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預かり屋 榊便利堂 -最期の一言を、七日以内に届ける-  作者: MIYA
案件08 「受け取らない人」

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第44話 楽になる

二日目の夕方、透はもう一度氷見家を訪ねた。


 昨日と同じ時間だった。


 門の前には楓がいた。


 「来ると思ってました」


 「言っただろ」


 「父もわかってます」


 楓は玄関へ視線を向けた。


 「朝から機嫌悪いです」


 「俺のせい?」


 「半分くらい」


 「残りは?」


 「たぶん自分に」


 透は返さなかった。


 久保田重一の言葉は、まだ喉の奥にある。


 あれは俺が決めた。


 昨日は最初の三文字ほどしか出せなかった。義信が聞くことを拒んだ瞬間、言葉は止まり、そのまま透の中へ戻った。


 期限は七日。


 今日は二日目だった。


 楓が戸を開ける。


 「父さん。榊さん来たよ」


 奥から返事はなかった。


 居間へ入ると、義信は座卓の前に座っていた。


 テレビはついているが、音が消されている。


 「また来ました」


 透が言うと、義信は顔を上げた。


 「帰ってくれ」


 「まだ何も言ってません」


 「言わんでええ」


 昨日と同じだった。


 怒鳴らない。


 目も逸らさない。


 ただ、受け取らない。


 透は座らなかった。


 「久保田さん、俺を病院に呼びました」


 義信の眉がわずかに動いた。


 「死ぬ前に、自分でです」


 反応はそれだけだった。


 「偶然俺が居合わせたわけじゃない。久保田さんは、最後に預かり屋を呼んだ」


 「……そうか」


 初めて義信が返事をした。


 透は一歩だけ近づいた。


 「それでも聞きませんか」


 「ああ」


 「何を言うか、わかってるんですか」


 義信は少し黙った。


 「知らん」


 「なら」


 「知らんから聞かん」


 透には意味がわからなかった。


 楓も同じだったらしい。


 「父さん、それおかしくない?」


 義信が娘を見る。


 「お前は黙っとれ」


 「昨日からそればっかり」


 「楓」


 「だって、久保田さんはお父さんに何か言いたくて榊さんを呼んだんでしょ」


 義信の表情が初めて崩れた。


 怒ったというより、痛いところに触れられたようだった。


 「だからや」


 楓が口を閉じた。


 義信は透を見た。


 「榊さん。あんた、その言葉の中身は知らんのやな」


 「知りません」


 「意味も」


 「考えないようにしてます」


 義信が小さく頷いた。


 「先代と同じや」


 今度は透のほうが止まった。


 「爺さんを知ってるんですか」


 「町に長くおったら知っとる」


 それ以上は話さなかった。


 義信は座卓へ視線を落とす。


 「久保田さんはな、昔からそういう人やった」


 「どういう人です」


 「最後になると、自分で全部持っていこうとする」


 透は黙った。


 「あの人が何を言うかは知らん。ただ、だいたい想像はつく」


 義信の手が膝の上で握られた。


 「聞いたら、俺が楽になってしまう」


 部屋が静かになった。


 楓は父を見ている。


 透もすぐには言葉が出なかった。


 「楽になったら駄目なんですか」


 義信は笑わなかった。


 「駄目や」


 「なんで」


 「俺が決めることやないからや」


 義信はそこで口を閉じた。


 透には、わからなくなった。


 聞くかどうかを決めるのは義信だ。


 なのに義信は、自分には決められないと言う。


 「久保田さんに許されるかどうかってことですか」


 義信の目が透へ向いた。


 「許すとか許さんとか、そういう話にしたくない」


 声が少し低くなった。


 「死ぬ間際の人間に一言言われて、それで何十年も前のことが終わるなら、簡単すぎる」


 楓が息を呑んだ。


 透は義信の言葉だけを聞いた。


 具体的なことは何も話していない。


 それでも、久保田と義信の間に、長い時間そのまま残っているものがある。


 昨日より、それだけはわかった。


 「じゃあ、どうすればいいですか」


 透が訊いた。


 義信はすぐに答えなかった。


 「持っとってくれ」


 「期限まで?」


 「ああ」


 「最後まで聞かないかもしれない?」


 「そのつもりや」


 透は喉に残る言葉を意識した。


 あと五日。


 預かった人はもういない。


 届ける相手は目の前にいる。


 それでも距離は縮まらない。


 「明日も来ます」


 「来んでええ」


 「俺の仕事なんで」


 義信はため息をついた。


 「頑固やな」


 「よく言われます」


 「誰に」


 「梶さんとか」


 楓が少しだけ笑った。


 義信の口元も一瞬動いた。


 それでも、言葉は受け取らなかった。


 ※


 氷見家を出ると、楓もついてきた。


 今日は「送る」とは言わなかった。


 二人でしばらく歩いた。


 春になって日が長くなったとはいえ、商店街にはもう灯りがついている。


 「榊さん」


 「うん」


 「父、久保田さんのこと知ってましたね」


 「ああ」


 「たぶん仕事ですよね」


 「役場?」


 楓が頷いた。


 「家で久保田って名前、聞いたことある気がします」


 「いつ」


 「子供のころ」


 透は歩きながら楓を見る。


 「覚えてる?」


 「名前だけです」


 楓は少し考えた。


 「父の昔の上司だったような」


 透は足を止めなかった。


 「確認できる?」


 「職員の昔の配置なら、公開されてる資料があります。人事異動の記事とか」


 「見ても問題ない?」


 「そこなら」


 楓は透の顔を見た。


 「その先は別です」


 「わかってる」


 「榊さん、最近ちゃんと学習しましたね」


 「前からしてる」


 「そういうことにしときます」


 駅前で楓と別れた。


 透は便利堂へ戻らず、そのまま図書館へ向かった。


 閉館まで一時間ほどあった。


 ※


 町の広報は、年度ごとにまとめて保管されていた。


 職員の異動記事を探すだけなら難しくない。


 久保田の名前はすぐ見つかった。


 住民課長。


 その下に並ぶ名前の中に、氷見義信がいた。


 係長。


 透は紙へ二つの名前を書いた。


 久保田重一。


 氷見義信。


 同じ課。


 上司と部下。


 ここまでは事実だった。


 もう一冊だけ前年の広報を確認する。


 同じ配置だった。


 翌年度の号では、久保田の名前が消えている。


 退職。


 義信は別の部署へ異動していた。


 透はそこで資料を閉じた。


 これ以上は、今夜やることではない。


 久保田が死ぬ前に何を背負っていたのか。


 義信がなぜその言葉を拒むのか。


 二人が同じ役場で働いていたことだけでは、答えにならない。


 ただ一つ、義信の言葉だけが残った。


 聞いたら楽になってしまう。


 人は普通、苦しいものから逃げたいと思う。


 義信は逆だった。


 苦しいままでいることを選んでいる。


 その理由を知らなければ、久保田の言葉を無理に押し込むことはできない気がした。


 ※


 三日目の朝。


 楓が便利堂へ来た。


 役場へ行く前だった。


 手には古い封筒を持っている。


 「これ、家にありました」


 「何?」


 「父のです」


 透は受け取らなかった。


 「勝手に持ってきて大丈夫?」


 「父に聞きました」


 「見せていいって?」


 「榊さんになら、って」


 昨日まで聞くことすら拒んでいた男が、自分から何かを出した。


 透は封筒を受け取った。


 中には一枚の古い紙が入っていた。


 役場の書類だった。


 表題だけ読む。


 祭礼時緊急対応世帯一覧。


 透の指が止まった。


 「これ、何の名簿?」


 楓は首を横へ振った。


 「父は、中を見せればわかるって」


 透はまだ開かなかった。


 「本人は?」


 「仕事から帰ったら来いって」


 「俺に?」


 「はい」


 楓は少し間を置いた。


 「昨日よりは、話す気になったみたいです」


 透は封筒を見る。


 言葉はまだ喉の奥にある。


 三日目。


 あと四日。


 受け取ってはいない。


 それでも昨日まで閉じていた扉が、ほんの少しだけ開いた。


 透は封筒を机へ置いた。


 久保田の言葉を届ける前に、義信自身の言葉を聞く必要がありそうだった。

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