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預かり屋 榊便利堂 -最期の一言を、七日以内に届ける-  作者: MIYA
案件01「犬の名を呼んだ老人」

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第5話 連れて帰る

 「犬はな、死ぬときに姿を消すことがある」


 梶がそう言ったのは、期限の三日前だった。


 「弱った犬が、ふらっとおらんようになる。飼うとった者からしたら、逃げられたみたいに思う。けど、ちゃうんや。あれは死に場所を探しとる」


 「本当にあるんですか、そういうの」


 千鶴が麦茶をつぎながら訊いた。


 「わしは二回見た。二回とも、後で見つかった。うちの犬は納屋の下におった」


 透は控え帳を閉じた。


 日付の入っていない墓と、洗って伏せたままの餌皿。


 宗一郎は、マルの死を見ていない。見ていないから、死んだと書けなかった。


 「探します」


 「十五年前のもんをか」


 「骨は残ります」


 梶は湯呑みを置いた。今度は音がしなかった。


 「……やってみい」


           ※


 翌日から、透は歩いた。


 沖田の家を中心にして、犬が歩ける範囲を潰していく。老いた犬が最後に歩く距離は、そう長くない。梶はそう言った。せいぜい一キロ、山なら沢筋、海なら風の当たらんほう。


 千鶴が地図に線を引いた。役場のコピー機で拡大したものだ。楓が持ってきた。


 「これ、公図ってやつです」


 千鶴が誇らしげに広げた。


 「氷見さんが、こっそりくれました」


 「こっそりじゃないです」


 楓は昼休みに来ていた。制服のまま、軽トラの荷台に地図を広げている。


 「地番のわかる図面は、閲覧も写しの交付も普通にできます。手数料も払ってもらいました」


 「三百円でしたけどね」


 「三百円は三百円です」


           ※


 二日かけて、透は防風林と沢筋を歩いた。


 草を分けて、倒木の下を覗いて、側溝を辿った。夏の林はまとわりつくように暑く、藪蚊が耳の周りで鳴き続ける。千鶴は半日でリタイアして、乾物屋の配達に戻っていった。


 途中で、何人かの町の人に出会った。


 「宗さんの犬な」


 畑にいた老女が、鍬を持ったまま言った。


 「あの人、探しとったよ。ずいぶん探しとった」


 「いつごろですか」


 「十五年前の、夏や」


 老女はそこで言葉を切って、少し考える顔をした。


 「あの夏はな、町がえらいことになっとったから。誰も手伝えんかった」


 「えらいこと」


 「……知らんかったんか。あんた、あの年」


 老女は途中で口をつぐんだ。それから、鍬を持ち直して畑に向き直った。


 「昔の話や。すまんね、忘れてしもた」


 忘れていない喋り方だった。


 透はそれ以上訊かなかった。訊けば手札を晒す。だが今回は、晒すべき手札が自分にあるのかどうかも、よくわからなかった。


 胸のあたりに、また引っかかりが残った。


           ※


 六日目の午後に、見つけた。


 旧造船所の裏手だった。フェンスが途切れて、防風林がそのまま海に落ちる場所がある。風の当たらない側の、松の根元。


 最初に見えたのは、金具だった。


 黒く錆びた小さなバックルが、腐葉土の上に半分埋まっている。透はしゃがんで、指で周りの土をどけた。


 革はほとんど残っていなかった。それでも、輪の形はわかった。


 首輪だった。


 その下に、白いものがあった。


 透は手を止めた。


 指が動かない。動かないまま、しばらくそこにあった。それから息を吸って、腐葉土をもう少しだけどけた。


 (あご)の骨だった。細長い、犬の顎の形をしている。歯がいくつか残っていた。土に還りかけているが、まだ形がある。


 松の根が、それを抱くように張り出していた。


 透はしばらく、そこに座っていた。


 海の音が、林の向こうから聞こえる。風の当たらない場所だった。ここなら、夏でも涼しかっただろう。


 「……ここまで来たんだな」


 沖田の家から、直線で八百メートル。老いた犬が最後に歩くには、遠すぎるとも言えない距離だった。


           ※


 白木に電話をかけた。


 しばらくして、住職が軽トラで来た。作務衣に長靴という格好で、袈裟は持ってこなかった。


 「うちの檀家さんの犬ですから」


 白木はそう言って笑った。


 「まあ、犬に檀家もないですけど」


 二人で骨を集めた。白木は素手を使わず、木の匙のようなものを持ってきていた。土ごと掬って、桐の箱に入れる。小さな箱だ。全部入れても半分にならなかった。


 「和尚さん」


 「はい」


 「これ、届くと思いますか」


 白木は手を止めずに答えた。


 「わかりません」


 「わからないですか」


 「うちは届けん商売やと言うたでしょう。けど」


 白木は箱の蓋を閉めた。


 「連れて帰るのは、うちの商売です。それはやりましょう」


           ※


 七日目の朝だった。


 沖田の家の裏に、透と白木と、梶と千鶴と、楓が来た。楓は有給を半日取ったのだと言った。


 「有給の理由、なんて書いたんですか」


 千鶴が訊くと、楓は表情を変えずに答えた。


 「私用です」


 「犬の埋葬って書けばよかったのに」


 「書けません」


 石の前を掘った。深くはない。三十センチほどの穴に、桐の箱を置いた。


 白木が短く経を読んだ。長い経ではなかった。読み終えると、白木は透を見た。


 「どうぞ」


 透は膝をついた。


 喉の奥のものは、朝からずっと重かった。七日目の言葉は、腐る直前に重くなる。祖父の控え帳には書いていない。透が自分の体で覚えたことだ。


 石の前に、透は口を開いた。


 言葉は出るはずがなかった。宛先は死んでいる。ここにいるのは骨だ。祖父が三十二年前に持越と書いたのも、そういう理由だったはずだ。


 それでも、透は口を開けたまま待った。


           ※


 出た。


 喉の奥がひとりでに動いて、透の意思とは無関係に、そこから声が出た。


  「マル」


 透の声ではなかった。


 沖田宗一郎の声だった。診療所で預かったときと同じ、犬を呼ぶための高さだ。


  「マル。ええ子や」


 言葉が離れていくのがわかった。喉の奥から、重さがすっと抜けた。


 誰も動かなかった。


 千鶴が両手で口を押さえていた。楓は石を見たまま、まばたきをしていない。梶は湯呑みを持っていなかったから、代わりに自分の膝を握っていた。


 海のほうから風が来て、草を撫でて通り過ぎた。


           ※


 「なんで出たんですか」


 千鶴が最初に口を開いた。


 「犬、死んでますよね。骨ですよね」


 透は答えられなかった。


 千鶴は透から梶へ視線を移した。


 「梶さん、これって」


 「わしに訊くな」


 梶の声が掠れていた。


 「爺さんのときは、骨も墓もなかった。探しても出てこんかった。そういうことかもしれん。わしにはわからん」


 白木が立ち上がって、袖の土を払った。


 「そらまあ、仏さんも都合がありますから」


 「和尚さん、それ便利すぎません?」


 千鶴が言うと、白木は真顔でうなずいた。


 「便利ですよ。二十年使うとります」


 千鶴が笑って、それから、少し泣いた。


           ※


 石に日付を入れることにした。


 石屋には楓が話を通した。町内会の予算から出せるのだという。無縁の処理の一環として、家財の整理費に混ぜて計上する。


 「そんなことできるんですか」


 「できる範囲でやります。それが仕事なので」


 彫る日付を決めるとき、透は迷った。


 マルが死んだ日はわからない。首輪の下にあった骨からも、日はわからない。


 結局、十五年前の八月とだけ入れることにした。


 「これでいいんですか」


 「宗さんが探した夏なので」


 石屋の職人が来たのは三日後で、透はその場に立ち会った。彫り上がった石を見て、はじめて、この一件が終わったのだと思った。


 名前と、日付。それだけの石だった。


           ※


 便利堂に戻ると、事務所の電話が鳴っていた。


 千鶴が出て、メモを取っている。切ってから、透に紙を渡した。


 「診療所からです。川辺さんから」


 紙にはこう書いてあった。


  六〇一号室 立花さん あと二日くらい


 「立花さん、知ってますか」


 「知ってる」


 立花トキ。九十歳。町の東側に大きな家がある。息子が二人いて、どちらも町を出た。孫が何人かいるはずだ。


 透は紙を見下ろした。


 草むしり、網戸の張り替え、猫捜し、仏壇の移動。頼まれれば断らない。断らないから頼まれる。


 その最後に、これがくっついてくる。


 「透さん」


 千鶴がイヤホンを外した。片方だけ着けているのを、外すところを見たのは初めてだった。


 「あたし、今日のこと、たぶん一生忘れないと思います」


 「そうか」


 「はい」


 「じゃあ、忘れないでいてくれ」


 商店街のほうで、明かりが点き始めた。この時間になると、切れた蛍光灯の位置がはっきりする。


 透は診療所の番号を回した。


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