第13話:選択の代償、あるいは新たな種まき
「……やりますわ!」
リリアは涙を乱暴に袖で拭い、両の拳をぎゅっと握りしめた。
震えていた双眸には、いつものおバカで無邪気な怯えではなく、自分の意志で運命を選び取ろうとする強い光が宿っていた。
「わたくしは王都の主席監査官ですけれど……それ以前に、グランツ家の娘ですの! 自分の目で見た真実をねじ曲げて、罪もない村人たちを騙し討ちにするような……そんなダサい女になりたくありませんわ! バドリック様の手紙なんて、こうしてやりますのよ!」
ビリッ、ビリビリッ! と、宮廷水理局長の密書が無惨に引き裂かれ、乾いた音を立てて風の中に舞い散った。
王都の名門貴族としての安寧と、局長の後ろ盾を自ら捨て去った瞬間だった。
「ふっ、いい度胸だ」
俺は小さく笑い、震えるリリアの金髪の頭に軽く手を置いてポンと叩いた。
「ひゃっ!? な、何をするんですの! 気安く触らないでくださる!?」
「覚悟を決めた奴への敬意だよ。――さて、バドリックの奴が焦って次の手を打ってくる前に、こちらの足場を盤石にしておく必要がある。監査官様,決意表明が済んだならさっそく仕事だ」
「な、なんですの? 重労働ならお断りですわよ! わたくし、指先を痛めるような作業は向いていませんの!」
「重労働じゃない。お前の『その手』が必要な仕事だ。ついてこい」
俺がリリアを連れて向かったのは、新しく整備された遊水池の南側に広がる、見渡す限りの開拓予定地だった。水路が通ったことで泥水に沈む危険は去ったが、現状は雑草と乾いた石ころが散乱するただの荒野にすぎない。
「……ここ、何もない荒れ地ですわね。石ころだらけで、足が痛くなりそうですわ」
「ああ。水害を防ぎ、道を繋ぎ、水と光を引いた。だが、それだけじゃ人は生きていけない。今年一年の食糧を確保し、このバルツァー村が王都の支援なしで完全に自立するための『農業生産インフラ』を今日ここで立ち上げる」
俺は腰のポーチから、バルツァーの土壌に適した品種改良種の種子袋と、補助用の魔導触媒を取り出した。
「リリア、お前の役目は魔力回路の共振サポートだ。俺が基底ネットワークにアクセスする間、魔力の波形が乱れないよう、この触媒を両手で握って一定のリズムで魔力を流し込め」
「えっ、わ、わたくしが魔法のサポートを……!? だ、大丈夫ですの? わたくし、学校の実技ではいつも暴発させて『歩く火薬庫』って呼ばれていましたのよ!?」
「知ってる。だからお前にはプロンプトの記述(設計)はさせない。お前はただの安定化電源だ。余計な呪文は唱えず、深呼吸して魔力を均一に垂れ流すことだけに集中しろ」
「ば、バッテリー扱いなんて失礼ですわ! でも……わかりましたわ! 足だけは引っ張りませんことよ!」
リリアはおっかなびっくり触媒の青い水晶を両手で包み込み、ギュッと目を閉じて魔力を放出し始めた。意外にもその波形は素直で、ノイズは多いгай出力そのものは申し分ない。
(よし、接続完了。基底ネットワークへフルダイブ)
目を閉じると、視界の裏側に広大な三次元トポロジーマップが展開された。
[System Initialized: Agricultural_Pipeline_Engine_v2.1]
[Target Area: Farmland_Zone_A (Scale: 50,000 m²)]
[Current Soil Status: Nitrogen Deficient, pH 5.2 (Acidic), High Clay Content]
足元の土壌データがリアルタイムのパラメータとして濁流のように流れていく。窒素不足、酸性度の偏り、粘土質の過密化。王都の農政官なら「土の精霊に祈りを捧げ、半年かけて石灰を撒け」と言うところだ。だが、物理法則と確率演算を理解していれば、そんな気の長い話に付き合う必要はない。
(プロンプト構築。パラメータを最適化して一括コンパイルする)
PROMPT: "Farmland_Zone_Aの地下1.0m全域に、多孔質セラミックによる微細暗渠排水網を展開せよ。"
SUB-PROMPT 1: "土壌中の酸化鉄およびアルミニウムイオンをキレート化。pH値を6.5(弱酸性)へ瞬時中和。"
SUB-PROMPT 2: "空気中の遊離窒素を固定化し、有機複合体として表土30cmへ均一拡散供給。"
CONSTRAINT: "マクロな生態系破壊を回避するため、微生物群の死滅率を0.01%以下に抑制。"
OPTIMIZATION: "魔力消費を抑えるため、地中の既存岩塩および鉱物資源を分解再利用。"
並べた制約条件に対し、脳内の基底AIが恐るべき速度で整合性を検証していく。
[Simulating Soil Transformation...]
[Success Probability: 95.8%]
[Safety Margin: Optimal]
成功率は九十五パーセント強。安全係数は十分だ。
「リリア、出力をそのまま維持しろ!」
「は、はいっ! わたくしの全魔力、持っていきなさいなーっ!」
リリアの叫びと同時に、俺は思考のエンターキーを強く押し込んだ。
「――実行(Execute)」
ゴゴゴゴゴ……ッ!!
地鳴りのような重低音が、足元の乾いた大地を揺らした。爆発も破壊も起きない。しかし、足元の土の色が、白茶けた色から見る見るうちに油分を含んだ黒々とした「極上の腐植土」へと質感を塗り替えられていく。地下深くを走る見えないエネルギーが、硬い土をほぐし、毛細血管のような水路を網の目のように編み上げていくのだ。
さらに俺は、空中に放り投げた種子袋へと指向性の励起パルスを叩き込んだ。
PROMPT: "播種マトリクス起動。対象種子の休眠打破、発芽シミュレーションの高速展開。"
空中で弾けた無数の種子が、まるで意思を持つ光の粒のように風に乗り、均等なグリッドを描いて黒い大地へと吸い込まれていく。
そして――。
パチッ、パチパチパチッ!
まるで小さな緑の火花が弾けるように、五十万平方メートルの大地一面から、一斉に青々とした新芽が勢いよく顔を出した。そよ風が吹くと、見渡す限りの緑の絨毯が波打つように揺れる。
「あ……あぁ……っ」
魔力を放出し切ってへたり込んだリリアは、アレンに直してもらったあのお気に入りの日傘を大事そうにぎゅっと抱きしめたまま、呆然と目の前の光景を見つめていた。
「うそ……荒れ地が、たった数分で……こんな、一面の青い麦畑に……?」
「これで、秋には村中が食っても余るほどの収穫が出る。余った分を行商人に売れば、村の財政も黒字化だ」
俺は汗を拭い、荒い息を吐きながらリリアに手を差し伸べた。
「よくやったな、リリア。お前の魔力供給がなきゃ、途中で演算エラーを起こして土がガラス化するところだった」
「っ……!」
真っ直ぐに向けられた賞賛に、リリアは目を見開き、それから耳の先まで真っ赤に染め上げた。王都では「無能」「問題児」と罵られ、厄介払いとして捨て駒にされた彼女が、生まれて初めて誰かの役に立ち、感謝された瞬間だった。
「な、何を当然のことを言っていますの! わ、わたくしはグランツ家の令嬢ですのよ! これくらい、朝飯前の茶の子さいさいですわ!」
差し出された俺の手をギュッと握り返し、立ち上がるリリア。その瞳には、かつてない自信と誇らしげな光が宿っていた。
――だが、二人が新たな希望に胸を膨らませていたその時。
村の街道の向こうから、砂煙を上げて突進してくる数騎の軍馬の姿があった。
手紙を破られたバドリックが、早くも実力行使のための「査問武官」を送り込んできたのだった。




