第19話 紗江の祈り ――揺れる心、揺れない願い
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北海道代表・小林悠の歌声がホールへ広がる中、
田村紗江は舞台袖で胸の前で手を組んでいた。
(……落ち着いて。大丈夫、大丈夫だから)
自分に言い聞かせても、胸の鼓動は強くなるばかりだった。
詩の歌。
玲の静かな強さ。
そして、これから登場する他の参加者たち――。
その全てが、紗江を揺らしていた。
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■ 自分の名前を呼ばれた日のこと
(私、なんでこのオーディションに来たんだっけ……)
神奈川県代表に選ばれた日のことを思い出す。
嬉しかった。
でも同時に――怖かった。
「紗江だったら、きっと大丈夫だよ!」
事務所のスタッフにそう言われたのに、
“自信”という言葉だけは、どうしても胸に宿らなかった。
(みんなみたいに……確かな何かがあるわけじゃない)
紗江の強みは“透明さ”だとよく言われる。
けれど、それが本当に武器なのか、彼女には分からなかった。
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■ 詩の“変化”が胸を刺す
(詩ちゃん……昨日とは別人みたいだった)
ただ歌うのではなく、
届けようとしていた。
それは紗江にとって、まぶしさよりも焦りに近かった。
(あんなふうに……私、歌えるのかな)
震える指先を見つめながら、紗江は小さく息を吸った。
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■ 玲の言葉
「紗江」
玲の声がする。
紗江が顔を上げると、玲は壁にもたれたまま、落ち着いた眼差しで彼女を見ていた。
「そんな顔してると、声まで震えるよ」
図星だった。
「……わかります?」
「わかるよ。私も昔、よくしてた顔だから」
紗江は思わず眉を上げた。
「玲さんでも……?」
玲は静かに笑った。
「ステージに立つ人で、怖くない人なんていないよ。
ただね、怖さとどう向き合うかだけ」
その言葉が、紗江の胸にじんわり染みていく。
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■ 紗江の“祈り”の形
北海道代表の歌が終わり、会場が拍手に包まれる。
スタッフが袖に走り込んでくる。
「次、神奈川代表の田村さん、準備お願いします!」
ついに来た。
足が少し震える。
けれど――紗江は胸に手を当て、そっと目を閉じた。
(うまく歌えますように――)
違う、と心が言った。
(違う……私は、“勝ちたい”んじゃない)
目を開く。
そこには、揺れながらも立とうとする自分がいた。
(ちゃんと……届けたい)
誰に?
審査員に?
観客に?
家族に?
――違う。
(今日までの“私自身”に)
昨日より今日。
今日より、少し先の自分。
その“向こう側”に声が届くように。
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■ 玲が見た紗江の背中
ステージに向かって歩き出す紗江の背中を見て、玲は小さくつぶやいた。
「……行っておいで」
その声音には、競争相手ではなく“仲間”としての温かさがあった。
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■ 光の中へ
紗江がステージに出ると、広いホールの空気がふっと揺れた。
まるで彼女を迎えるように。
(緊張……してる。
でも、大丈夫。……大丈夫、紗江)
深く息を吸う。
照明の光が、彼女の瞳に静かに落ちた。
そして、伴奏の一音目が静かに始まる――。
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(第19話・了 → 第20話「紗江の声 ――透明な音が揺れる理由」へ続く)
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