第32話:足掻く論理(ロジック)、あるいは盤外の反撃手
「くそっ……! 第3、第4魔力バルブ、応答なし! 基幹コードが根底から書き換えられている……!」
暗闇に包まれた執務室。予備の魔石ランプの薄暗い光の中、アレンは血走った目で魔力制御盤と格闘していた。
指先から魔力を流し込み、狂ったインフラのコードを強制的に上書きしようとするが、弾かれた魔力がバチバチと痛々しい火花を散らす。
「無駄な足掻きだ、アレン殿! 自治区のインフラは完全に崩壊した。もはやお前に管理能力がないことは明白だ!」
特使の嘲笑と、両親の下劣な笑い声が背中を打つ。
(外部からの干渉波をトリガーにして、内部に潜伏していたコードが一斉に牙を剥いた……? いつだ。いつ、こんな致命的なバグが仕込まれた!?)
アレンの脳内で、凄まじい速度で論理が展開される。
汚染された領域を切り離し、安全なコードだけを繋ぎ合わせて再起動を試みる。もし『A』のルートが塞がれたなら、『B』のルートからバイパスを通す。それは彼が今まであらゆる理不尽を打ち破ってきた、絶対の『論理的思考』だった。
しかし、修復した端から未知のウイルスコードが自己増殖し、アレンの論理を次々と食い破っていく。
「お、お兄様……もうやめて……!」
マリアが震える手でアレンの袖を掴む。
「大丈夫だ、マリア。俺が必ず……この理不尽なエラーを修正してやる」
アレンは妹を安心させるように短く答え、再びコンソールに向かう。
その必死な背中を見つめながら、マリアは暗闇の中で甘い吐息を漏らした。
(無駄ですわ、お兄様。それは現代日本の悪意を煮詰めた『ワーム(増殖型ウイルス)』。この世界の真っ当な魔法陣ロジックで駆除できるものではありませんもの。……ええ、そのまま泥を這いずり回るように、絶望して見せて)
* * *
一方、その頃。
ブラックアウトし、混乱に包まれるバルツァー特別自治区の片隅。大商会の隠し金庫室の中で、リリアは一人、額に汗を滲ませながら商会専用の魔力通信端末に向かっていた。
「……アレン様なら、きっと今頃、たった一人で狂ったシステムと戦っていらっしゃるはずですわね」
パチッ、パチッと素早い手つきで、彼女は暗号通信網を組み上げていく。
「でも、アレン様の『論理』は美しすぎる。あんな泥沼のような悪意の塊を、真っ当なロジックだけで解きほぐすことはできませんわ」
リリアが追っていたのは、インフラの魔法陣コードではない。
『お金と欲の流れ』だ。
王都の特使が動くには莫大な裏金が必要だ。そして、システムを外部から刺激した『トリガー』を発信した魔導具の購入ルート。マリアがどれだけ内側のコードを巧妙に偽装しようと、外側の「人間の欲」が動いた物理的な証拠までは消しきれない。
「マリアさん。あなたがどれだけ巧妙に盤面を支配したつもりでも……商会の目からは逃れられませんわよ」
リリアの端末に、特使と悪徳商会の裏取引の証拠、そしてマリアの不審な金の動きが次々とダウンロードされていく。
同時に、自治区のシステムを物理的に初期化し、アレンの管理権限を取り戻すための『ワクチンプログラム(商会特権のバックドア)』の構築を急ピッチで進めていた。
「もう少し……あと少しだけ耐えてください、アレン様。私が必ず、その暗闇から引きずり出してさしあげますから!」
リリアの瞳には、アレンへの絶対の信頼と、愛する男を陥れた者たちへの静かなる怒りが燃えていた。
* * *
「アレン殿! もう時間切れだ。この『自治区返還同意書』にサインをしてもらおうか!」
再び執務室。特使が冷酷な笑顔で羊皮紙を突きつけてくる。
「……ふざけるな。まだ、第8区画のサブ回路が生きている。ここから逆算して……」
アレンの指先から血が滲む。限界まで酷使された魔力がショートを起こし、バチッと火花が散った。
「きゃあっ!」
「マリアッ!」
わざとらしく悲鳴を上げたマリアを庇おうとしたアレンの腕に、火花が鋭く走る。
破滅の足音が耳元まで迫る、逃げ場のない密室。
だが、完璧な絶望の盤面の『外側』で、反撃の狼煙は確実に上がり始めていた。




