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預かり屋 榊便利堂 -最期の一言を、七日以内に届ける-  作者: MIYA
案件04「こたつ」

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第22話 呼ばなかった

竹岡ハツが亡くなったのは、それから六日後だった。


 電話をくれたのは佳代だった。朝の八時前で、透はまだ布団の中にいた。


 『今朝です。眠ったままでした』


 「……そうですか」


 『こたつで寝てました。夜のうちに、そのまま』


 透は受話器を持ったまま、天井を見ていた。


 『あの日から毎日、こたつに入ってました。まだ十月やのに、暑い暑い言いながら』


           ※


 葬儀は常光寺だった。


 白木が経を読み、本堂は前のほうの席が埋まった。ハツは実の母で、実の葬儀は伏せて行われたから、この日、二つの死がまとめて町に知られることになった。


 「息子さんも、ついこの前に」


 「そうらしいわ」


 「知らんかった」


 「誰も知らんかったんや」


 焼香の列で、そういう会話が交わされていた。佳代を責める声ではなかった。ただ、驚いている声だった。


 透は列の後ろに並んだ。


 喉の奥に、何も入っていない。器は空のままだ。



 精進落としの席で、佳代が透の隣に来た。


 喪服のまま、折詰も持たずに座った。


 「榊さん」


 「はい」


 「あの日から、母は毎日こたつに入ってました」


 「聞きました」


 「十月にこたつなんて、暑いに決まってるんです。でも出せって言われて、出しました」


 佳代はそこで一度、言葉を切った。


 「母は、こたつで実の話ばっかりしてました。子どものころの話です。実が小学校で川に落ちた話とか、高校で原付を勝手に買うた話とか。同じ話を、日に三回くらい」


 「はい」


 「わたし、聞いたことのない話もありました」


 「あの六日は」


 佳代は湯呑みを見ていた。


 「あの六日は、あってよかったと思います」


 透は膝の上で手を組んだ。


 「そう言ってもらえると」


 「でも」


 佳代は透を見なかった。


 「あの六日がなかったら、母はもっと長く生きたかもしれません」



 言葉が出なかった。


 「先生は、そんなことはないと言いました。心臓が限界だったし、いつ止まってもおかしくなかったと」


 佳代は続けた。


 「でも、それは慰めです。わたしにはわかります。母は、知ってから、力を抜いたんです」


 「……力を」


 「待つのをやめたんです。あの子が帰ってくるのを」


 佳代は湯呑みを両手で包んだ。


 「待ってるあいだは、人は死なんのやないですか」


 透は答えられなかった。


 答えを持っていなかった。


 届けたのは自分だ。だが届けると決めたのは、この人と、この人の母親だった。誰の判断が正しかったのかは、どこにも書いていない。


 「すみません、こんな話」


 佳代は湯呑みを置いた。


 「責めてるんやないんです。ほんまに」


 「わかってます」


 「わかってません」


 佳代は初めて透のほうを向いた。


 「わたし、自分でもどっちかわからんのです。よかったとも思うし、余計なことをしたとも思う。両方あるんです、同時に」


 「もうひとつ、言うておきたいことがあります」


 佳代は喪服の膝を伸ばした。


 「母が亡くなる前の晩、少しだけ目が覚めたんです」


 透は顔を上げた。


 「何か言おうとしてました。口が動いてました」


 「……」


 「わたし、榊さんを呼ぼうかと思いました」


 佳代の指が、膝の上で組まれた。


 「呼べば、榊さんが来て、母の最後の言葉を預かってくれるんやろなと思いました。それが仕事なんやろなと」


 「はい」


 「でも、呼びませんでした」


           ※


 寺の広間は、まだ人の話し声で埋まっている。誰も、この会話を聞いていない。


 「なんでですか」


 訊いたのは透だった。訊くつもりはなかったのに、口が動いた。


 「もう、いいと思ったんです」


 佳代は言った。


 「母は聞くべきものを聞きました。あとは、わたしが聞けばよかった」


 「聞けましたか」


 「聞こえませんでした」


 佳代の目が、少しだけ動いた。


 「口は動いてたのに、声にならなくて。わたしが耳を近づけたときには、もう寝てました。それきりです」


           ※


 透は湯呑みの中を見た。茶はもう冷めている。


 あの晩、自分がその場にいれば、預かれたかもしれない。ハツが最後に言おうとした一言は、いまごろ自分の喉の奥に据わっていたかもしれない。


 だが佳代は呼ばなかった。


 呼ばなかったことを、透は責められない。責める理屈がない。


 消えたのだ。誰にも届かず、誰にも預けられず、そのまま。


 この町では、たぶん毎日、そういうことが起きている。四十年ぶんの控え帳に書かれているのは、間に合ったぶんだけだ。


 「榊さん」


 佳代は立ち上がった。


 「請求書、出してくださいね」


 「はい」


 「庭の分と、それから」


 佳代は少し考えて、それからやめた。


 「庭の分だけでいいです。あとのは、値段がつかんでしょう」


 「……はい」


 「兄が、あなたに世話になりました」


 佳代は頭を下げて、別の席へ行った。


           ※


 寺を出ると、楓が門の外にいた。


 喪服ではない。役場の制服のままだった。昼休みに抜けてきたらしい。


 「終わりましたか」


 「終わりました」


 二人で参道を歩いた。銀杏がまだ緑で、地面には何も落ちていない。


 「氷見さん」


 「はい」


 「意見、変わりましたか」


 楓は少し歩いてから答えた。


 「変わりません」


 「そうですか」


 「わたしはいまでも、届けないほうがよかったと思っています。竹岡さんのお母さんが喜んだことと、それは別です」


 楓は前を向いたまま言った。


 「でも、榊さんが届けてよかったとも思ってます。両方です」


 「両方ですか」


 「両方です。おかしいですか」


 「いえ」


 透は言った。


 「佳代さんも、同じことを言ってました」


           ※


 その夜、梶が来た。


 千鶴が麦茶を出して、三人で事務所に座った。


 「終わったんやってな」


 「終わりました」


 梶は湯呑みを持ったまま、しばらく黙っていた。


 「爺さんはな、こういうときに何も言わんかった」


 「言わない」


 「終わったあとは、飯食うて寝るだけや。良かったも悪かったも言わん。わしが訊いても、そうか、としか言わんかった」


 梶は湯呑みを畳に置いた。


 「わしはな、あれを冷たい人やと思うとった。長いこと」


 「いまは」


 「わからん」


 梶は透を見た。


 「けど、良かった悪かったを毎回背負うとったら、四十年はもたんやろな」


           ※


 梶が帰ってから、千鶴が事務所の床に座り込んだ。


 「透さん」


 「うん」


 「あたし、あの日のこと、よかったと思ってます」


 「そうか」


 「でも、佳代さんが言うてたことも、わかるんです」


 千鶴は膝を抱えた。


 「なんか、全部わかっちゃうと、しんどいですね」


 透は帳面を開いた。白紙の頁を見て、また閉じた。


 「しんどいな」


 「透さん、いつもこうなんですか」


 「いつもだ」


 「じゃあ、しんどいのを十年くらいやってるってことですか」


 「十三年だ」


 「数えてるんですか、そこ」


 「爺さんが死んだ年から数えると、そうなる」


 千鶴はしばらく黙っていた。


 「あたし、明日から週四で来ます」


 「増やさなくていい」


 「増やします」


           ※


 十一月に入ると、町は急に暗くなった。


 日が落ちるのが早い。四時半には商店街に明かりが点く。三つに一つは切れたままだ。


 依頼の中身も変わった。網戸を外して雨戸を直す。灯油タンクを点検する。屋根の雪囲いの見積もりが入り始める。この町の冬は、来るとわかっている災害のようなものだ。


 透は事務所の窓から、暮れていく商店街を見ていた。


 冬が来る前に、屋根の見積もりを回らなければならない。今年も同じ家から同じ依頼が来る。この町の一年は、そうやって回っている。

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