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預かり屋 榊便利堂 -最期の一言を、七日以内に届ける-  作者: MIYA
案件02「宛先が二人いる」

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第10話 よその子


 翌日の夕方、透は美容室「そのだ」の向かいに軽トラを停めた。


 閉店時間は六時だった。最後の客が店を出てからも、佐知子は床を掃き、洗ったタオルを奥へ運んでいる。透は道路の反対側で待ち、ガラス戸の札が営業中から閉店へ返されたところで車を降りた。


 戸を開ける前に、胸の奥へ意識を向ける。


 トキの言葉はまだそこにあった。


 透はガラス戸を軽く叩いた。


 奥から戻ってきた佐知子が鍵を開ける。


 「すみません。もう閉めたんですけど」


 「榊便利堂の榊です」


 名乗ったところで、佐知子と目が合った。


 喉が動いた。


 透が何かを説明する暇はなかった。胸の奥に収まっていたものが持ち上がり、そのまま声になる。


 「ごめんね」


 病室で聞いたものより、ずっと張りのある声だった。


 佐知子の手が、ガラス戸の鍵に触れたまま止まる。


 「ごめんね。あんたのこと、よう見てやれんかった」


 そこで声は途切れた。


 透は口を閉じた。


 七日近く抱えていた重さが、胸の内側からなくなっている。


 佐知子はしばらく鍵から手を離さなかった。


 旧道を自転車が通り過ぎる。向かいの店ではシャッターを下ろす音がしていた。


 やがて佐知子が透を見る。


 「立花さんですね」


 「はい」


 「やっぱり」


 佐知子は店の中へ戻り、入口近くの椅子へ腰を下ろした。透には座るよう言わなかったので、そのまま戸口に立っていた。


 「若い声やった」


 「若い?」


 「わたしがあの家におったころの声です。奥さん、あんな声でした」


 佐知子は鏡のない壁へ目を向けた。


 「榊さん」


 「はい」


 「これ、何に対して謝ってはるんでしょうね」


 透には答えられなかった。


 佐知子も答えを求めている様子ではなく、自分の膝に置いた手を見ながら続けた。


 「戸籍に入れんかったことか、最後までうちの子と言わんかったことか。ほかにも、わたしが知らんだけで何かあったんかもしれません」


 「俺には、言葉しか預かれないので」


 「そうでしょうね」


 佐知子はあっさり頷いた。


 「本人がおらんようになってから謝られても、何のことか訊けませんしね。ちょっと勝手やと思います」


 店の時計が六時十二分を指していた。


 佐知子は立ち上がり、さっき途中にしていたタオルを一枚取った。きれいに畳んで棚へ置いてから、小さく息を吐く。


 「でも、よその子には謝りませんね。ふつう」


 透は何も返さなかった。


 佐知子もそれ以上トキの話をせず、入口の鍵へ手を伸ばした。


 そこで透は、ガラス戸に貼られた閉店の紙を思い出した。


 「園田さん」


 「はい」


 「話変わるんですけど」


 「なんです?」


 「この店、閉めるんですよね」


 佐知子が怪訝そうに透を見る。


 「貼り紙、見たので。椅子とかシャンプー台とか、処分するなら見積もり出せます」


 数秒置いて、佐知子が笑った。


 「今、その営業します?」


 「便利屋なので」


 「変わった人やねえ」


 「よく言われます」


 佐知子は店内を見回した。


 「ほな、明日見てもらおかな。自分で運べんもんが結構あるんです」


 「朝から来ます」


 「九時でええですよ。店はもう開けませんから」


 話が決まると、佐知子は今度こそ戸の鍵を閉めた。


           ※


 美容室を空にするのには三日かかった。


 鏡台を壁から外し、シャンプー台の配管を止め、乾燥機や待合の椅子を軽トラへ載せる。処分するものと残すものは佐知子自身が決め、透は指示されたものだけを運んだ。


 二日目から千鶴も手伝いに来た。


 「あたし、美容室のシャンプー台って初めて触りました」


 「触る前に元栓見ろよ」


 「大丈夫です。昨日のあたしとは違います」


 「昨日なんかやったのか」


 「そこは気にしないでください」


 佐知子が奥から雑巾を二枚持ってきた。


 「藤木さんとこの子やろ」


 「孫です」


 「知ってる。お爺ちゃんに似とるね」


 「え、どこがです?」


 「よく喋るとこ」


 「それ褒めてます?」


 佐知子は答えず、千鶴へ雑巾を渡した。


 店内から物が減るにつれて、二十八年間隠れていた壁や床が見えるようになった。鏡の跡だけ壁紙の色が違い、待合椅子の下には何年も前のヘアピンが一本落ちていた。


 佐知子はそれを拾い、しばらく眺めてからごみ袋へ入れた。


 「長かったですね」


 千鶴が言う。


 「何が?」


 「二十八年」


 「終わってみたら、そんなでもないよ」


 佐知子は店の奥に残った段ボールを閉じた。


 この町を離れ、町外で暮らす娘の近くへ移るのだという。孫の世話を手伝ってほしいと言われており、店を続けるか迷っていたところに話が決まったらしい。


 トキのことは、三日間一度も話題にならなかった。


 透も出さなかった。


           ※


 三日目の夕方、最後の荷物を軽トラへ積んだ。


 店の中には、備え付けの棚と古い時計くらいしか残っていない。佐知子は床を一周して忘れ物がないか確かめると、入口に貼ってあった閉店の紙を剥がした。


 「これ、どうするんです?」


 千鶴が訊く。


 「捨てます」


 佐知子は紙を二つに折り、ごみ袋へ入れた。


 「取っておかないんですか」


 「取っといて、どうするん」


 「いや、二十八年の記念とか」


 「店は覚えとるよ。紙までいらん」


 千鶴は少し考えたあと、「それもそうか」と言って次の袋を縛った。


 透は荷台のロープを締め、佐知子へ作業内容を確認してもらった。


 「請求書は後で郵送します」


 「ちゃんと請求してくださいよ」


 「します」


 「立花さんから聞いとったんです。榊さん、自分の仕事の金を取るの下手やって」


 透はロープを引く手を止めた。


 「そんな話してたんですか」


 「見舞いに行ったときにね」


 佐知子はそれ以上説明せず、ハンドバッグから店の鍵を出した。


 ガラス戸を閉め、最後に一度だけ鍵を回す。


 「お世話になりました」


 「こちらこそ」


 佐知子は軽トラの荷台を見た。


 「立花さんのことも」


 透が黙っていると、佐知子は小さく頭を下げた。


 「聞けてよかった、とはまだ言えませんけど」


 「はい」


 「でも、聞いたことは忘れんと思います」


 佐知子はそれだけ言って、旧道を歩いていった。


           ※


 その日の夜、透は事務所で請求書を書いた。


 美容室の撤去作業について、人工と運搬費、処分場へ持ち込んだ分を計算する。立花家の片付けも残っていたので、そちらも同じように数字を入れた。


 千鶴が向かいで封筒を用意している。


 「六月のやつもありますからね」


 「覚えてる」


 「六月十日」


 「覚えてるって」


 「じゃあ出してください」


 透は古い請求書の日付を書き直し、まとめて封筒へ入れた。


 美容室の請求書には、取り外した設備や運搬の内容が並んでいる。立花家の方にも、家具の移動や処分費を書いた。


 トキから預かった言葉について書く欄は、最初からない。


 千鶴が封筒の口を糊付けしながら訊いた。


 「園田さん、どうでした?」


 「何が」


 「届いて」


 透はペンの蓋を閉めた。


 「何に謝られたのかわからないって言ってた」


 「そっか」


 千鶴はそれ以上訊かず、封筒をほかの郵便物と一緒に重ねた。


 案件が終われば、いつもどおり便利堂の仕事だけが残る。


 その仕事には金額を書けた。


           ※


 夜十時前、透は千鶴を乾物屋まで送った。


 店の前で降りた千鶴は、ドアを閉める前に助手席から透を見る。


 「次の依頼、まだないですよね」


 「ない」


 「じゃあ明日休みません?」


 「仕事入ってる」


 「何です?」


 「雨樋」


 「ほら、休まない」


 千鶴は呆れたようにドアを閉め、店の横の階段を上がっていった。


 二階に明かりが点くのを見てから、透は軽トラを出した。


 商店街を抜けると、道沿いの家が少なくなる。窓を少し開けると、昼間に熱を持った空気の中へ田んぼの匂いが混じった。


 胸の奥に預かった声はない。


 透は県道へ入り、ヘッドライトの先を見ながら速度を上げた。


 次のカーブが近づき、アクセルから足を離した。

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