閑話 神剣グランディアの記憶
私は、神剣グランディア。
神界に生まれ、神の力を宿し、世界を守るために存在していた。
人々を救うための剣。
悪しきものを退け、弱きものを守るための剣。
それが、私の存在する意味だった。
けれど、私は盗まれた。
邪神ヴァルガディアによって神界から連れ去られ、気がつけば見知らぬ場所に置かれていた。
そこには、一人の女がいた。
修道服を身にまとい、穏やかな笑顔を浮かべた女。
彼女の名前は、アマンダ。
「ふふ、ようやく手に入れて貰ったわ、長かった…これで私も…」
その言葉を聞いたとき、私は嫌な予感がした。
彼女の目には、私を敬う気持ちも、人々を救おうという願いもなかった。
あるのは、目的を達成するためなら何をしても構わないという、歪んだ執念だけだった。
「さあ、行きましょう」
アマンダは私を持ち上げた。
そして、また別の場所へ向かった。
そこには、何人もの少女たちがいた。
彼女たちは怯えていた。
何をさせられるのかも分からず、大人たちに連れてこられた少女たち。
私は、彼女たちに触れられることを拒んだ。
私に適応できない人間を、これ以上巻き込みたくなかったからだ。
触れようとした者には、魔力を放って拒絶した。
それでも、アマンダは諦めなかった。
「この子も駄目ね」
少女が適応できないと分かると、彼女は平然と言った。
その後、何が起きたのか。
私は、思い出したくもない。
人間を人間として扱わない。
命を、ただの材料として扱う。
私の魔力を使い、禁忌の魔法を行使する。
人々が苦しんでも、アマンダは気にも留めなかった。
「役に立たなかったのだから、仕方ないでしょう?」
彼女は笑っていた。
その笑顔を見るたび、私は自分の存在を呪いたくなった。
私の魔力が、こんなことに使われている。
人々を守るために与えられた力が、人々を苦しめるために使われている。
止めたい。
何とかして止めたい。
けれど、私は剣だった。
自分の意思だけで動くことも、アマンダから逃げることもできない。
私ができるのは、触れようとする人間を拒絶することだけ。
それすらも、アマンダには通用しなかった。
彼女は何度でも少女たちを連れてきた。
何度でも、私に適応する人間を探した。
そのたびに、私は叫びたくなった。
やめて。
もうやめて。
お願いだから、やめて。
けれど、その声は誰にも届かなかった。
私は神剣だ。
神の力を宿す剣だ。
それなのに、目の前で起きていることを止められない。
何もできない。
何も守れない。
私の存在する意味は、いったい何なのだろう。
そうして、どれほどの時間が過ぎたのか。
ついに、アマンダは一人の少女を連れてきた。
少女は、ほとんど声を出さなかった。
怯えているのか、疲れているのか。
私には分からなかった。
ただ、彼女の目を見たとき、私は胸が痛くなった。
この子も、望んでここに来たわけではない。
この子も、何も知らないまま連れてこられたのだ。
「この子なら、きっと大丈夫」
アマンダは嬉しそうに笑った。
「ようやく、あなたを使えるわね」
私は拒絶した。
少女が私に触れようとした瞬間、魔力を放った。
近づかないで。
お願いだから、私に触れないで。
あなたまで、巻き込みたくない。
少女は驚いて手を引っ込めた。
それを見たアマンダは、眉をひそめた。
「まだ抵抗するの?」
そして、少女を押さえつけた。
「いい加減にしなさい」
私は必死に抵抗した。
けれど、アマンダは私を少女の身体へと押し込んだ。
逃げられなかった。
拒絶できなかった。
私と少女の境界が、ゆっくりと失われていく。
少女の意識が、私の中へ流れ込んできた。
恐怖。
混乱。
悲しみ。
そして、言葉にできないほどの孤独。
私は初めて、人間の心に直接触れた。
少女は叫んでいた。
声にならない声で。
助けて、と。
いや、違う。
助けてと叫んでいたのは、少女だけではなかった。
私もまた、叫んでいた。
誰か。
誰か、助けて。
お願いだから、もうやめて。
私たちを、助けて。
けれど、誰も来なかった。
やがて、融合は終わった。
少女は、禁忌の魔法を発動させるためのコアにされた。
アマンダは満足そうに笑った。
「やっと完成したわ」
その言葉を聞いたとき、私は理解した。
私は、この少女を守れなかった。
拒絶したはずなのに。
守ろうとしたはずなのに。
結局、私は彼女を巻き込んでしまった。
少女の心には、耐えきれないほどの記憶が刻まれていた。
私は、その記憶に触れた。
彼女が感じた恐怖。
助けを求めても、誰も応えてくれなかった絶望。
自分が何のために連れてこられたのかも分からないまま、すべてを受け入れるしかなかった悲しみ。
その一つ一つが、私の中にも流れ込んできた。
もう、これ以上は駄目だ。
この子の心が壊れてしまう。
私は、少女の記憶を消すことにした。
すべてを消すことはできなかった。
けれど、少なくとも、彼女が耐えられないほどの苦しみだけは、私の中にしまっておこうと思った。
少女の心に、静けさが戻った。
それでも、彼女の心は深く傷ついていた。
私は、どうすればいいのか分からなかった。
ただ、そばにいることしかできなかった。
少女は、私に語りかけることがなかった。
もともと、ほとんど声を出さない子だった。
だから私は、彼女の心にそっと語りかけた。
ごめんね。
守れなくて、ごめんね。
少女から返事はなかった。
それでも、私は語りかけ続けた。
だいじょうぶ。
ここにいるよ。
あなたは一人じゃないよ。
何もできない私に、できることはそれだけだった。
少女が不安になれば、そばにいる。
少女が怯えれば、心を支える。
少女が眠るときには、少しでも穏やかな夢を見られるように願う。
それだけを繰り返した。
私は、神剣だ。
本来ならば、人々を救うための剣。
けれど、私は何一つ救えなかった。
だから、せめて。
せめて、この少女だけは。
この子が、もう一度誰かを信じられるようになるまで。
この子が、自分の人生を取り戻せる日まで。
私は、そばにいよう。
少女が私に尋ねたことがある。
それは、記憶の中の出来事だったのかもしれない。
それとも、心の中で交わした言葉だったのかもしれない。
少女は、私に問いかけた。
どうして、助けてくれるの?
私は答えた、明るく無理矢理な口調で。
だいじょうぶ。
かみさまが、たすけてくれる。
そう、必死に答えるしかなかった。
神様なら、きっと助けてくれる。
そう信じたかった。
私自身が、神界から盗まれた身であったとしても。
神の力を宿しながら、何もできなかったとしても。
それでも、誰かが助けてくれると信じたかった。
そして、ようやく、その日は訪れた。
少女の身体から、私を取り出してくれた者たちがいた。
精霊の王の力を持つ少年と精霊の女王。
彼らは少女を傷つけることなく、私を取り出してくれた。
少女は解放された。
私は、再び剣になった。
その瞬間、少女の心に触れていた感覚が遠ざかっていった。
私は思わず、心の中で叫んだ。
待って。
もう少しだけ。
この子が一人にならないように、もう少しだけそばにいさせて。
けれど、少女は彼らに守られ、私から離れていった。
私は、何もできなかった。
ただ、願った。
どうか、この子が幸せになれますように。
どうか、もう二度と苦しまなくて済みますように。
そして、いつか。
私がこの子にしたことを、謝れる日が来ますように。
私は神剣グランディア。
人々を守るために存在する剣。
その意味を、私は長い間、見失っていた。
けれど、あの少女と融合したことで、ようやく思い出した。
守るということは、敵を倒すことだけではない。
誰かのそばにいること。
その心が折れないよう、支え続けること。
何もできなくても、見捨てないこと。
それもまた、私にできることだったのだ。
今、私はリオンという男の手の中にいる。
彼は私の声を聞き、アマンダを追うと言ってくれた。
彼なら、きっと。
今度こそ、あの女の悪行を止めてくれるかもしれない。
そして、いつか少女が笑える日が来たなら。
私は、もう一度だけ伝えたい。
ごめんね。
そして、ありがとう。
私のそばにいてくれて。
生きていてくれて。
ありがとう。




