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預かり屋 榊便利堂 -最期の一言を、七日以内に届ける-  作者: MIYA
案件04「こたつ」

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第20話 口を開けない

電話が鳴ったのは、夜の九時前だった。


 『竹岡です』


 佳代の声は、昨日より落ち着いていた。落ち着きすぎている、と透は思った。


 『決められません』


 「はい」


 『一日考えて、それが答えです。すみません』


 透は受話器を持ち直した。


 「わかりました」


 『わかったって、榊さん、明日で』


 「明後日です。まだ一日あります」


 電話の向こうで、佳代が息を吸う音がした。


 『明日、庭に来てもらえますか』


 「条件があります」


 佳代は言った。


 『母には、届けないでください。明日は、ただ庭の仕事をしに来てください』


 「ハツさんに会わせる、ということですか」


 『会ってから決めてほしいんです。榊さんが、じゃなくて、わたしが』


 佳代の声が少し掠れた。


 『わたし、母がいまどんな顔をしてるか、毎日見てるのに、わからなくなってて。他人の目で見てもらったら、何かわかるかもしれないと思って』


 透は事務所の壁を見ていた。


 届けないという条件で、宛先の前に立つ。


 できないことではない。言葉が出るのは、口を開いたときだけだ。閉じていれば出ない。


 つまり明日、透は一言も喋れない。


 「わかりました。行きます」


           ※


 翌朝、透は千鶴を連れていった。


 「え、なんであたしも」


 「喋る役がいる」


 「意味わかんないです」


 軽トラの助手席で、千鶴は納得のいかない顔をしていた。透は運転しながら説明した。


 「俺は明日まで、あの家で口を開けない。開けたら出る」


 「あ」


 千鶴が身を乗り出した。


 「じゃあ、透さん、無言で庭木切るんですか」


 「そうだ」


 「めっちゃ怖いですよ、それ」


 「だから、お前が喋る」


 千鶴はしばらく黙って、それから小さく言った。


 「……了解です」


           ※


 竹岡の家に着くと、ハツは縁側にいた。


 毛布を膝にかけて、日の当たるほうを向いて座っている。十月の朝は冷えるが、この人は外にいたがるのだと佳代が言っていた。


 「榊さん、来たん」


 透は会釈をした。


 「あら、今日はお連れさん」


 「あ、はじめまして。藤木千鶴です。乾物屋の孫です」


 「藤木さんとこの。あんた、大きなったねえ」


 「知ってるんですか」


 「知っとるよ。お宮参りのとき見とる」


 千鶴が「うわ、こわ」と言って、ハツが笑った。笑うと目のまわりの皺が全部動く。第一印象のとおりの人だった。


 透は脚立を立てて、山茶花の生垣に取りかかった。


 鋏を入れる。手を動かしているぶんには、何も問題がない。


 問題は、喉だった。


 この家に入った瞬間から、ずっと動いている。舌の付け根が持ち上がって、何かがそこまで来ている。奥歯を噛んで、口を閉じたまま息をする。鼻から吸って、鼻から吐く。


 三十分もすると、顎が痛くなってきた。


 「榊さん」


 ハツが縁側から声をかけた。


 「今日は、静かやね」


 透の手が止まった。


 千鶴が縁側のほうへ走っていった。


 「あの、透さん、喉やられてて。声出ないんです」


 「あら、風邪」


 「そうです。夏の疲れが出たとかで」


 「もう秋やのに」


 「秋に出るんです、あの人は」


 ハツがまた笑った。


           ※


 昼前に、佳代が縁側に茶を運んできた。


 透にも湯呑みが出た。透は受け取って、両手で持ったまま、飲まなかった。飲むには口を開けなければならない。


 佳代がそれに気づいた。


 目が合って、佳代がわずかに首を振った。すみません、という意味だと透にはわかった。


 千鶴が代わりに二杯飲んだ。


           ※


 ハツは、よく喋る人だった。


 千鶴が相手をしていると、話が次から次へと出てくる。乾物屋の初代のこと、商店街に映画館があったころのこと、去年の台風で屋根が飛んだ家のこと。


 その合間に、ぽつりと混ざった。


 「実がね、こたつ出しに帰ってくるん」


 千鶴の背中が、わずかに固くなったのが透にはわかった。


 「毎年、十一月の終わりに。もう二十年になるかね」


 「そうなんですか」


 「わたしが出すいうても、聞かんの。腰やるから言うて」


 ハツは膝の毛布を撫でた。


 「今年も来るやろか」


 千鶴は答えなかった。


 答えられなかったのだと思う。透も、答えられる立場ではなかった。


 佳代が奥から出てきて、明るい声で言った。


 「来るよ、そら。あの人、それだけは休まんもん」


 「そやね」


 ハツはうなずいた。


 うなずき方が、少し遅かった。


           ※


 午後、生垣を終えて、松に移った。


 脚立の上から、縁側が見える。ハツが千鶴に何か話していて、千鶴が身振りを交えて答えている。ときどきハツが笑う。


 その姿を見ながら、透は考えていた。


 この人は、知らない。


 息子が入院していると思っている。こたつの季節に帰ってくると思っている。だから縁側で日を浴びて、十一月のことを話している。


 それを壊す資格が、自分にあるのか。


 喉の奥のものが、また動いた。


           ※


 三時ごろ、ハツが部屋へ入った。薬の時間だという。


 佳代が庭に出てきて、脚立の下に立った。


 「榊さん、すみません。今日は」


 透は首を振った。それから、作業着のポケットから小さなメモ帳を出した。便利屋の見積もり用のものだ。


 鉛筆で書いた。


  だいじょうぶです


 佳代がそれを読んで、少し笑った。


 「筆談って、久しぶりに見ました」


 透はもう一枚めくって、書いた。


  ハツさんは、実さんが帰ってくると思っています


 佳代の顔から笑いが消えた。


 「……はい」


  それでいいと思います


 佳代がメモを見つめた。


  でも、こたつの季節が来ます


 佳代はしばらく、そのメモを見ていた。


 「わかってます」


 小さな声だった。


 「十一月になって、兄が来なくて、それでも入院してるって言い続けるんですよね。母が死ぬまで」


 透はうなずいた。


 「そのあいだ母は、待つんですよね」


 うなずくしかなかった。


 佳代は縁側のほうを見た。ハツのいない縁側に、膝掛けの毛布が畳んで置いてある。


 「わたし、母に何回嘘つくんやろ」


           ※


 仕事を終えたのは、四時過ぎだった。


 道具を軽トラに積んで、透は門のところで一度振り返った。


 縁側に、ハツが戻ってきていた。手を上げている。


 透は頭を下げた。声を出せないぶん、深く下げた。


 軽トラに乗って、門を出て、二百メートルほど走ってから、透は路肩に停めた。


 窓を開けて、大きく口を開けた。


 何も出なかった。宛先から離れれば、言葉は動かない。


 透は顎の付け根を指で押した。半日、噛みしめ続けた場所だ。押すと鈍く痛んだ。


 「透さん」


 助手席の千鶴が、前を見たまま言った。


 「あたし、今日、しんどかったです」


 「悪かった」


 「透さんに謝られると、もっとしんどいです」


 千鶴はシートに深く座り直した。


 「あのおばあちゃん、たぶん、気づいてますよ」


 透は千鶴を見た。


 「なんでそう思う」


 「わかんないです。でも、今年も来るやろかって訊いたとき、あれ、答えを聞きたい訊き方じゃなかったです」


 明日が七日目になる。


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