第26話 読めない手紙
駐在所は商店街の東の端にある。
自転車が二台停めてあって、片方は宇野の私物だ。窓ガラスに交通安全の古いポスターが貼ってある。日に焼けて、赤が全部抜けていた。
宇野は書類を書いていた。透が入っていくと、顔を上げて眼鏡を外した。
「桑島さんの件ですか」
「わかりますか」
「あんた以外に来る人がおらんので」
宇野は椅子を回して透のほうを向いた。
透は言えることだけを言った。
桑島がブラジルにいたこと。慰霊祭に毎年通っていたこと。向こうから来た手紙を持っていて、読める人を探していたこと。
宇野は最後まで聞いてから、指で机を二度叩いた。
「それ、誰から聞かはったんですか」
「県人会の世話人です。電話で」
「よう辿りましたね」
宇野は感心した口ぶりだったが、目は感心していなかった。値踏みする目だ。透はそれに慣れている。この町の人間は正面から見ないが、この人は正面から見る。
「なんで、そこまで調べるんです」
答えを探した。
この人は六年前に来た。榊の家が何をしているかを知らない。町の年寄りなら「そういう家やから」で済むところが、この人には通じない。
「頼まれたので」
「誰にです」
「桑島さんに」
宇野は眉を上げた。
「亡くなってますよね」
「はい」
沈黙が長くなった。宇野は机の上の書類を揃えて、それから言った。
「まあ、ええです」
「いいんですか」
「あんたの家のことは、少しは聞いとります。この町、噂が早いんで」
宇野は眼鏡をかけ直した。
「信じとるわけやないですけどね」
「その手紙、こっちで探さんとあかんかもしれません」
宇野はそう言った。
「桑島さんの親族を探しとるんです。身寄りなしいうても、法律の上での相続人がおるかどうかは別の話でしてね」
「兄弟とか」
「そう。兄弟が死んどっても、その子がおれば相続人になります。うちの管轄で捜索する義務がある」
宇野は立ち上がった。
「連絡先の手がかりが家の中にあるかもしれん。手紙なら、なおさらです」
「一緒に来てもらえますか」
「俺がですか」
「鍵を開けたんはあんたやから。同じように開けてもらえると早い」
宇野は制帽を取って言った。
「言うときますけど、あんたが自分で入るんは駄目ですよ。今回はうちの仕事に付いてくるだけです」
「わかってます」
「わかっとる人が、門の前に二回立っとったと聞きましたけど」
透は返事をしなかった。この町は噂が早い。
※
桑島の家は、三日前と同じ匂いがした。
ストーブは消してある。誰かが消した。たぶん救急か、宇野だ。冷えた家の空気に、灯油の匂いだけが残っていた。
宇野は手袋をして、居間から始めた。
透は入口に立っていた。そこにおってくださいと宇野に言われている。
仏壇の引き出しが開けられ、茶箪笥が開けられ、押し入れの上の段が下ろされた。宇野の手つきは丁寧だった。物を戻す位置を覚えている手つきだ。
三十分ほどして、宇野が振り返った。
「ありました」
仏壇の下の引き出しから出てきた。
封筒だった。ずいぶん古い。角が擦れて丸くなっていて、表面が手垢で黒ずんでいる。何度も出し入れされたものだとわかった。
宇野が透明な袋に入れて、透のほうへ持ってきた。
「見えますか。触らんといてくださいよ」
封筒の表に、外国の切手が貼ってある。消印は読めない。宛名は日本語だった。桑島与一様、と丁寧な字で書いてある。
裏返した。
差出人の名前が、ローマ字で書いてあった。
透はその字を読もうとした。
Marli。
あるいはMarlie。字が崩れていて判然としない。だがマリアではなかった。
「マリアやないですね」
宇野も同じことを言った。
「マルリ、と読むんですかね」
「わかりません」
その下に住所らしいものが続いている。長い綴りだった。州の名前らしい語が最後に見えたが、透にはそれが地名かどうかも判断できない。
「中身は」
「入っとります。便箋が三枚」
宇野は袋を明かりにかざした。
「全部、向こうの言葉です」
「これ、どうなりますか」
「署に持って帰ります。親族の手がかりになるかもしれんので」
「読めるんですか」
「翻訳は頼めます。時間はかかりますけど」
透は袋の中の封筒を見た。
時間はかかる。その言葉が、いまの透には一番遠い。
「宇野さん」
「なんです」
「差出人の名前と、住所だけ、写させてもらえませんか」
宇野は透を見た。眼鏡の奥の目が、また値踏みの色になった。
「あかんです」
早かった。
「これは捜査に使うもんです。中身も、差出人も、部外者に渡せません」
「わかりました」
「わかってくれますか」
「はい」
透は本当にわかっていた。宇野の言っていることは正しいし、正しいことを言う人に食い下がるのは筋が違う。
ただ、正しさが自分の期限を縮めているのも事実だった。それを恨む相手がどこにもいないことも、わかっていた。
※
家を出るとき、宇野が言った。
「榊さん」
「はい」
「ひとつだけ言うときます。捜査に関係ないことです」
宇野は封筒の袋を胸ポケットに入れた。
「この封筒、開けた跡が何回もあります。糊が剥がれて、また留めて、また剥がれて。読めん手紙を、あの人は何遍も開けとったんですわ」
透は玄関の三和土に立ったまま、それを聞いていた。
「読めんのに、なんで開けるんでしょうね」
宇野はそう言って、先に外へ出た。
※
便利堂に戻ると、千鶴が待っていた。
「どうでした」
「手紙はあった。警察が持っていった」
「読めたんですか」
「読めてない。ポルトガル語だ」
千鶴はしばらく黙って、それからノートパソコンを開いた。
「差出人の名前、覚えてます?」
「マルリ、と読めた。マリアじゃない」
千鶴の指が止まった。
「じゃあ、マリアって誰ですか」
透は答えられなかった。
喉の奥のものは、まだ熱を持っている。桑島の声で、うちは怒っとらんと言い続けている。誰に向かって言っているのかが、四日目にしてまだわからない。




