第12話:おバカ令嬢の葛藤、あるいはバドリックの焦燥
「……き、綺麗……ですわね……」
夜のバルツァー村。魔力発光石の街灯が生み出す柔らかな白銀の光の下で、リリアはぽつりと呟いた。
昼間に水道と街灯が完成して以来、村の子供たちは大喜びで新しい水場ではしゃぎ、大人は夜遅くまで安全に作業を続けている。その活気ある光景を目の当たりにして、リリアの胸に渦巻いていたのは、かつてないほど複雑で、どうしようもない感情だった。
(あんなにボロクソに言っていた寒村が、わずか数日で王都のどの街路よりも美しく、便利になっていく……。それを成し遂げたのは、目の前にいる無愛想な代官、アレン様……)
王都にいた頃の彼女なら、「魔導具の不正利用に違いありませんわ!」と気色ばんで叫んでいたはずだ。だが、自分の目で見て、触れて、村人たちの心からの笑顔に触れてしまった今、それが単なる言いがかりにすぎないことなど、痛いほど分かっていた。
「おい、いつまで突っ立ってるんだ。夜風が冷えるから中に入れ」
「なっ、命令しないでくださる!? わたくしは王都から派遣された主席監査官ですのよ!」
慌ててツンと顔を背けるリリアだったが、その頬がうっすらと赤らんでいるのは隠しきれていなかった。
すっかりアレンの技術力と村の温かさに当てられ、自分の本来の目的(不正の証拠を掴んで村を潰すこと)を忘れ、「この村の力になりたい」という想いが彼女のなかで膨らみ始めていたのだ。
――だが、その平穏は、王都からの冷酷な使者によって容赦なく打ち破られることになった。
翌日の昼下がり。
王都からやってきた別の行商人に紛れ、宮廷水理局の紋章が刻まれた一通の密書が、リリアの宿泊する集会所の自室へと届けられた。
「これは……お父様から……ではなく、バドリック様からの……?」
部屋の隅で封を切ったリリアは、書面に並ぶ整った文字に目を丸くした。
『――リリア・フォン・グランツ。いつまであの寒村で遊んでいるのか。君に期待して監査官の地位を与えたのは、観光旅行をさせるためではない。アレンの不正の証拠を速やかに掴み、直ちにあの土地の権利書を没収せよ。もしこれ以上グズグズしているようなら、君の貴族としての籍も、グランツ家の名誉もどうなるか分からんと思え。一刻も早く、あの村を潰せ』
「そ、そんな……っ!? うそ、ですわ……っ」
ガタガタとリリアの華奢な体が震えた。
彼女にとってバドリックは、「自分の才能を誰よりも認めてくれて、監査官という大役を任せてくれた恩人」であったはずだ。しかし、そこに綴られていたのは、恩人の温かい言葉どころか、村を破滅させるための冷酷な命令と、身を脅すような卑劣な脅迫だった。
王都の権力者の論理と、目の前にある温かな村の現実。
その巨大な板挟みに耐えかねて、リリアの瞳から大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちた。
「どうした、そんな青い顔をして」
ガチャリと部屋のドアが開き、作業の手を止めたアレンがひょっこり顔を出した。
異変を察知したのだろう。だが、リリアは慌てて手紙を隠すようにギュッと胸に抱え込み、ブンブンと首を振った。
「な、なんでもありませんわよ! わ、わたくしはただ……その、部屋の空気が少し悪くて眩暈がしただけですわ!」
必死に笑顔を作ろうとしているが、その声は大きく震え、唇は血の気が引いて真っ青だった。
隠しきれていない動揺と、バドリックの脅迫に対する激しい葛藤。
(……ふん。あのバドリックめ、ついに痺れを切らしてプレッシャーをかけてきやがったか)
彼女が抱えている手紙の差出人など、少し考えれば容易に想像がつく。
俺は小さく息を吐き、作業用の手袋をポケットに突っ込んだ。
「リリア。お前がどんな命令を受けて、何に悩んでいるのかは知らんが――」
「わ、わたくしは悩んでなどいませんわ! わたくしは王都の主席監査官として、あなたを――」
「なら、今すぐその手紙を破り捨てて、ここで俺たちのインフラ作りを手伝え」
「え……?」
あまりに直球すぎる俺の言葉に、リリアは息を呑んで動きを止めた。
「お飾りのお目付役だろうが、スパイだろうがどうでもいい。だが、作り笑いを浮かべて陰で泣くような奴を、この現場に置いておくわけにはいかないんでね。――ここで王都の犬を続けるのか、それとも俺たちと一緒にこの村を守るのか。どっちだ?」
差し出された俺の手を見つめ、リリアの瞳から再び涙があふれ出した。
王都の権力にしがみつくか、それとも自分の目で選んだ真実を信じるか。
おバカ令嬢の下す決断が、バルツァー村の運命をさらに大きく動かそうとしていた。




