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預かり屋 榊便利堂 -最期の一言を、七日以内に届ける-  作者: MIYA
案件06「祖父の持越」

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第31話 呼び方

年が明けて、便利堂の仕事は年賀状の配達の手伝いから始まった。


 局が人手を集める。町の若い人間が減ったので、透のような便利屋にも声がかかる。三日で終わる仕事だが、この時期には助かる。


 千鶴は郵便局のアルバイトのほうへ行った。時給がこちらより高いので、透が勧めた。


 「透さん、あたしがおらんで平気ですか」


 「平気だ」


 「毎朝の、あれは」


 「いい」


 千鶴はしばらく黙って、それから言った。


 「じゃあ、局から帰りに寄ります」


           ※


 配達で回っていると、この町の家の形がよくわかる。


 表札の出ていない家。郵便受けが塞がれた家。同じ名字が三軒並んだ路地。年賀状の枚数でも、その家に何人住んでいるか見当がつく。


 浦上の家には十二枚あった。ほとんどがノブ宛てだった。


 嫁が玄関で受け取って、透の顔を見て言った。


 「おばあちゃん、この頃よう寝とるんです」


 「悪くなりましたか」


 「先生は、こういうもんですと」


           ※


 三日目の夕方、透は局の裏で自転車を返した。


 局長が出てきて、コーヒーの缶をくれた。四十代の女性で、音吉より三代あとの局長にあたる。


 「浦上さんのことを調べとるんやってね」


 この町は狭い。


 「昔のことなんで、局には何も残っとりませんよ。書類は保存年限がありますから」


 「わかります」


 「けど、写真ならあります」


           ※


 局の二階の物置に、額に入った古い集合写真が並んでいた。


 開局何十周年という札のついたものだ。局長が三枚目を指した。


 「これが浦上さんです」


 白黒の写真だった。局員が十人ほど局の前に並んでいて、中央の男が浦上音吉だった。制服の詰襟をきちんと留めて、背筋を伸ばしている。


 その左端に、見覚えのある顔があった。


           ※


 透は額に近づいた。


 痩せた男が、集合写真の端で少しだけ体を斜めにして立っている。局員ではない。制服を着ていない。


 祖父だった。


 「なんで祖父が写ってるんですか」


 「知りませんけど、外の人も写っとることはありますよ。近所の人とか、出入りの業者とか」


 局長は札を見た。


 「これ、三十三年前です」


           ※


 音吉が死ぬ一年前の写真だった。


 透は写真をしばらく見ていた。祖父はカメラを見ていない。局員たちより半歩下がって、視線が横を向いている。


 便利屋として出入りしていたのだろう。局の掃除か、荷物運びか、そういう仕事で。


 祖父は音吉を知っていた。


 依頼を受ける前から知っていた。だから臨終の場に呼ばれたし、宛先が誰かも聞いてわかった。


 あの人には言えんな。


 その言葉の重さが、少し変わった気がした。


           ※


 夜、梶が来た。


 この日は何も持っていなかった。手ぶらで来て、上がり框に座って、勝手に湯呑みを出す。


 透は局の写真の話をした。


 「そら写るやろ。爺さんは局の仕事もしとった」


 梶はあっさり言った。


 「郵便局は年寄りが多いからな。重いもんは全部よそに頼む。うちの船の網の修理も、爺さんが手伝いに来たことがある」


 「じゃあ、音吉さんとは知り合いだったんですね」


 「知り合いも何も、あの二人は」


 梶はそこで湯呑みを口に運んで、飲まずに下ろした。


           ※


 「碁を打っとった」


 「碁ですか」


 「局の二階でな。局長室に碁盤があってな、あそこは昼休みに人が集まっとった」


 梶は湯呑みを畳に置いた。


 「爺さんは強かった。音吉さんは弱かった。それでもよう打っとった」


 透は畳を見ていた。


 控え帳には、日付と、預かった相手と、届けた相手しか書いていない。碁を打った相手だったとは、どこにも書いていない。


           ※


 戸が開いたのは、そのときだった。


 千鶴が局の制服のまま入ってきた。帰りに寄ると言っていたのを、透は忘れていた。


 「うわ、梶さんおる」


 「おったら悪いんか」


 「悪くないです。麦茶ください」


 自分の家のように上がり込んで、自分でグラスを出した。局の仕事は三日目で、この子はもう手つきが職員のようになっている。


           ※


 千鶴は写真の話を聞くと、身を乗り出した。


 「透さんのお爺さん、どんな人だったんですか」


 訊いたのは梶にだった。


 「どんな人て」


 「あたし、会ったことないので。透さんは自分のこと喋らんし」


 梶は湯呑みを両手で包んだ。


 「堅い人やった。無駄口をきかん。愛想もない」


 「怖い人ですか」


 「怖ないよ。ただ、何を考えとるかわからん人やった」


           ※


 「透さんのこと、可愛がっとったんですか」


 「そら可愛がっとった」


 梶は即答した。


 「こいつが小学校に上がる前な、便利堂の軽トラの助手席に乗せて、どこ行くにも連れて回っとった。荷台に乗せたら危ないいうて、必ず助手席や」


 「へえ」


 「チビスケ、チビスケ言うてな」


 千鶴が笑った。


 「透さん、チビスケって呼ばれてたんですか」


 「呼ばれてたな」


 透は自分でそう言った。言われて思い出した。


           ※


 「中学に上がってからはオマエになったな。背が伸びたから、チビスケでは呼びにくうなったんやろ」


 「二年のときですね」


 「そんなもんや。爺さんが死んだんは、あんたが三年に上がる前やったから」


 梶は麦茶を飲んだ。透の家には冬でも麦茶しかない。


 「わしはいまでもあんたやけどな。高校に上がったあたりから、オマエと呼びにくうなった」


 「なんでですか」


 「知らん。急に大人みたいな顔しよったからやろ」


 千鶴が笑った。梶も少し笑って、それから湯呑みを持つ手を止めた。


 「けどな」


 「はい」


 「爺さんは、あんたのことを一遍も名前で呼んどらんな」


           ※


 透は動かなかった。


 言われるまで、考えたこともなかった。千鶴もグラスを持ったまま黙っている。


 思い返そうとした。小学校の卒業式に祖父は来ていて、校門のところで何か言った。中学の入学式にも来た。透が二年の終わりに祖父は死んだから、思い出せる場面はそこまでしかない。


 どの場面にも、名前がなかった。


 「呼ばれてないですね」


 「呼ばれとらん」


 梶は湯呑みを見ていた。


 「わしも、いま気づいた。三十年近く一緒におって、いま気づいた」


 千鶴が小さい声で言った。


 「あたし、変なこと訊きました?」


 「訊いてない」


 透はそう答えた。訊いてくれなければ、たぶん一生気づかなかった。


           ※


 「他の人のことは、どう呼んでました」


 「あの人はな、誰のことも名前で呼ばんかった」


 梶は言った。


 「浦上さんのことは浦上さんとこの局長さん。うちの婆さんのことは梶さんとこの奥さん。町内会長は会長さん」


 「苗字は呼んでるんですね」


 「苗字は呼んどる。名前は呼ばん」


 梶は少し考えた。


 「そういう人やと思うとった。堅い人やと。それだけの話やと思うとった」


           ※


 梶と千鶴が帰ってから、透は控え帳を全部出した。


 四十年分、八冊。頁をめくって、名前を探した。


 書いてある。預かった相手の欄にも、届けた相手の欄にも、下の名前まできちんと書いてある。浦上音吉。宮下ハル。誰の名前も、省略せずに書いてある。


 棚の奥から、古い年賀状の束も出した。祖父が受け取ったまま捨てられずに残っているものだ。


 その中に、透宛てのものが一枚あった。


 小学校に上がった年に、祖父が孫に出したものだった。


  榊透くん


 祖父の字だった。


           ※


 書ける。


 書けるのに、呼ばない。


 透は年賀状を持ったまま、事務所の畳に座っていた。ストーブの芯が鳴っている。外は風の音がする。海からではなく、山から吹き下ろしてくる音だ。


 喉の奥に、沈んだものがある。


 自分は「ごめん」を失った。祖父は何を失ったのか。

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