第15話 三つの位牌
戸倉自動車整備工場へ着いたとき、事故車のそばには昨日と同じ警察官がいた。
航は少し離れた作業台で伝票を書いている。透を見つけると、事故車の後部へ顎を向けた。
「荷室の奥から箱が出たんやって」
警察官が車内から灰色の段ボール箱を下ろしていた。蓋はすでに開いており、中身を一つずつ確認して写真を撮っている。
透は邪魔にならない位置から見た。
黒塗りの位牌が三つ入っていた。
どれも布に包まれていたらしく、警察官が包みを戻して箱へ納めていく。透の位置から文字までは読めなかった。
「昨日、あの箱を見ましたか」
警察官に訊かれ、透は首を横へ振った。
「事故のときは運転席しか見てません」
「運転手さんから、荷物について何か聞きました?」
「いえ」
それで質問は終わった。
警察官は箱を車へ積み直さず、ほかの確認物と一緒に持っていった。
航が伝票から目を上げる。
「位牌持って走るって、何やろな」
「わからん」
「寺にでも持ってく途中やったんかな」
透は答えなかった。
それを訊くなら、思い当たる相手が一人いた。
※
常光寺の本堂は、朝から蒸していた。
白木は本尊の前で花を替えているところだった。古い水を捨て、新しい水を入れた花器へ茎の長さを整えながら挿していく。
「位牌を三つ、車に積んどったんですか」
「そう聞きました」
「ほう」
白木は最後の一本を挿し、少し離れて花の向きを確かめた。
「和尚さん。そういうことってあります?」
「ありますよ。家を畳むときなんかはね」
白木は鋏を片づけ、濡れた手を布巾で拭いた。
「家に仏壇を置けんようになったとか、墓を守る人がおらんようになったとか。そういう相談は昔より増えました。位牌を寺へ持ってくる方もおります」
「寺で預かるんですか」
「場合によります。過去帳へ移して、最後はお焚き上げすることもあります」
白木が笑う。
「榊さんとこの『預かる』とは、だいぶ違いますけど」
「そりゃそうですね」
透も少し笑った。
白木は本堂の縁へ腰を下ろした。
「ただ、三ついう数だけで何か決めたらあきませんよ。一軒の家に位牌が三つあるのは別に珍しないですから」
「はい」
「車に積んどった理由も、寺へ持っていく途中とは限らん。家から家へ移すだけかもしれません」
透は頷いた。
聞けば聞くほど、位牌が三つあるというだけでは何もわからなかった。
「早瀬という家、この寺にありますか」
白木はすぐには答えなかった。
「過去帳の中身は言えませんよ」
「わかってます」
「墓なら裏にあります」
それだけ言って、白木は立ち上がった。
※
寺の裏手には、古い墓地が広がっていた。
夏草が石の間から伸び、白木が何本か抜きながら先を歩く。墓の場所を直接教えることはせず、透がついてこられる速さで奥へ進んでいった。
途中で白木が立ち止まる。
「刻んである名前を読む分には、わしが止めることでもないですから」
「ありがとうございます」
「礼はまだ早いですよ。探すんでしょう」
白木は本堂へ戻っていった。
透は墓石の名字を一つずつ確認した。
ほどなく、一番奥に近い列で早瀬家の墓を見つけた。
墓石そのものは古い。
土台には苔が残り、墓誌も風雨で文字が薄くなっている。ただし、周囲の草は最近抜かれたらしく、隣の区画より地面が見えていた。
水鉢にも水が残っている。
透は墓誌の前へしゃがんだ。
いくつか名前が刻まれているが、早瀬昭三の名はなかった。
だからといって、生きているとは限らない。
墓誌へ名を刻まない家もある。別の墓に入っている可能性もあれば、まだ納骨していないことだってある。
マルの件もあった。
墓を見ただけで、生きているか死んでいるかを預かり屋の感覚で決められるほど、この仕事は単純ではない。
透は喉を試そうとはせず、墓の前に残されたものだけを見た。
新しい線香の灰。
抜いた草をまとめた跡。
水鉢の水。
最近ここへ来た人間がいる。それ以上のことはわからなかった。
※
本堂へ戻ると、白木は縁側で麦茶を飲んでいた。
透にも一杯出され、隣へ腰を下ろす。
「墓じまいをするときは、先に寺へ相談するんですよね」
「普通はそうですね。石を動かす前に、閉眼供養の相談がありますから」
「早瀬家から、何かありませんでした?」
白木はコップを置いた。
「家ごとの相談内容は答えにくいですね」
「ですよね」
透が引こうとすると、白木は少し考えてから続けた。
「ただ、名前を名乗らん電話ならありました」
透は白木を見る。
「閉眼供養について聞きたい、いう問い合わせです。どのくらい前やったかな」
白木は庫裏へ入り、しばらくして大学ノートを一冊持って戻った。表紙には予定と書いてある。
中身は透へ見せず、自分で頁を確認する。
「先月ですね。日にちを決めるところまではいかんかったんですけど、流れと費用を聞かれました」
「どこの墓かは?」
「早瀬家とは言われました」
白木はノートを閉じた。
「電話した人は名乗らなかったんですか」
「名前は聞いとりません。ただ、男の方でした」
透はもう一つ訊こうとして、何を訊くつもりだったのか一拍だけ掴めなくなった。
白木が待っている。
透は麦茶を一口飲んだところで思い出した。
「早瀬さん本人からの電話だった可能性は?」
「ないとは言い切れません」
白木はそこで言葉を止めた。
「けど、少し変わった言い方はしてました」
「どんな?」
白木はノートの表紙を指で押さえた。
「早瀬さんが生きとるうちに、片付けてしまいたいんです、と」
透は返事をしなかった。
白木も、それが何を意味するのかまでは言わない。
「電話した人の声、覚えてます?」
「若い人ではなかったですね。五十くらいか、それより上か。電話だけやから当てにはなりませんよ」
事故で亡くなった男も、そのくらいに見えた。
それでも一致したと決めるには足りない。
「その人、もう一度電話するとか言ってました?」
「日を決めてから連絡する、と。結局そのあと電話はありません」
白木はノートを閉じたまま、透の方へは渡さなかった。
※
便利堂へ戻ると、千鶴が伝票を束ねていた。
透から話を聞き終えると、輪ゴムをかける手を止める。
「じゃあ、早瀬昭三さんは生きてるんですか」
「まだ決められない」
「でも電話の人が」
「『生きてるうちに』って言っただけだ。その人が勘違いしてる可能性もある」
千鶴は口を尖らせた。
「透さん、最近ほんと慎重ですね」
「前が雑だったみたいに言うな」
「言ってません」
「言ってるだろ」
千鶴は笑いながら伝票へ戻った。
透は帳場へ座り、ここまでにわかったことを控え用紙へ追記した。
三番倉庫を借りていた早瀬鉄工。社長の早瀬昭三。事故車に残っていた古い鍵と、三つの位牌。それに、常光寺へかかってきた閉眼供養の問い合わせ。
ただし、どれも事故で亡くなった男の名前にはならなかった。
透はそこで書くのをやめた。
紙の端に白木から聞いた問い合わせの日付だけを控え、その横へ小さく印をつける。
次に調べるなら、電話をかけてきた男の方だった。




