第25話 八月に行く場所
千鶴は朝から事務所のノートパソコンを開いていた。
便利堂の備品ではない。この子が自分で持ってきたものだ。画面に検索結果が並んでいる。
「移民の慰霊祭、いくつも出てきます」
「多いのか」
「多いです。全国にあります。県人会が主催してるのと、協会がやってるのと、あと霊園そのものが窓口になってるのと」
千鶴は画面を透に向けた。透には文字が小さすぎた。
「白木さんが言うてた、バスで行く集まりって、たぶん県人会のやつです。年寄りが多いから、まとめてバスで運ぶんですよ」
「連絡先は」
「電話番号は載ってます。でも」
千鶴は少し口ごもった。
「平日の昼だけ受付って書いてあります。今日、もう三時です」
透は受話器を取った。呼び出し音が長く続いた。誰も出なかった。
もう一度かけて、同じ結果だった。
「明日、朝からかけます」
千鶴が言った。
「明日で四日目だ」
言ってから、透は自分の口調が硬いことに気づいた。千鶴のせいではない。
「すみません」
「謝るとこじゃない」
「透さんが謝らないから、あたしが謝っときます」
千鶴はノートパソコンを閉じて、それから思い出したように顔を上げた。
「都会の人、いませんでした?」
※
南条陽介は三コール目で出た。
『はい、南条』
「榊だ」
『え、透? どうした、金でも借りるの?』
都会の広告会社にいる同級生だった。年に二回、盆と正月に帰ってくる。帰ってくるたびに服が町から浮いている。本人は気にしていない。
「調べてほしいことがある」
『いいけど、僕いま社内だよ』
「切っていい」
『切らないよ。用件だけ言って』
透は説明した。県人会と慰霊祭のこと。平日の昼しか電話が繋がらないこと。
陽介は途中で一度も口を挟まなかった。それから言った。
『それ、電話じゃなくて世話人に直接あたったほうが早いよ』
『そういう会って、たいてい実務を一人か二人で回してるから。事務局の番号にかけても、その人が居ないと何もわからない』
「どうやって探す」
『会報とか名簿がPDFで上がってることがある。あと霊園側が把握してることもある』
電話の向こうでキーボードの音がした。
『三十分くれる? 折り返す』
「悪いな」
『いいよ。それより透、飯食ってる?』
「なんでみんなそれを訊くんだ」
『みんな訊いてるの?』
陽介が笑って、通話が切れた。
折り返しは二十分で来た。
『世話人の名前がわかった。八十二歳の人。電話番号も出てる』
「早いな」
『会報の巻末に載ってた。個人情報の感覚が昭和のままなんだよ、ああいうの』
陽介の声が少し低くなった。
『透。これ、仕事なの?』
「仕事だ」
『依頼人は』
透は答えなかった。
『……まあいいや。番号送るね』
世話人は、二度目のコールで出た。
名乗ると、相手はしばらく黙っていた。それから、ゆっくり喋り始めた。声の出し方が、この町の年寄りに似ていた。
『クワジマさんね。ずっと来とられましたよ』
「毎年ですか」
『毎年です。バスに乗って。わたしが世話をするようになってから、休まれたのは一度きりです』
「その一度は」
『去年です。体を悪くされたと聞きました』
透は帳面を開いた。
『あの人はね、探しとられたんです』
世話人はそう言った。
「探していた」
『向こうに残った人を。名前は言われませんでしたけど、女の人やということはわかりました』
受話器を持つ手に、力が入った。
「マリア、という名前ではありませんでしたか」
電話の向こうが静かになった。
『……あんた、なんでその名前を』
透は説明を選んだ。
「桑島さんが亡くなりました。一昨日です」
『そうですか』
「その方の言葉を、預かっています」
『言葉』
「うまく説明できません。ただ、マリアという人に届けなければならないんです」
世話人はまた黙った。長い沈黙だった。透は途中で切れたのかと思って、受話器を耳に押しつけた。
『榊さん、と言われましたね』
「はい」
『あんた、あの人から何を聞かはったんですか』
透は迷った。
言えば、この人はたぶん動いてくれる。だが預かった言葉を人に喋るのは、届ける前にやることではない。竹岡さんのときは、宛先の家族に決めてもらうために話した。今回は違う。この人は宛先でも家族でもない。
「言えません」
『そうですか』
「すみません」
『いや、ええです』
世話人の声が、少しやわらかくなった。
『言わん人のほうが、信用できますわ』
『マリアさんのことはね、わたしも詳しくは知らんのです』
世話人は言った。
『ただ、一度だけ、クワジマさんが会で手紙を見せはったことがあります』
「手紙」
『向こうから来た手紙です。何年前やったかな。十年は経っとらんと思います』
「読めたんですか」
『わたしは読めません。ポルトガル語やから。クワジマさんも読めんかったはずです』
透は帳面に書く手を止めた。
「読めない手紙を、見せたんですか」
『そうです。誰か読める人はおらんかと、あの人は訊いて回っとられました』
※
通話を終えて、透はしばらく受話器を置かなかった。
千鶴が横で待っている。
「透さん」
「手紙がある」
「どこに」
「わからん。たぶん、あの家だ」
入れない家だった。
鍵がかかっていて、相続人もわからなくて、勝手に開ければ罪になる。透にできるのは門の外に立つことだけで、それは昨日やった。
千鶴がノートパソコンを開き直した。
「氷見さんに、もう一回訊いてみましょうよ」
「無理だと言われた」
「無理って言われたのは、戸籍と、家に入ることですよね」
千鶴は画面を見ながら言った。
「手紙を探すのが無理とは、まだ言われてないです」
透は千鶴を見た。
この子はときどき、規則の隙間ではなく、質問の隙間を見つける。




