねえぞ……!」
ざわめきが一瞬で息を呑む音へと変わる。
「本日分の前払いだ。一人一枚、作業前に受け取ってくれ」
俺は全員を見渡しながら、腹の底から声を張り上げた。
「俺は神頼みの儀式をする気はない。川の氾濫を防ぐための『土木工事』をやる。これから二十日間、俺の指示通りに働いてくれた者には、毎日この額を支払う。ただし――」
俺は人差し指を立てた。
「無茶な怪我は絶対に許さない。水分補給と休憩の合図は厳守だ。危険な箇所には俺が先に手を入れる。死ぬ気で働く必要はない、生きてこの村を守るために働いてくれ!」
村人たちは呆然と互いの顔を見合わせ、やがて銀貨を握りしめると、その瞳にみるみるうちに熱い炎が灯っていった。
「うおおっ……! や、やってやるぞ!」
「代官様、何をすりゃいいんだ! 畑を掘るのなら俺たちに任せてくれ!」
「よし、配置につけ! ダガン、石材の搬入班を仕切ってくれ!」
「へっ、合点承知だ!」
ダガンが野太い声で職人たちに号令をかける。
絶望に沈んでいたバルツァー村の空気が、一瞬で活気ある建設現場へと塗り替わった。
工事の要となるのは、蛇行部の外側に位置する広大な低湿地だ。
ここに巨大な『遊水池』を掘り込み、上流からのピーク水量を一時的にプールする。そしてその下流側に、切れ目を交互に設けた二重の土手――『霞堤』を築く。
だが、問題は掘削量だった。
人力のスコップだけで二十日間に掘り出せる土砂の量など、たかが知れている。
「旦那、いくら人足を集めたって、この広さを掘り抜くのは二ヶ月はかかるぜ……!」
ダガンが汗を拭いながら額に皺を寄せる。
「ああ、掘削は人間には任せない。それは俺の仕事だ」
「は……? 旦那一人で、この広大な湿地を掘るってのか!?」
「機械がないなら、魔法を機械にすればいい」
俺は作業着の袖をまくり、湿地の中心部へと歩み出た。
泥の上に立ち、深く呼吸を整える。
(世界の基底ネットワークへフルアクセス。範囲指定――縦二百メートル、横八十メートル、深さ三メートル)
視界が青いグリッドで覆われ、大地がワイヤーフレームで透過される。
王都の魔術師なら「大地の神よ、穴を開けよ!」と叫び、無駄に魔力を爆発させて周囲を崩壊させるだろう。
だが、俺がやるべきは爆発ではない。
前世で言うところの――重機による連続切削と土砂運搬のアルゴリズムだ。
『対象:指定グリッド内の表土および砂礫層』
『制約条件:急速破砕を禁ず。土粒子間の剪断応力を一時的にゼロ化(擬似液状化)』
『ベクトル指定:掘削土砂を放物線軌道で南側境界線へ集積・連続転圧』
『目標出力:勾配一対二の法面を形成しつつ、遊水池掘削を完了せよ』
制約条件を厳密に縛り、魔力の消費効率を極限まで最適化する。
成功確率――八十九パーセント。
「――『連続切削・質量流動』」
低く呟き、右手を虚空へ向けて振り上げた。
ズズズズズ……ッ!
地響きが轟いた。
だが、何かが吹き飛ぶ音ではない。
指定した巨大な区画の土が、まるでスプーンで掬い取られたプリンのように滑らかに沈降を始めたのだ。
削り取られた数千立方メートルもの土砂が、青い光の帯に包まれながら宙を舞い、南側のラインへと規則正しく飛翔していく。
ドサッ! ドサッ! ドサァッ!
飛ばされた土砂は、あらかじめ指定された堤防の設置ラインへと吸い込まれるように積み重なり、着地と同時に『圧縮』のパラメータを受けて自重で固められていく。
「なっ…………!?」
鍬を握りしめていた村人たちが、全員口をあんぐりと開けて固まった。
ダガンに至っては、咥えていた煙管をポロリと泥の中に落としていた。
「な、なんだありゃあ……!? 土が……勝手に飛んで、積み上がって……堤防になってやがる……!?」
「神託だ……いや、奇跡だ……!」
膝をついて拝み始めようとする村長ゴドウィンに、俺は肩で息をしながら叫んだ。
「拝む暇があったら動けッ! 法面の転圧と、木杭の打ち込みを急ぐんだ! 土が乾いて締まる前に杭を打たなきゃ、水の侵食に耐えられないぞ!」
俺の一喝に、ダガンが弾かれたように我に返った。
「お、おうッ! 野郎ども、突っ立ってんじゃねえ! 旦那が山を動かしてくれたんだ、仕上げは俺たち職人の仕事だ! 杭を持って走れぇぇっ!!」
「「「おおおおおッ!!」」」
割れんばかりの怒号が上がった。
村人たちの目に宿っていたのは、もはや恐怖でも迷いでもなかった。
自分たちの手で、あの悪夢の大河をねじ伏せるのだという、現場の狂熱だった。
それからの十五日間、現場は不眠不休の勢いで稼働した。
俺がプロンプトで大規模な掘削と堤防の骨組みを成形し、ダガン率いる職人たちが石を積み、村人たちが木杭を打ち込んで土嚢を敷き詰める。
作業が進むにつれ、村人たちの動きは見違えるように統制が取れ、互いに声を掛け合いながら効率的に動く「真の土木作業集団」へと成長していった。
そして、着工から十八日目。
蛇行部の外側にぽっかりと口を開けた巨大な遊水池と、水の勢いを殺すように互い違いに重なり合う、美しい二重の白石堤――『霞堤』が、その雄姿を現した。
「……できた……本当に、できちまった……」
ゴドウィンが堤防の上に立ち、震える手で石積みに触れた。
その目からは、とめどなく涙が溢れていた。
歴代の代官が誰も成し得なかった大工事が、目の前に完成していた。
「よくやってくれた、みんなのおかげだ」
俺が汗を拭いながら声をかけると、職人たちからどっと歓声が湧き上がった。
だが――その歓声は、不気味な遠雷の音にかき消された。
ゴロゴロゴロ……ッ。
空を見上げると、西の山々が完全に黒雲に呑み込まれていた。
肌を刺すような湿った冷気が吹き下ろしてくる。
鳥たちが一斉に鳴き叫びながら、南の空へと逃げ去っていく。
「……旦那」
ダガンが険しい顔で空を睨みつけた。
「山の方角、完全に真っ黒だ。……来るぜ。例年以上のクソッタレな大水がよ」
「ああ、計算通りだ」
俺は基底ネットワークに意識を走らせ、上流の雨量データを取得した。
視界に浮かび上がる予測グラフは、かつてない異常な跳ね上がりを示していた。
線状降水帯の発生――数十年に一度の『メガ出水』だ。
だが、俺の心に恐怖はなかった。
「総員、退避ラインへ移動! 夜警班以外は高台の小屋へ入れ!」
俺は完成したばかりの霞堤の先端に立ち、激しく波打ち始めたバルツァー川の濁流を見据えた。
「さあ来い、暴れ川。お前の力、全部いなしてやる」




