第396話 魅惑魔法が効かない男
暗い隠し通路は、思っていたよりも長かった。
リオンはサーモセンサーを確認しながら、慎重に進んでいく。
画面に映る二つの熱源は、少し先で動きを止めていた。
「……この先か」
やがて階段が現れた。
上へと続く階段を駆け上がると、古い木製の扉が見えた。
リオンは扉を押し開けた。
そこは教会の二階だった。
窓から差し込む夕日が、埃っぽい部屋を赤く染めている。
そして、その部屋の中央に二人の女がいた。
イザベラと、薄気味悪い笑みを浮かべたシスターである。
「あら?」
シスターが振り返った。
「まさか、ここまで追ってくるとは思いませんでしたわ」
イザベラの顔が青ざめた。
「リ、リオン……! どうして、ここが……!」
「どうしてだと?」
リオンの額に青筋が浮かんだ。
「こっちは仲間を操られ、助けに来た少女まで襲いかかってきたんだぞ! お前らのせいで、どれだけ面倒なことになったと思ってる!」
リオンは二人に向かって歩き出した。
「もう逃がさん。イザベラ、お前には聞きたいことが山ほどある。シスター、お前もだ!」
イザベラは後ずさった。
だが、シスターは逃げようともしなかった。
むしろ、楽しそうに口元を歪めた。
「まあまあ。そんなに怒らなくてもよろしいではありませんか」
「黙れ!」
リオンが一気に距離を詰めようとした、その時だった。
シスターが片手を持ち上げた。
「魅惑の囁き」
淡い光が部屋に広がった。
リオンの足が止まった。
そのまま、彼は黙って立ち尽くす。
「……ふふ」
シスターは満足そうに笑った。
「これでよろしいのです。あなたも、私の魔法には逆らえませんわ」
イザベラが恐る恐る尋ねた。
「動かなくなったの……?」
「ええ。私の魅惑魔法は、人の心に入り込み、意志を縛るのです。抵抗することも、私に逆らうこともできなくなります」
シスターはリオンの周囲をゆっくり歩き始めた。
「人間というものは、本当に扱いやすいものですわね。少し魔力を流してあげるだけで、こちらの言うことを聞いてくれるのですから」
彼女はくすくすと笑った。
「人に魅惑魔法をかけて言う事を聞かせる、簡単な、し・ご・と」
最後の言葉を、わざとらしく区切る。
その顔には、自分の力に対する絶対的な自信が浮かんでいた。
「兵士も、領民も、逆らう者はみんな同じ。私の魔法にかかれば、誰だって従順になりますわ」
イザベラも安堵したように息を吐いた。
「さすがですわ、シスター。これで、もう邪魔者はいませんね」
「ええ。あとは、この男をどう扱うかですが……」
シスターはリオンの顔を覗き込んだ。
「あなた、ずいぶんと私たちの邪魔をしてくださいましたわね。領民のことなど放っておけばよかったものを」
リオンは黙っていた。
シスターはその反応を見て、ますます機嫌をよくした。
「ふふふ。聞こえていないわけではありませんわよね? それとも、もう自分の意志さえ分からなくなってしまいましたか?」
彼女はリオンの目の前で、ひらひらと手を振った。
「さあ、跪きなさい。あなたには、これから私たちのために働いていただきますわ」
数秒の沈黙。
リオンはゆっくりと口を開いた。
「あー、なるほど」
「……はい?」
シスターの笑顔が止まった。
リオンは首を傾げた。
「つまり、お前の魔法は相手の魔力に干渉して、意志を操るってことか?」
「な、何を……」
「いや、さっきから自慢してくれてただろ。人の心に入り込むだの、意志を縛るだの」
リオンは軽く肩を回した。
「話が長いから、仕組みを考えてたんだよ」
シスターの顔から笑みが消えた。
「……どうして、あなたは普通に話せるのです?」
「どうしてって?」
リオンは自分の胸を指さした。
「俺、魔力がないんだよ」
「……は?」
「ゼロだ。魔法も使えないし、魔力も感じられない。だから、お前の魔法が俺に効かないんじゃないか?」
リオンはあっさりと言った。
シスターは目を見開いた。
「そ、そんな馬鹿な……! 私の魅惑魔法は、どんな人間にも通用するはずです!」
「へえ。そりゃすごいな」
リオンは無表情で答えた。
「でも、効いてないものは仕方ないだろ」
「あり得ません! 私の魔法は、ヴァルガディア様から授かった力なのですよ!」
「そうかそうか。すごいすごい」
リオンは適当に相槌を打ちながら、バッグに手を伸ばした。
「な、何をしているのです!」
「お前の自慢話が終わるのを待ってやったんだ。もう十分だろ?」
リオンはバッグからテイザー銃を取り出した。
シスターの顔が引きつった。
「そ、それは何ですの?」
「お前の魔法が効かない相手に、どう対処するか考えてみな」
リオンはテイザー銃を構えた。
「答えは簡単だ。魔法が効かないなら、別の方法で捕まえればいい」
「ま、待ちなさい! 私はヴァルガディア様に仕える者です! 私に手を出せば、ただでは――」
「はいはい。話は牢屋で聞くから」
リオンは引き金を引いた。
テイザー銃が作動し、シスターは驚いた表情のまま力を失って倒れた。
「きゃああっ! シスター!」
イザベラが悲鳴を上げた。
「あなた、何をしたのです!」
「見て分からないか? 捕まえたんだよ」
リオンは倒れたシスターを確認し、すぐに拘束具を取り出した。
そして、イザベラへ向き直る。
「さて、次はお前だ。大人しく捕まるなら、これ以上乱暴なことはしない」
「いや……来ないで!」
イザベラは後ずさり、部屋の出口へ走ろうとした。
だが、リオンは素早くその前に立ちはだかった。
「逃げられると思うなよ」
「私はアルベール家の人間よ! あなたの継母なのよ!」
「それがどうした?」
リオンの声が冷たく響いた。
「俺が知っているのは、領民に重税を課し、少女を連れ去り、邪神を信仰している疑いのある女が目の前にいるってことだけだ」
「違う! 私は、この領地のために――」
「その言い訳も、あとで聞いてやる」
リオンはイザベラを拘束した。
イザベラは抵抗したが、逃げることはできなかった。
「くっ……! どうして……どうして、あなたなんかに!」
「それ、さっきシスターにも聞かれたな」
リオンはため息をついた。
「魔力がないからだよ。お前たちの得意な魔法が効かない。便利だろ?」
イザベラは悔しそうに唇を噛んだ。
リオンは二人を連れて階段へ向かおうとしたが、ふと足を止めた。
「……そうだ。下の連中を忘れてた」
ガルヴァンたちは、まだ地下礼拝堂で倒れている。
フィーナも、少女も、無事なのか確認しなければならない。
リオンは通信機を取り出した。
「こちらリオン。地下礼拝堂にいる全員の状態を確認する。日本側にも連絡して、医療支援の準備を頼む」
通信機から返答が届く。
リオンは一度、拘束した二人を見た。
ヴァルガディアという邪神。
人の意志を操る魅惑魔法。
そして、領民を苦しめるイザベラ。
まだ分からないことは多い。
だが、少なくとも二人を逃がすことは防げた。
「……さて。今度はじっくり話を聞かせてもらうぞ」
リオンはそう呟き、二人を連れて地下礼拝堂へ戻ることにした。




