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預かり屋 榊便利堂 -最期の一言を、七日以内に届ける-  作者: MIYA
案件05「マリア」

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第23話 鍵の開いていない家


 ヤマイチの駐車場は、平日の午前でも半分埋まっている。


 この町で買い物ができる場所はここしかない。商店街の店は魚屋と乾物屋と酒屋が残っているだけで、あとはシャッターが下りている。


 透は灯油のポリタンクを二つ、軽トラの荷台から降ろした。店の裏手に給油機がある。


 「透やん」


 振り返ると店長の保坂真弓(ほさか まゆみ)が立っていた。エプロンのポケットに検品用の端末を差している。小中高が同じで、いまも呼び方が中学のころから変わらない。


 「灯油、まだ値上がりするらしいよ」


 「そうか」


 「そうかって、あんた仕事で使うやろ」


 「使う」


 「じゃあ今のうちに入れとき」


 真弓は勝手にレバーを操作して給油を始めた。透は横で立っているだけになった。



 「千鶴ちゃん、週四になったんやってね」


 「なんで知ってる」


 「乾物屋のおばちゃんが言うとった」


 真弓は給油機の数字を見ながら喋る。この人はいつも二つのことを同時にやっている。


 「あの子、あんたのこと心配しとるよ」


 「心配されるほどのことはない」


 「あるやろ。あんた去年、正月に何食べた」


 透は答えられなかった。


 「ほら」


 「……覚えてないだけだ」


 「覚えてないのが問題やろ」


 給油が止まった。真弓はノズルを戻して、伝票を書いた。


           ※


 便利堂に戻ったのは十一時前だった。


 千鶴が事務所の窓を拭いている。頼んでいない。この子は最近、頼んでいない仕事を勝手に増やしている。


 「透さん、電話ありましたよ。桑島さんとこの近所の人から」


 「桑島さん」


 「桑島与一(くわじま よいち)さん。七十八歳。港のほうの一軒家です」


 千鶴はメモを読み上げた。字が丁寧になっている。これも最近の変化だった。


 「新聞が三日たまってて、雨戸も閉まったままやと。それで、駐在さんに連絡したそうです」


 千鶴はメモをもう一行読んだ。


 「駐在さんから折り返しがあって、鍵が開かんかったら開けてほしいと」


 透は作業着の袖を戻した。


 「行く」


 「あたしも行きます」


 「今回は来るな」


 千鶴は雑巾を持ったまま透を見た。それから何も言わずに、事務所の隅から工具箱を出して透に渡した。


           ※


 桑島の家は港の東側にあった。


 平屋で、玄関の前に自転車が一台停めてある。前かごに新聞が三部差してあった。近所の人が抜いて入れておいたのだろう。


 門の前に駐在所の宇野(うの)が立っていた。制服の上に防寒着を着ている。四十過ぎで、この町に来て六年になる。


 「榊さん、悪いね」


 「開かないんですか」


 「裏も勝手口も閉まっとる。窓も全部内側から」


 宇野はインターホンをもう一度押した。応答はない。雨戸を叩いて名前を呼んだが、返事もなかった。


 近所の女が門の外に立っている。連絡をくれた人だ。


 「昨日も一昨日も、電気が点かんかったんよ」


 宇野は無線で何か伝えてから、透のほうを向いた。


 「開けてもらえますか。中で倒れとる可能性があるんで、こっちの判断で入ります。榊さんは開けるだけでええですから」


 「わかりました」


 透は工具箱から金属の板と細いピックを出した。鍵をなくした家に呼ばれることが年に何度かある。便利屋の仕事にはこれが要る。ただし自分の判断で開けたことは一度もない。頼まれるのは家の人か、こういうときの警察官だ。


 古いディスクシリンダーだった。三十秒もかからなかった。


 宇野が先に入った。透はその後ろに続いた。


 玄関を開けると、暖房の匂いがした。


 石油ストーブだ。つけっぱなしになっている。十一月の家の中としては暑すぎた。


 「桑島さん。警察です」


 宇野が声を張った。返事はない。二人とも靴を脱いだ。


 台所に、茶碗が一つ伏せてある。流しは乾いていた。テレビは消えている。


 奥の部屋の襖が半分開いていた。


           ※


 桑島与一は、こたつの横で横向きに倒れていた。


 布団の端を掴んだ形のまま、腕が伸びている。掴もうとして届かなかったのか、掴んでいたものが外れたのかはわからない。


 宇野が先に膝をついた。


 「桑島さん。聞こえますか」


 肩に触れて、それから首筋に指を当てた。


 「ある。呼吸も」


 宇野は無線を口元に寄せて、救急要請を伝え始めた。透はその横で膝をついた。


 桑島の胸が動いていた。ごくわずかに、間隔を空けて。



 宇野は玄関と門の様子を近所の人に説明しに出た。救急を誘導するためだ。透は残った。


 動かすなと言われている。楽な姿勢のままでいいと。そのあいだも桑島の呼吸は続いていた。ゆっくり吸って長く止まる。また吸う。


 透は上着を脱いで丸めて頭の下に差し込んだ。それしかできることがなかった。


 目は開いていた。半分だけだ。焦点はどこにも合っていない。


 「救急車、来ますから」


 言いながら透は自分の内側に意識を向けていた。


 まだ立っていない。器は空いていない。この人はまだこちらにいる。


           ※


 救急はなかなか来なかった。


 着く少し前だった。


 桑島の呼吸が変わった。胸が動かなくなって、代わりに顎が持ち上がった。口が開いて閉じて、また開く。喉の奥で音が鳴った。


 透の中に、あの静けさが立った。


 やめてくれと思う暇もなかった。器はもう空いていた。


 桑島の唇が動いた。


 声は出ない。それでも透に届いた。


  「マリアに」


 桑島の声だった。老人の声ではない。腹から出ている。鉄を打つ音の向こうまで届かせるための出し方だった。


  「マリアに、うちは怒っとらんと言うといてくれ」


 透は口を閉じた。


 入ってきた。今度は熱かった。飲み込んだものが喉の途中で止まって、そこでしばらく熱を持っていた。


 顎の動きが二度あって、三度目はなかった。


           ※


 玄関の外でサイレンが止まった。


 救急隊が入ってきて、透は部屋の隅へ下がった。宇野が状況を説明している。処置は始まったが長くはかからなかった。隊員の一人が時計を見た。


 透は廊下に立っていた。


 ストーブがまだ燃えている。誰も消していない。



 外に出ると、近所の人が三人集まっていた。真弓もいた。ヤマイチの制服の上にコートを着ている。


 「あんた、大丈夫け」


 「大丈夫だ」


 「顔が白いよ」


 真弓は透の腕を掴んで、少し離れたところへ引っ張った。人の輪から出したのだとわかった。


 「桑島さん、身寄りは」


 「いない。奥さんは十年くらい前に亡くなって、子どもはおらん」


 真弓は即答した。この人はこの町の家族構成をだいたい把握している。


 「マリアという名前に、心当たりはあるか」


 真弓の眉が動いた。


 「マリア」


 「知ってるか」


 「知らん。けど」


 真弓は少し考えた。


 「桑島さんとこ、昔ブラジルに行っとったんちゃうかな」


 透は真弓を見た。


 「ブラジル」


 「戦後にな、この辺から出た人がおるんよ。移民や。うちのじいちゃんの兄さんも行っとる」


 真弓はコートの襟を立てた。海からの風が強くなっていた。


 「桑島さんは、たしか若いころに向こうにおって、途中で帰ってきた人や。造船所に入る前の話やから、五十年くらい前かね」


 「戻ってきた理由は」


 「知らん。そこまでは聞いとらん」


 真弓は自転車の前かごの新聞を見た。三部とも湿っている。


 「透やん。マリアって、向こうの名前やろ」


           ※


 便利堂に帰る道で、透はハンドルを握ったまま考えていた。


 届けるには宛先の前に立たなければならない。電話でも手紙でも届かない。祖父の代からそうだ。


 もしマリアがブラジルにいるなら、七日で会いに行けるだろうか。


 行けたとして、その人は生きているだろうか。


 喉の奥のものは、まだ熱を持っていた。この熱が七日目にどうなるのかを、透は知らない。腐るところまで持ったことが一度もないからだ。

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