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預かり屋 榊便利堂 -最期の一言を、七日以内に届ける-  作者: MIYA
案件04「こたつ」

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第18話 知らないでいる権利

役場の裏の自販機の前で、楓は缶に手をつけないまま聞いていた。


 全部話した。庭で実が倒れたこと、預かった言葉、佳代が母に伝えていないこと。話し終えるまで、楓は一度も口を挟まなかった。


 最後まで聞いてから、楓は言った。


 「わたしは、届けないほうがいいと思います」


 思っていたより、はっきりした言い方だった。


 「妹さんの判断は、間違ってないです。お医者さんもそう言ってる。八十一歳で心臓が悪くて、あと何か月かの人に、息子さんが死んだと知らせる。それは」


 楓はそこで一度、言葉を選んだ。


 「知らせるほうが正しいとは、わたしには思えません」


 「知る権利がある、とは思いませんか」


 「思います。でも」


 楓は缶を両手で包んだ。


 「知る権利は、知らないでいる権利でもあるはずです。知りたくない人に知らせるのは、権利じゃなくて、押しつけじゃないですか」


 透は答えなかった。


 言い返せなかったのではない。楓の言っていることは、透が三日間ずっと自分に言い聞かせてきたことと、ほとんど同じだったからだ。


           ※


 「氷見さん。ひとつだけ、わかってほしいことがあります」


 「はい」


 「俺には、届けないという選択肢がありません」


 楓の眉が動いた。


 「宛先の前に立てば、口が勝手に開きます。俺の意思は関係ない。だから俺に選べるのは、行くか、行かないかだけです」


 「行かなければいいじゃないですか」


 「行かなければ、七日目に言葉が腐ります」


 自販機のモーターが低く鳴った。


 「腐ったら、俺の中に居座って、二度と出ません。代わりに、俺の言葉がひとつ消えます」


 楓の手から力が抜けるのが見えた。缶の表面に、指の跡が白く残っている。


 「……それ」


 「はい」


 「それ、ずるいです」


           ※


 楓は自販機の横のベンチに座った。透も座った。


 「ずるいというのは」


 「榊さんじゃなくて、その仕組みがです」


 楓は前を向いたまま言った。


 「わたしはさっきまで、届けるか届けないかの話をしてました。届けないほうがいいと思ってた。でも、届けないと榊さんが減るんですよね」


 「減る、というと」


 「言葉がひとつなくなるって、そういうことでしょう」


 透は自分の喉に手を当てた。


 「そうかもしれません」


 「じゃあわたしは、竹岡さんのお母さんを守るために、榊さんを削れって言ってることになります」


 楓は膝の上で手を組んだ。


 「言えません、そんなこと」


           


 しばらく、二人とも黙っていた。


 役場の裏を、職員が通っていった。楓に会釈をして、透の顔をちらりと見て、行ってしまった。


 「氷見さん」


 「はい」


 「意見を変えなくていいです」


 楓が透のほうを向いた。


 「俺は届けるほうへ行きます。氷見さんは届けないほうがいいと思ってる。それでいいです」


 「よくないです」


 「よくないですか」


 「よくないですけど」


 楓は少し笑った。笑ったというより、笑おうとして失敗した顔だった。


 「……わたしが正しいって言ってもらえないのは、初めてかもしれません」


 「え」


 「役場だと、だいたい、こっちが規則を出したら終わりなので」


           ※


 その夜、梶が来た。


 いつもどおり戸を叩かずに入ってきて、透の家の湯呑みを勝手に持っている。千鶴が麦茶を注いだ。


 「梶さん、こういうときって、どうしてたんですか」


 訊いたのは千鶴だった。透が話したことを、この子はもう全部把握している。


 「こういうときいうんは」


 「届けたら相手が壊れるかもしれないとき」


 梶は湯呑みを持ったまま、しばらく動かなかった。


 「……爺さんはな」


 「はい」


 「四十年やって、一遍だけしくじった」


 透は顔を上げた。


 初めて聞く話だった。持越の件は聞いている。三十二年前の、宛先が死んでいた一件だ。だがそれは「しくじり」とは言われなかった。


 「一遍だけ、というのは」


 「一遍だけや。四十年で」


 「持越とは、違う話ですか」


 梶は答えなかった。


 湯呑みを畳に置いて、音を立てた。


 「わしにも、わからんのや」


 「わからない」


 「爺さんのしくじりがな、届けられんかったことなんか、届けてしもたことなんか。そこがわからん」


 千鶴が麦茶のグラスを持ったまま、動きを止めた。


 「あの人、それだけは最後まで言わんかった。わしが訊いても、そこだけは」


           ※


 梶が帰ってから、透は事務所の畳に座っていた。


 千鶴が向かいに座って、膝を抱えている。


 「透さん、明日どうするんですか」


 「行く」


 「入れるんですか。門のとこで止まってたって」


 「止まった」


 透は自分の膝を見た。


 「でも、忍び込むのはやめる」


 「え」


 「庭の続きの仕事がある。行けば、ハツさんは縁側に出てくる。それで終わりだ。届く」


 千鶴が身を乗り出した。


 「それって、だまし討ちじゃ」


 「だまし討ちだ」


 透は言った。


 「だから、それはやらない」


           ※


 祖父は、届ける前に何度も家に通ったという。世間話をしに来る顔をして、二日も三日も待った。


 受け取れる形にしておくために。


 立花トキが言っていた。届いたら終わりではない。届いたあと、受け取った者がそれを持って生きるのだ、と。


 だとしたら、いま自分がやるべきことは、こっそり縁側の前に立つことではない。


 「佳代さんに、話す」


 「話すって、何をですか」


 「全部だ。俺が何を預かっているか。届けなければどうなるか。届ければどうなるか」


 「反対されますよ、絶対」


 「されるだろうな」


 透は帳面を閉じた。


 「そのうえで、決めてもらう。ハツさんに聞かせるかどうかを」


 千鶴はしばらく黙っていた。


 「それ、佳代さんに全部背負わせることになりませんか」


 「なる」


 「なるんかい」


 「でも、俺が黙って届けたら、佳代さんは何も選べない」


           ※


 翌朝、透は役場に電話をかけた。


 楓はすぐに出た。


 「昨日の話ですけど」


 『はい』


 「忍び込んで届けるのは、やめます」


 電話の向こうで、何かを置く音がした。


 「妹さんに全部話して、決めてもらいます。届けるかどうかを、俺じゃなくて、あの人に決めてもらう」


 しばらく間があった。


 『……それ、榊さんが損をしませんか』


 「損はします。断られたら、言葉は腐ります」


 『じゃあ』


 「でも、氷見さんの言ってたことは、それしか通し方がないので」


 電話の向こうが静かになった。



 『榊さん』


 「はい」


 『わたし、その場に立ち会ってもいいですか』


 透は受話器を持ち直した。


 『役場の人間としてじゃなくて、勝手に休みを取って行きます。妹さんが、届けないと決めたときに、榊さんの隣に誰もいないのは、なんか、嫌なので』


 「……氷見さん」


 『あと』


 楓の声が少しだけ低くなった。


 『わたしはまだ、届けないほうがいいと思ってます。それは変えません』


 「はい」


 『変えませんけど、榊さんのやり方は、いいと思います』


 通話が切れてからも、透はしばらく受話器を持っていた。

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