第403話 精霊祭り
邪神ヴァルガディアへの対策として、ガルリオン共和国全土を覆う巨大な結界の構築が始まってから、半年が経過した。
そして、ついに結界が完成した。
「……本当にできたんだな」
城の屋上から空を見上げ、リオンは感心したように呟いた。
普段と変わらない青空だ。
目を凝らしても、結界らしきものは見えない。しかし、ゼオンによれば、共和国全土が見えない壁に包まれているらしい。
「父さん、ちゃんとできてるよ! 精霊たちも喜んでる!」
隣にいたゼオンが、嬉しそうに報告した。
「そうか。よく頑張ったな」
「えへへ。ゼルファさんが難しいところを考えてくれたんだ。精霊の女王様も、たくさんの精霊を集めてくれたよ!」
「私は助言と調整をしただけですよ。ゼオンの力がなければ、ここまで大規模な結界にはならなかったでしょう」
精霊の女王は穏やかな笑みを浮かべた。
その横で、ゼルファが肩を回す。
「いや、疲れたぞ。魔法陣の設計から、魔力の流れの調整まで、やることが多すぎる。途中で何度、設計をやり直したと思っているんだ」
「それでも完成させてくれた。感謝している」
リオンが素直に頭を下げると、ゼルファは少し驚いた顔をした。
「おいおい。急に頭を下げるな。調子が狂うだろ」
「感謝しているんだから、仕方ないだろう」
「そういうところは、相変わらずだな……」
ゼルファは苦笑した。
結界は、外部からの侵入や魔法による干渉を防ぐために設計されている。ただし、あらゆる攻撃を完全に防げるわけではない。未知の力に対しては、これからも調査と改良が必要になる。
それでも、何もない状態に比べれば大きな一歩だった。
「よし。約束どおり、祭りをやろう」
リオンは三人を見回した。
「祭り、ですか?」
精霊の女王が首を傾げる。
「ああ。結界の完成を祝うのと、協力してくれた三人への感謝を込めてな。人間だけじゃなく、精霊も参加できる祭りにする」
「本当!?」
ゼオンの顔がぱっと明るくなった。
「精霊たちも来ていいの?」
「もちろんだ。むしろ、来てもらわないと困る」
「やった!」
ゼオンは両手を上げて喜んだ。
こうして、ガルリオン共和国で初めてとなる、人間と精霊が一緒に楽しむ大規模な祭りの準備が始まった。
祭り当日。
王都の大通りには色とりどりの飾りが吊るされ、広場には屋台が並んでいた。
焼きたての肉、甘い菓子、香ばしいパン。料理の匂いが通りに広がり、あちこちから楽しげな声が聞こえてくる。
普段なら人間が集まる場所に、今日は精霊たちの姿もあった。
小さな光の精霊が子供たちの頭上を飛び回り、風の精霊が屋台の煙を吹き飛ばす。水の精霊は噴水の水を踊らせ、火の精霊は料理人の火加減を手伝っていた。
「おい、火の精霊! ちょっと火が強すぎるぞ!」
屋台の料理人が声を上げる。
火の精霊は、まるで悪びれた様子もなく、くるりと空中で回った。
「おいおい、逃げるな!」
料理人が追いかけると、周囲から笑い声が起こった。
別の場所では、子供たちが小さな風の精霊と追いかけっこをしている。
「待ってよー!」
『ほらほら、捕まえてごらん!』
風の精霊が楽しそうに逃げ回り、子供たちが夢中になって追いかけていた。
少し離れた場所では、人間の職人と土の精霊が一緒になって木製の遊具を組み立てている。
「そっちをもう少し持ち上げてくれ!」
『こう?』
「そうそう! 助かるよ!」
人間と精霊の間に、以前ならあったはずの遠慮や警戒はほとんど見られなかった。
もちろん、最初から全員が打ち解けていたわけではない。
人間の中には精霊を恐れる者もいたし、精霊の中にも人間に近づきたがらない者がいた。
だが、同じ屋台で食べ物を買い、同じ遊びに参加し、一緒に笑っているうちに、少しずつ距離が縮まっていった。
「リオン、これは良い祭りになったな」
ガルヴァンが、串焼きを片手にやってきた。
「お前、仕事はどうした?」
「今日は祭りだろうが。細かいことを気にするな」
「……お前はいつも細かいことを気にしないだろ」
「うるせえ。ほら、これ食え。うまいぞ」
ガルヴァンが串焼きを差し出す。
リオンはそれを受け取り、一口食べた。
「……確かにうまいな」
「だろ?」
ガルヴァンは満足そうに頷いた。
そのとき、二人の前を小さな精霊が飛んでいった。精霊はガルヴァンの串焼きを見つめると、彼の手元に近づいてきた。
「おい。これは俺のだぞ」
ガルヴァンが串焼きを持ち上げる。
精霊はじっと見つめたまま動かない。
「……一口だけだぞ」
ガルヴァンが肉を少し分けてやると、精霊は嬉しそうに光りながら飛び去っていった。
リオンはその様子を見て笑った。
「ずいぶん優しいじゃないか」
「食い物を分けただけだ。変な意味はねえよ」
「そうかそうか」
「その顔をやめろ!」
ガルヴァンの声に、近くにいた人々が笑った。
広場の中央には、大きな舞台が設けられていた。
そこでは人間の楽団と、音を操る精霊たちが一緒になって演奏をしている。
人間の楽器が奏でる旋律に、風の精霊が柔らかな音を重ね、水の精霊が澄んだ音色を響かせる。
楽譜もなければ、事前に決めた細かな取り決めもない。
互いの音を聞きながら、自由に演奏しているのだ。
最初は少しばらついていた音も、やがて一つの曲のようにまとまっていった。
演奏が終わると、大きな拍手と歓声が沸き起こった。
「すごいね、父さん!」
ゼオンがリオンの手を引いた。
「ああ。俺もこういう演奏は初めて見たよ」
「精霊たち、すっごく楽しそう!」
「そうだな」
リオンは広場を見渡した。
人間と精霊が肩を並べて食事をし、遊び、音楽を楽しんでいる。
種族が違うからといって、必ずしも分かり合えないわけではない。
そのことを、目の前の光景が教えてくれていた。
「陛下」
精霊の女王が、静かに近づいてきた。
「このような場を用意していただき、ありがとうございます」
「礼を言うのは俺の方だ。国全体を守る結界を作ってくれたんだからな」
「結界だけではありません。人間と精霊が、こうして一緒に笑い合える場を作ってくださった。それが、私には何より嬉しいのです」
精霊の女王は、広場に目を向けた。
そこでは、年老いた人間の男性が精霊に踊りを教えようとしていた。精霊の方はなかなかうまく踊れず、何度も同じ場所をくるくると回っている。
男性は笑いながら、もう一度手本を見せていた。
「……こういうのも悪くないな」
リオンが呟いた。
「はい」
精霊の女王も頷いた。
日が暮れると、祭りはさらに賑やかになった。
王都のあちこちに明かりが灯され、光の精霊たちが空へ舞い上がる。
小さな光が集まり、夜空に星のような模様を描き出した。
その下で、人々は手を叩き、精霊たちは楽しそうに踊っている。
リオンは広場の端に立ち、その光景を眺めていた。
「父さん、楽しい?」
ゼオンが尋ねる。
「ああ。思っていた以上にな」
「僕も! またやりたいね!」
「そうだな。来年もできるといいな」
ゼオンは満面の笑みを浮かべた。
少し離れた場所では、ゼルファが精霊たちに囲まれていた。
「おい、待て! 俺は酒を飲んでいるんだぞ! そんなに引っ張るな!」
どうやら、精霊たちに踊りへ誘われているらしい。
「ゼルファさん、頑張って!」
ゼオンが声をかけると、ゼルファはこちらを睨んだ。
「お前、あとで覚えていろよ!」
そう言いながらも、ゼルファは精霊たちに引っ張られ、広場の中央へ連れていかれた。
リオンは思わず吹き出した。
半年間、結界の構築に力を尽くしてくれたのだ。今日くらいは、あの頑固な研究者にも思い切り楽しんでもらおう。
祭りは夜遅くまで続いた。
人間と精霊。
これまで違う世界の住人のように扱われることもあった両者が、この日ばかりは同じ場所で笑い合っていた。
大きな結界が完成したことは、ガルリオン共和国にとって重要な出来事だった。
だが、リオンにとって、それ以上に嬉しいことがあった。
自分たちが守ろうとしている国には、こうして笑い合える人々がいる。
そして、その輪の中には人間だけでなく、精霊たちもいるのだ。
リオンは夜空を見上げた。
「……この国を守らないとな」
誰に聞かせるでもなく、そう呟く。
邪神ヴァルガディアの脅威は、まだ消えていない。
それでも今夜だけは、余計なことを考えずにいたかった。
人間と精霊の垣根を越えた、楽しい祭り。
ガルリオン共和国に、新たな伝統が生まれた夜だった。




