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預かり屋 榊便利堂 -最期の一言を、七日以内に届ける-  作者: MIYA
案件07 「届いたあとの言葉」

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第39話 取下げ



 役場から便利堂へ電話が入ったのは、昼前だった。


 地下書庫の棚が一台、壁から浮いているという。


 「中の書類はこちらで出します。透さんは棚だけ触ってください」


 地下へ下りながら、楓が先に言った。


 「わかってる」


 「前にも同じこと言いましたよね」


 「何の話だ」


 「公図を見たがったときです」


 「見てない」


 「見ようとはしました」


 透は返さず、階段を下りた。


 地下書庫には暖房が入っていなかった。壁際に並んだスチール棚の一つがわずかに前へ傾き、上側の固定金具が浮いている。


 役場の職員が中身を別の棚へ移すまで待ち、透は脚立を立てた。


 「今日直ります?」


 楓が訊く。


 「壁の中まで駄目になってなければ」


 「駄目だったら?」


 「別の日」


 「今日直るほうでお願いします」


 「俺に頼むところじゃないだろ」


 楓はファイルを抱えたまま黙っていた。


 透は金具を外した。穴が広がっているだけで、壁自体には問題なさそうだった。位置を少しずらせば固定できる。


 工具箱から部品を出したところで、向こう側の棚が目に入った。


 古い冊子が年代順に並んでいる。


 町議会会議録。


 背表紙に記された年を追っているうちに、黒瀬が口にした数字を思い出した。


 十六年前。


 「楓」


 「はい」


 「あれ、見られる?」


 楓が視線を追った。


 「会議録ですか?」


 「十六年前の」


 「公開扱いの資料なので、閲覧はできます」


 そこで楓が透を見る。


 「黒瀬さんですか」


 「なんでわかる」


 「十六年前なんて急に言い出す理由、今の透さんにはそれくらいしかないでしょう」


 透はねじを締めた。


 「修理終わってからな」


 「それはこっちの台詞です」


           ※


 棚の固定を終えると、楓は閲覧用の机へ古い会議録を持ってきた。


 「念のため言いますけど、これは公開されている資料だから出せます」


 「わかってる」


 「個人の記録は別です」


 「頼んでないよ」


 「先に言ってます」


 楓は冊子を机へ置いた。


 透は十六年前の目次から黒瀬巌の名を探した。


 時間はかからなかった。


 当時の議員名が並ぶ頁に、黒瀬の名前がある。


 「議員だったんだな」


 「そのころは、ですね」


 楓はそれ以上説明しなかった。


 透は祖父の控え帳にあった、もう一人の名前をメモに書いた。


 十六年前に亡くなり、最後の言葉を黒瀬へ届けた人物だ。


 「この人も探せる?」


 楓は紙を受け取った。


 「何の人です?」


 「知らない」


 「透さんが?」


 「爺さんの帳面に名前があっただけだ」


 楓はメモを返した。


 「会議録に出ているかどうかなら、索引で確認できます」


 二人で数冊を開いた。


           ※


 先に見つけたのは楓だった。


 「これじゃないですか」


 透が名前を確かめる。


 同じだった。


 陳情の一覧に提出者として記載され、その隣の紹介議員欄に黒瀬巌とある。


 透は本文の該当頁を開いた。


 河岸側の道路改修について、町へ対応を求めた陳情だった。


 細かな事情までは読まず、まず日付と名前を確認する。


 祖父の控え帳に並んでいた二人が、役場の記録にも並んでいた。


 「知り合いだったみたいですね」


 楓が言った。


 「少なくとも、この件ではな」


 黒瀬がなぜ最後の言葉の宛先になったのかまではわからない。


 ただ、死ぬ直前になって突然名前を出した相手ではなかった。


 透は次の頁を確認した。


 「この陳情、どうなった?」


 「その年は継続になってます」


 「翌年は?」


 楓が隣の棚を見た。


 「待ってください」


 次の年の会議録を机へ運び、同じ項目を索引から探す。


 しばらく頁をめくったあと、楓の指が止まった。


 「あります」


 透は隣から覗いた。


 同じ陳情だった。


 処理欄には「取下げ」と記されている。


 日付は八月。


 透はその数字を見た。


 十五年前の八月だった。


           ※


 少し前に開いた祖父の控え帳を思い出した。


 十五年前の巻。


 七月までは記録があり、八月から九月にかけて空白になっていた。


 透は会議録の日付をもう一度確認した。


 「透さん?」


 楓が呼んだ。


 「うん」


 「何かあります?」


 「爺さんの帳面も、このころだけ記録がない」


 楓は会議録へ目を落とした。


 「同じ八月?」


 「そう」


 それだけ伝えた。


 陳情が取り下げられたことと、祖父が何も書かなかったことに関係があるとは限らない。


 黒瀬自身が取り下げたのかどうかも、この頁だけではわからなかった。


 楓は会議録を閉じずに言った。


 「コピーします?」


 「ああ」


 「申請だけ書いてください」


 透は渡された用紙へ必要事項を書いた。


           ※


 複写を待っているあいだ、楓は元の冊子を棚へ戻した。


 「この先は、出せるものと出せないものがありますからね」


 戻ってくるなり言う。


 「わかってるって」


 「住民票とか戸籍とか、そういう方向へ行かないなら大丈夫です」


 「行かない」


 「ならいいです」


 楓は机の端を指で二度叩いた。


 透には、その線を越えて何かを頼むつもりはなかった。


 公開されているものを読む。


 本人が話さないことまで追いかけるとしても、今はそこまでだった。


 「透さん」


 「何」


 「昼は?」


 「まだ」


 楓が壁の時計を見る。


 透もつられて見た。


 二時を回っていた。


 「棚の修理、終わったの何時でした?」


 「知らない」


 「十一時半です」


 「そんな前か」


 楓は複写機から出てきた紙を揃えた。


 「食堂まだ開いてますよ」


 「便利堂戻る」


 「食べてから戻ってください」


 「役場の仕事?」


 「違います」


 返事はすぐだった。


 コピーを受け取り、透は結局食堂へ向かった。


           ※


 便利堂へ戻ると、千鶴が机で菓子を食べていた。


 「遅かったですね」


 「役場」


 「棚の修理にしては長くないですか」


 透は会議録のコピーを机へ置いた。


 千鶴が袋を閉じた。


 「やっぱり何か見てきたんじゃないですか」


 「公開資料だよ」


 「そこ強調しますね」


 「大事だからな」


 十六年前の祖父の控え帳を出し、該当する行を開いた。


 亡くなった男から、黒瀬へ。


 その二人の名前が、同じ年の町議会の記録にも残っている。


 千鶴はコピーを読んだ。


 「この陳情を黒瀬さんが議会に持っていったんですか」


 「紹介議員になってる」


 「で、次の年に取下げ」


 「うん」


 千鶴が日付を見る。


 八月。


 透は十五年前の帳面を出さなかった。


 空白の時期はもう覚えていた。


 会議録のコピーだけを折らずに、十六年前の控え帳へ挟んだ。


 その年の記録には、黒瀬の名が一度だけ残っていた。


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