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『真理子という名前』  作者: 蔭翁


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第21話 審査員席の波紋 ――風間隼の違和感



田村紗江の歌が終わり、

鳳雅シンフォニア・ドームの空気は、ゆっくりと次の演奏へ移ろうとしていた。


だが――


審査員席の中央で、風間隼はまだペンを動かしていなかった。


(……妙だな)


彼は腕を組み、ステージを見つめる。



---


■ 三つの声


風間のノートには、すでに三つの名前が並んでいた。


星野玲

佐久間詩

田村紗江


それぞれの横に、短いメモが書かれている。


玲 ――「完成された光」

詩 ――「揺れを抱えた前進」

紗江 ――「透明な迷い」


風間はその三行を見つめながら、ゆっくりと息を吐いた。


(普通なら、結論は簡単だ)


完成度で言えば、玲が抜けている。


歌唱技術。

表現。

舞台での存在感。


すべてが整っている。


だが――


(それだけじゃ、説明がつかない)



---


■ 審査員たちの会話


隣に座る女性審査員が小さく言った。


「今年はレベルが高いですね」


風間は軽くうなずく。


「ええ、例年より面白い」


別の審査員が、資料をめくりながら言った。


「でも本命はやはり星野玲でしょう。

 完成度が違います」


その言葉に、数人が静かに同意する。


風間は否定しなかった。


だが、心の奥で何かが引っかかっていた。


(本当に……それだけか?)



---


■ 観客の空気


風間はふと、観客席を見渡す。


人々の表情。


真剣な顔。

感動している顔。

何かを探すような顔。


(さっきの紗江の歌)


完璧ではない。


むしろ、不安定だった。


それなのに――


観客の何人かは、明らかに目を離せなくなっていた。


(“技術”じゃないところで、何かが動いている)



---


■ 舞台袖の三人


ステージ袖では、詩と紗江が小さく言葉を交わしていた。


「紗江ちゃん、ほんとに良かった」


「ありがとう……でも、まだ全然だよ」


二人は笑う。


そこへ玲が静かに加わる。


「次の子、近畿代表だったよね」


紗江がうなずく。


「藤原葵さん」


玲の瞳がわずかに動いた。


(……近畿代表)


昨日の演奏も印象に残っている。


技術の安定感。


そして、どこか冷静すぎるほどの集中力。


(この大会、まだ何人も“牙”を持ってる)



---


■ 再び舞台へ


場内アナウンスが流れる。


「――次の出場者、近畿代表・藤原葵」


観客席のざわめきが一度だけ広がる。


舞台袖から、黒いドレスの少女が歩み出る。


姿勢は真っ直ぐ。


足取りに迷いはない。


詩が小さく呟く。


「……すごい空気」


玲は静かに言った。


「この子、舞台慣れしてる」



---


■ 風間の違和感


審査員席で、風間はゆっくりと姿勢を正した。


(来たか)


藤原葵。


昨日の歌も、完成度が高かった。


だが――


風間は自分の直感にまだ確信が持てなかった。


(この大会……)


彼はノートに新しい一行を書き加える。


「“正解”が一つとは限らない」


そしてステージを見る。


照明が、藤原葵を照らす。


ホールが静まり返る。


次の声が、この空気をどう変えるのか――


審査員席の波紋は、まだ広がり続けていた。



---


(第21話・了 → 第22話「藤原葵 ――静かな完成形」へ続く)

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