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預かり屋 榊便利堂 -最期の一言を、七日以内に届ける-  作者: MIYA
案件02「宛先が二人いる」

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第9話 家族やないので

美容室「そのだ」の前に軽トラを停めて、透は運転席に座ったまま待った。


 客が二人いる。順番待ちの雑誌をめくっている老女と、いま鋏を入れられている中年の男。狭い店だ。話し声が外まで漏れてくる。


 三十分待って、二人が出ていった。


 透はドアを開けた。


 「あら、この前の」


 佐知子が振り返った。


 その瞬間、喉の奥が動いた。


 透は口を閉じた。閉じたまま、奥歯を噛んだ。


 舌の付け根が持ち上がる。錆びた戸が内側から押されるような感触があって、何かがそこまで上がってきている。出したいわけではない。透の意思とは関係なく、勝手に動いている。


  ――ごめ


 喉の途中で、透はそれを飲み込んだ。


 「榊さん?」


 佐知子が首をかしげている。


 「顔、白いけど」


 「……いえ」


 透は一度、外の空気を吸ってから店に入った。


           ※


 近い。だが、出ない。


 鏡の前の椅子に座りながら、透はそのことを考えていた。


 康夫の前では、何も起きなかった。佐知子の前では、動いた。動いたのに、全部は出てこない。


 祖父はこれを「手が届く」と呼んだ。近いというだけで、届いたわけではない。


 あと少しだけ強く口を開けば、切れ端が漏れる。漏れたぶんは佐知子に居着いて、この人は一生、意味のわからない一言を頭の中で繰り返すことになる。


 透は膝の上で手を握った。


 「立花さん、亡くなったんですってね」


 佐知子が言った。鋏は持っていない。今日はまだ髪に触れていない。


 「今朝、お客さんから聞きました」


 「昨日の明け方です」


 「そう」


 佐知子はタオルを畳み始めた。畳む必要のないタオルだった。


 「お通夜、明日ですか」


 「明日の六時からです」


 「そう」


 同じ返事だった。


           ※


 「わたし、行きません」


 しばらくして、佐知子はそう言った。


 「家族やないので」


 「立花さんとこに、いらしたと聞きました」


 「おりました。九年ほどね」


 佐知子はタオルを棚に置いた。手つきに迷いはない。


 「小学校の四年から、高校を出るまで。うちの親が二人とも早うに死んで、行くとこがのうて。町議さんの家やから、面倒見のええ家やと思われとったんでしょうね」


 「よくしてもらいましたか」


 「よくしてもらいました。ご飯も、学校も、修学旅行のお金も」


 佐知子は少し笑った。目は笑っていなかった。


 「けど、うちの子や、とは一遍も言われませんでした」


 店の外を、自転車が通っていった。


 「戸籍も入れてもらえんかった。それは、わかるんです。町議さんの家やから、あとで財産のことでややこしなる。大人の事情いうやつでしょう」


 「……はい」


 「わかるんですけど、十八で家を出るときにね」


 佐知子の手が、タオルの上で止まった。


 「奥さんが、玄関で、よう頑張ったねって言わはったんです。よう頑張ったね、って」


 透は待った。


 「あれ、よその子に言う言葉やなあ、と思いました」


           ※


 便利堂に戻ると、留守番電話が入っていた。


 立花康夫からだった。実家の片付けを頼みたいという。四十九日を待たずに始めたいので、見積もりだけでも早めに、と。


 「便利屋の仕事ですね」


 千鶴が言った。にやにやしている。


 「便利屋の仕事だ」


 「ついでに調べるのが便利屋の仕事ですね」


 「今回はついででもない」


 透は受話器を置いた。


 届ける場所が要る。佐知子は通夜にも葬儀にも来ない。美容室で客のいない時間を狙って、いきなり口を開くわけにもいかない。


 トキは「ふいに来てほしい」と言った。だがそれは、受け取る側の都合を考えていない言い方だった。


           ※


 翌日、立花の家に入った。


 町の東側の、庭のある古い家だ。廊下が長い。仏間の欄間に細かい彫り物が入っている。康夫と、名古屋から来ている長男が、押し入れの段ボールを縁側に運び出していた。


 「母は物を捨てない人でした」


 康夫が苦笑した。


 「これ、たぶん昭和のものですよ」


 透は仏間の棚を任された。位牌と、写真立てと、古いアルバムが並んでいる。


 三段目の引き出しを開けた。


 封筒が入っていた。輪ゴムでまとめてある。中身は写真だった。


 小学生の女の子が、庭で犬を撫でている。


 次の写真は、中学の制服を着た同じ子だった。その次は、高校の入学式らしい。校門の前で、立花トキと並んで立っている。


 最後の一枚は、成績表だった。写真ではない。二つ折りにした紙が、写真と一緒に挟んである。


  園田佐知子


 透は封筒を閉じた。


 中身を読むな。掟その二だ。読んで判断すれば、届けないという選択ができてしまう。


 だが読まなくても、もうわかっていた。


           ※


 その封筒を、康夫に渡した。


 康夫はしばらく黙って写真を見ていた。


 「……この子、知ってます」


 「そうですか」


 「うちにいた子です。僕が高校のころ、下宿してた妹みたいな。あ、いや」


 康夫は言い直した。


 「妹みたいな、というのは、僕が勝手に思っとっただけで」


 「立花さんは、なんて呼んでましたか」


 「母ですか」


 康夫は少し考えた。


 「……あの子、って呼んでましたね。ずっと」


           ※


 押し入れの奥から、新聞の束が出てきたのは夕方だった。


 紐でくくった古新聞で、ほとんどは近所の店の折込を取ってあるだけのものだった。だが、いちばん下の束だけが違った。


 地方紙の一面が、上を向いて重ねてある。


 十五年前の八月だった。


 高潮、という文字が見えた。


 その下の記事は、透の位置からは読めない。読もうとして、透は自分の手が止まっているのに気づいた。


 「榊さん、それも捨てますか」


 康夫が縁側から声をかけた。


 透は新聞を裏返して、紐のまま束の脇に置いた。


 「……仕分けは、あとで」


 なぜそうしたのか、自分でもわからなかった。


           ※


 帰り際、康夫が言った。


 「園田さん、来てくれますかね。通夜」


 「行かない、と言ってました」


 「そうですか」


 康夫は縁側に腰を下ろした。


 「うち、あの子に何もしてやれんかったんです。母も、僕らも。だから来んのは当たり前です」


 「立花さんは、写真を取っておかれました」


 「取っておくのは、何かしたことになりませんよ」


 康夫はそう言って、少し笑った。


 「なりませんでしょう」


 透は答えられなかった。


           ※


 夜、美容室の前をもう一度通った。


 明かりは点いていた。ガラス戸に紙が一枚、内側から貼ってある。透は軽トラを停めて、それを読んだ。


  勝手ながら、今月末をもちまして閉店いたします。


  長い間ありがとうございました。


 千鶴が助手席から身を乗り出した。


 「え、閉めるんですか」


 「今月末って、あと四日だ」


 言ってから、透は自分の声が少し硬いことに気づいた。

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