第391話 アルベール家の異変
「リオン、暗部から報告が来たぞ」
執務室に入ってきたガルヴァンが、一枚の報告書を机の上に置いた。
いつもなら何かしら軽口を叩くところだが、今日はその様子がない。
リオンは書類から顔を上げた。
「何かあったのか?」
「アルベール領だ。少し厄介なことになってる」
その名前を聞いた途端、リオンの表情がわずかに変わった。
「……アルベール家か」
「ああ。エドワードが死んでからの話だ」
リオンは報告書を手に取った。
そこには、暗部が調べたアルベール家の現状が細かく記されていた。
読み進めるうちに、リオンの眉間にしわが寄っていく。
「後継者争いが起きたのか」
「エドワードが死んだからな。家の中がまとまらなかったらしい。そこで動いたのが、エドワードの母親……イザベラだ」
「グスタフは何をしていた?」
「一応、当主の座にはいる」
ガルヴァンは椅子を引いて腰を下ろした。
「だが、実権はほとんどイザベラに握られてる。グスタフの周りにいた家臣は次々と遠ざけられ、今じゃイザベラに従う連中ばかりだそうだ」
「家臣を入れ替えたのか」
「それだけじゃない。領地の役人まで、自分に都合のいい人間に替えてる。かなり手際がいい。以前から準備してた可能性もあるな」
リオンは報告書に目を落とした。
エドワードの死後、混乱した家を立て直す。
それ自体は珍しい話ではない。
だが、イザベラのやり方は、どうにも引っかかる。
「……領民への税が異常に増えているな」
「そこが一番の問題だ」
ガルヴァンが報告書の一部を指で叩いた。
「税率を何度も引き上げてる。払えない領民からは土地や家を取り上げて、商人にも法外な税を要求してるらしい」
「領民が逃げ出してもおかしくないぞ」
「実際、領地を離れる人間が出てる。だが、家や土地を失って身動きが取れない連中も多い。商売を続けるために借金を重ねてる商人もいるそうだ」
リオンは報告書を机に置いた。
「……何のために、そこまで金を集めている?」
「それが分からない」
ガルヴァンは懐から別の紙を取り出した。
「税の使い道を調べたら、妙な金の流れが見つかった。イザベラが、ある宗教団体に多額の金を渡してる」
「宗教団体?」
「ああ。領内で集会も開いてる。ここ最近、信者が急に増えてるらしい」
「教会とは別なのか?」
「ああ。少なくとも、俺たちが知ってる宗派とは違う」
リオンは腕を組んだ。
重税で領民から金を集め、その一部を正体の分からない宗教団体へ流している。
それだけでも十分に怪しい。
だが、今の段階では何かを企んでいると断定することもできない。
「その宗教の名前は?」
「まだ確定してない。ただ、集会で使われている印は押さえた」
ガルヴァンが紙を差し出す。
リオンが目を通そうとした、そのときだった。
「……待ってください」
少し離れた場所で報告を聞いていたフィーナが、静かに口を開いた。
二人が振り返る。
フィーナは紙に描かれた印をじっと見つめていた。
その顔から、いつもの穏やかさが消えている。
「フィーナ?」
リオンが声をかけた。
「この印……どこで見つけたんですか?」
「アルベール領の集会所だ。暗部が確認した」
ガルヴァンが答える。
フィーナはすぐには返事をしなかった。
何かを思い出そうとしているように、印から目を離さない。
やがて、彼女は小さく息を吸った。
「……ヴァルガディア」
「何だって?」
ガルヴァンが聞き返す。
「古い邪神、ヴァルガディアです」
執務室の空気が変わった。
リオンは紙を机に置いた。
「邪神か。どんな存在なんだ?」
フィーナは言葉を選ぶように、ゆっくりと話し始めた。
「古い時代に存在した神です。人々の欲望や恐怖に関わる神だと伝えられています。ただ、残されている記録は多くありません」
「欲望や恐怖……ね」
ガルヴァンが顔をしかめる。
「ずいぶんと厄介そうな神だな」
「それだけではありません」
フィーナは印を指で示した。
「ヴァルガディアは、神々によって封印されたと伝えられています。信仰も禁じられたはずです」
リオンはフィーナの顔を見た。
「封印されたのなら、今は存在しないんじゃないのか?」
「普通なら、そう考えるべきです」
フィーナは頷いた。
「でも、この印は……古い記録に残されていたものとよく似ています。偶然とは思えません」
「つまり、イザベラは本当に邪神を信仰している可能性がある、と」
「はい。ただ、まだ断定はできません。印だけを使っている可能性もありますし、ヴァルガディアの名を利用しているだけかもしれません」
フィーナは一度言葉を切った。
「ですが、本当にその信仰が広がっているのなら、放ってはおけません」
「理由は?」
「封印された邪神を、どうして今になって信仰する必要があるのでしょうか」
フィーナの声には、いつもより強い不安がにじんでいた。
「しかも、領民から重税を取り立ててまで資金を集めている。何か目的があると考えるほうが自然です」
リオンは黙って考え込んだ。
邪神の復活を企んでいるのか。
それとも、別の目的があるのか。
現時点では何も分からない。
だが、領民が苦しめられていることだけは確かだった。
「……まずは事実を確かめる必要があるな」
リオンが立ち上がった。
ガルヴァンは、やっぱりそうなるかという顔でため息をつく。
「お前ならそう言うと思ったぜ」
「何か問題があるか?」
「問題だらけだ。相手はレオルディア王国内の貴族だぞ。こっちが勝手に踏み込めば、外交問題になる」
「分かっている」
「本当に分かってるのかねえ」
ガルヴァンは肩をすくめた。
「まあ、領民があれだけ苦しんでるなら、見て見ぬふりもできないがな」
リオンは窓の外へ目を向けた。
かつて、アルベール家には借りがあった。
そして、エドワードとの一件もある。
個人的な感情を持ち込むつもりはない。
そう自分に言い聞かせてはいるが、アルベール家の名前を聞くと、どうしても過去のことが頭をよぎる。
「……グスタフは、今も当主として動ける状態なのか?」
「報告では、ほとんど表に出ていない。イザベラが何をしているか、どこまで把握しているのかも分からん」
「本人が望んで実権を渡した可能性もあるか」
「なくはない。だが、今の情報だけじゃ何とも言えないな」
リオンは頷いた。
グスタフが操られているのか。
自らイザベラに権力を譲ったのか。
それとも、別の事情があるのか。
現地で確かめるしかない。
「暗部には引き続き調査させろ。宗教団体の資金の流れと、集会の実態も詳しく調べてくれ」
「了解だ」
「それから、今回は俺もアルベール領へ行く」
「やっぱりな」
ガルヴァンは苦笑しながら立ち上がった。
「俺も同行する。お前一人で行かせると、余計なところまで首を突っ込みそうだからな」
「余計なところとは何だ」
「自覚がないのが一番厄介なんだよ」
「……お前、最近遠慮がなくなってないか?」
「今さらだろ」
ガルヴァンは悪びれもせずに言った。
それからフィーナに視線を向ける。
「フィーナ、お前も来てくれ。ヴァルガディアについて分かることがあれば、現地で確認したい」
「分かりました。私も行きます」
フィーナは頷いたものの、表情は晴れなかった。
「どうした?」
リオンが尋ねる。
「……いえ。ただ、少し怖いんです」
フィーナは手元の紙を見つめた。
「封印されたはずの邪神の名が、今になって出てくるなんて……。何も起きなければいいのですが」
「何も起きていないなら、それを確認して帰ればいい」
リオンはできるだけ穏やかに答えた。
「もし何か起きているなら、被害が広がる前に対処する。それだけだ」
フィーナはリオンの顔を見て、小さく頷いた。
「……はい」
リオンは報告書をまとめた。
アルベール家の実権を握ったイザベラ。
重税に苦しむ領民。
そして、封印されたはずの邪神ヴァルガディア。
それぞれが別の問題ならいい。
だが、これらがすべて繋がっているのなら、事態は想像以上に深刻かもしれない。
「出発の準備をしてくれ。暗部にも先行してもらう」
「了解。必要な人員を集める」
ガルヴァンは扉へ向かい、ふと足を止めた。
「リオン」
「何だ?」
「今回は、相手が何をしてるか分かるまで、あまり派手に動くなよ」
「分かっている」
「その返事、信用していいんだろうな?」
「……努力する」
「おい」
ガルヴァンが呆れた声を出し、フィーナも思わず小さく笑った。
ほんの一瞬だけ、張り詰めた空気が和らぐ。
だが、二人が部屋を出ていったあと、リオンの表情は再び険しくなった。
机の上に残された印を見つめる。
「ヴァルガディア、か……」
名前を口にしても、答えは返ってこない。
リオンは紙を封筒にしまった。
「……嫌な予感がするな」
それは、これまで何度も経験してきた感覚だった。
そして、その予感が当たることも少なくなかった。
こうしてリオンは、ガルヴァン、フィーナ、そして暗部部隊とともに、レオルディア王国アルベール領へ向かうことになった。
待ち受けているものが何なのか。
この時点では、まだ誰にも分からなかった。




