第399話 アルベール領の再建と古き邪神の調査
アルベール領主館を拠点とした調査は、想像以上に時間がかかった。
イザベラが領地を実質的に支配していた期間は長く、その間に行われた不正も一つや二つではなかったからだ。
リオンは日本側の現地調査員と協力し、押収した帳簿や命令書を一つずつ確認していった。
その一方で、領地を立て直すための措置も進めなければならなかった。
「まずは重税を止める。イザベラが独断で追加した税は、すべて取り消しだ」
領主館の会議室。
リオンの言葉に、集められた役人たちがざわついた。
「しかし、リオン様。税収が減れば、領地の運営に支障が出る可能性が……」
「領民から搾り取った金で領地を運営していたのか?」
「い、いえ、そういう意味では……」
「なら、必要な税と不正な徴収を分けろ。通常の税までなくすとは言っていない」
リオンは机の上に帳簿を置いた。
「この記録にある臨時徴収や、理由の分からない追加税は認めない。すでに徴収した分も調査し、返還できるものは返還する。勝手に土地や家を取り上げられた領民についても、被害を確認して補償しろ」
役人たちは顔を見合わせた。
今までイザベラの命令に従っていた者たちにとって、方針の転換は簡単ではない。
だが、リオンは譲らなかった。
「領地を立て直すと言った以上、まずは領民の生活を立て直す。それができなければ、何のための領主だ」
会議室が静かになった。
グスタフは少し離れた席で、そのやり取りを聞いていた。
彼は救出後、日本側の医療班による治療を受け、少しずつ体力を取り戻していた。まだ長時間の活動は難しいものの、領主としての仕事には復帰し始めている。
しかし、リオンの前では相変わらず気まずそうな顔をしていた。
もっとも、リオンの方も積極的に話しかけるつもりはなかった。
今は親子の関係をどうするかより、片づけるべき問題が多すぎる。
重税の取り止めが決まると、次は拉致被害者の捜索が始まった。
教会で救出された農家の少女から話を聞き、暗部部隊と日本側の調査員が情報を整理していく。
イザベラの部下が関わった事件だけでなく、行方不明者の記録も調べ直した。
税を払えずに土地を失った者。
領主館へ呼び出されたまま戻らなかった者。
商人との取引に関係した後、突然姿を消した者。
ばらばらだった情報を突き合わせると、これまで見過ごされていた事件が次々と浮かび上がってきた。
「こちらの名簿にも、同じ人物の名前があります」
日本側の調査員が資料を示す。
「領主館の記録と、教会に残されていた記録の両方に?」
「はい。時期も一致しています」
「なら、優先して所在を確認してくれ。生存している可能性があるなら、捜索を急ぐ」
リオンはすぐに指示を出した。
被害者がすでに別の場所へ移されている可能性もあった。教会の地下に残されていた記録だけでは、すべてを把握できない。
捜索は領内だけにとどまらず、周辺の町や街道沿いの宿場にも広がった。
同時に、被害を受けた領民への賠償も進められた。
不当に没収された土地や家屋については、記録と証言を照合し、返還可能なものから順に手続きを進める。財産がすでに失われていた場合には、被害額を算定して賠償金を支払う方針となった。
もちろん、金を払えばすべて解決するわけではない。
家を失った者には住む場所が必要だし、生活の基盤を失った者には仕事を取り戻す手助けも必要だった。
そのため、領主館では支援を担当する役人を選び直し、被害者から直接話を聞く窓口も設けた。
「ずいぶんと手間がかかるな」
ある日の夕方、書類の山を前にリオンが呟いた。
向かいの席にいたガルヴァンが、呆れたように笑う。
「当たり前だろ。人の生活をぶっ壊すのは簡単だが、元に戻すのは面倒なんだよ」
「分かっている」
「分かってるなら、もう少し休め。お前、昨日もほとんど寝てねえだろ」
「お前もだろうが」
「俺はいいんだよ」
「よくない」
リオンが即座に返すと、ガルヴァンは舌打ちした。
「……本当に面倒くせえ王様だな、お前」
「お互い様だ」
そんなやり取りをしながらも、二人は書類を片づけ続けた。
一方、イザベラへの調書作成はフィーナが担当することになった。
リオンが尋問すれば、イザベラはエドワードの死を持ち出し、感情的になって話が進まない可能性が高い。
そこで、フィーナが事実関係を整理しながら質問を重ねることになった。
イザベラは拘束された状態で、領主館の一室に設けられた聴取室へ移された。
「あなたがアルベール領で行ったことについて、順番に確認します」
フィーナは机に資料を広げた。
「まず、領民に対する追加徴税。次に、税を払えなかった者からの土地や家屋の没収。そして、教会への関与についてです」
「私は何も悪いことなどしていません」
イザベラは即座に答えた。
「領地を維持するために必要なことをしただけです」
「では、この徴収した金は何に使ったのですか?」
フィーナが帳簿を示す。
「同じ商人へ、何度も多額の金が支払われています。しかし、取引内容が記されていません」
「覚えていません」
「こちらの記録には、教会へ物資を運ぶよう命じた書類もあります」
「知らないわ」
「では、地下の礼拝堂にあった魔法陣については?」
イザベラの表情が変わった。
「……あれは」
ほんの一瞬だった。
だが、フィーナはその反応を見逃さなかった。
「あの礼拝堂で、あなたはシスターと一緒にいました。あの場所で何をしていたのですか?」
「あなたたちには関係ないことよ!」
「関係はあります。あの場所では人を操る魔法が使われ、少女が連れ去られていました」
「私は……!」
イザベラは口を閉ざした。
フィーナは声を荒らげず、淡々と質問を続けた。
誰がシスターを連れてきたのか。
いつから教会を利用していたのか。
ヴァルガディアという名を、どこで知ったのか。
そして、マサラ王国の住民失踪事件について何か知っているのか。
質問を重ねても、イザベラは認めようとしなかった。
エドワードの死については何度も口にする一方、それ以外の質問には「知らない」「覚えていない」と繰り返す。
それでも、調書は少しずつ積み上がっていった。
証言と押収資料を照合すれば、彼女の話に矛盾がないか確認できる。
フィーナは焦らなかった。
「急いで答えを出す必要はありません。あなたの言葉も、記録も、すべて照らし合わせます」
イザベラはフィーナを睨みつけた。
しかし、フィーナは視線をそらさなかった。
問題は、ヴァルガディアについての調査だった。
教会で見つかった記録には、古代語らしき文字や、通常の信仰とは異なる儀式の痕跡が残されていた。
フィーナは過去の文献を調べ、ゼルファは魔法陣の構造を分析することになった。
リオンとガルヴァンは、調査が滞らないよう交代でガルリオン共和国へ戻った。
領地再建の指示を出す者が必要だったし、共和国側にも放置できない仕事がある。
リオンが共和国に戻っている間はガルヴァンがアルベール領に残り、ガルヴァンが戻ればリオンが現地で調査を進める。
その繰り返しだった。
そして、二人だけでは判断できない事柄が出てくるたび、リオンは新たな協力者を呼び寄せた。
最初に来たのはゼルファだった。
「この魔法陣、ずいぶんと妙な構造をしているな」
地下の礼拝堂を調べたゼルファは、床に残された痕跡を見つめていた。
「普通の召喚術とも、精神干渉の魔法とも違う。複数の術式を組み合わせているように見えるが……肝心な部分が欠けている」
「欠けている?」
リオンが尋ねる。
「ああ。最初からこの形だったのか、それとも何かを取り除かれたのか、まだ分からない。だが、術式の一部が失われているように見える」
「その欠けた部分が、住民失踪事件と関係している可能性は?」
「否定はできないな。だが、今の段階では断定できない」
ゼルファは慎重だった。
分からないことを、分かったふりで埋めるつもりはないらしい。
リオンにとっても、それはありがたかった。
続いてゼオンと精霊の女王が呼ばれた。
ゼオンは礼拝堂に入るなり、少し不安そうに周囲を見回した。
「父上、ここに嫌なものがあるの?」
「まだ分からない。だから、お前たちに調べてもらいたいんだ」
精霊の女王は静かにうなずき、魔法陣から少し距離を取った。
「この場所には、自然な魔力の流れとは異なる痕跡があります。ですが、すでに大部分が乱されているようです」
「ヴァルガディアという邪神については?」
リオンが尋ねると、精霊の女王の表情がわずかに険しくなった。
「その名は、古い記憶の中に残っています。かつて封じられた存在……そう伝えられていますが、封印の詳細までは分かりません」
「封印が弱まっている可能性は?」
「可能性だけならあります。しかし、今ここにある痕跡だけでは判断できません」
ゼオンも魔法陣の周囲を慎重に調べたが、すぐに答えは出なかった。
それでも、精霊の女王が見つけた魔力の乱れは、ゼルファが指摘した術式の欠落と一致する部分があった。
人間側の資料調査と、魔法の専門家による分析。
異なる方向から調べることで、少しずつ情報がつながり始めていた。
そうして、二ヶ月ほどの時間が過ぎた。
アルベール領では、追加徴税が停止され、不当に没収された土地や家屋の返還が進んだ。賠償金の支払いも始まり、拉致被害者の捜索によって新たな被害の実態も明らかになっていった。
すべてが元通りになったわけではない。
失われたものは多く、賠償だけでは埋められない傷もある。
それでも、領民の暮らしには少しずつ落ち着きが戻り始めていた。
領主館の周囲にいた武装兵は整理され、不正に関与した役人についても調査が進められた。
グスタフは医療班の治療を受けながら領主としての仕事に復帰し、領地の再建を進めていた。
そして、ある日の夕方。
執務室で書類を確認していたリオンのもとへ、グスタフがやって来た。
「リオン」
「何だ?」
「……感謝する」
グスタフは短く言った。
その表情は素直ではなかった。礼を言うこと自体、相当な葛藤があったのだろう。
リオンは書類から目を上げた。
「感謝するくらいなら、領地を立て直すことに集中しろ」
「分かっている」
グスタフは答えた。
それから、なぜかリオンを睨みつけた。
「だが、お前に言われなくても、私は領主だ。これからは自分で責任を取る」
「そうしてくれ」
リオンは平然と返した。
グスタフの眉間にしわが寄る。
「……本当に可愛げのない息子だな」
「今さらだろ」
「そうだな。今さらだったな……」
グスタフは小さく息を吐いた。
二人の間に、親子らしい温かさが戻ったわけではない。
過去のわだかまりは残っているし、簡単に埋められるものでもなかった。
それでも、グスタフは領主として再び立ち上がり、リオンは共和国の王として必要な仕事を進めている。
今は、それで十分だった。
その夜、リオンは調査資料を整理していた。
アルベール領の再建は、ようやく安定し始めている。
だが、ヴァルガディアについては、依然として分からないことが多かった。
シスターは黒い煙となって消えた。
魔法陣には欠落した部分がある。
そして、マサラ王国から住民が消えた事件とのつながりも、まだ確認できていない。
「二ヶ月も調べて、これか……」
リオンは資料を机に置いた。
時間をかけたからといって、必ず答えが出るわけではない。
だが、ここで調査を止めるわけにもいかなかった。
日本側の調査員は、引き続き館と教会の証拠を整理している。ゼルファたちは魔法陣の分析を続け、フィーナはイザベラの調書と古い文献を照合していた。
それぞれの調査が、いつか一つにつながるはずだ。
リオンは窓の外を見た。
「ヴァルガディア……お前は何をしようとしている?」
答えは、まだない。
アルベール領は安定した。
しかし、事件の根本は解決していない。
リオンは再び資料を手に取り、調査を続けた。




