閑話 日本の魔力研究
これは、土ドラゴンが現れるよりも、ずっと前の話。
日本とガルリオン共和国との交流が始まってから、日本側では魔力に関する研究が本格的に始まっていた。
研究室のホワイトボードには、大きな文字が書かれている。
『魔力とは何なのか』
実に単純な疑問だった。
だが、それが分からない。
「……で、結局なんなんだ?」
ホワイトボードを見ながら、一人の研究者がぼそっと呟いた。
「それを調べてるんだろ」
隣にいた研究者が呆れたように返す。
「いや、それは分かってるんだけどさ」
「何だよ」
「研究始めて、もう結構経つぞ」
「……それも分かってる」
二人ともホワイトボードを見る。
『魔力とは何なのか』
文字は、研究を始めた頃からほとんど変わっていない。
「……進んでるよな?」
「進んでる」
「本当に?」
「たぶん」
「たぶんって何だよ」
そんな会話をしながらも、手は止まらない。
机の上には魔石が置かれている。
その周囲には、日本側が開発した測定装置がいくつも並んでいた。
魔石に魔力を流し、反応を測定する。
理屈だけなら簡単だ。
実際に魔石は魔法や魔導具に使われている。
魔力が存在すること自体は、誰も疑っていない。
問題は、「……ゼロ」
「こっちもゼロ」
「昨日は反応しただろ!」
「昨日のデータ、再現できてない」
「なんでだよ……」
研究者の一人が頭を抱えた。
「条件は同じなんだぞ?」
「同じにしたつもりなんだけどな」
「つもりじゃ困るんだよ」
「分かってるよ!」
研究室にため息が落ちる。
魔力は存在している。
魔石もある。
魔導具だって普通に動いている。
なのに、日本の科学技術では、その大元である魔力を正確に捉えられない。
「電気とは違う」
「熱でもない」
「光でもない」
「じゃあ何なんだよ……」
誰かが呟く。
「知らん」
「研究者がそれ言うなよ」
「分からないから研究してるんだろ」
「まあ、それはそうだな」
結局、また実験に戻る。
測定する。
失敗する。
条件を変える。
また測定する。
装置を改良する。
壊す。
修理する。
そしてまた測定する。
そんな日々が続いていた。
それでも研究者たちは諦めなかった。
分からないからこそ、面白い。
そう思っている人間も少なくなかった。
そして、ある日のことだった。
「……あれ?」
一人の研究者が測定装置の画面を見つめていた。
隣の研究者が振り返る。
「どうした?」
「これ……」
「ん?」
「数値が出てる」
「……え?」
その一言で、周囲の空気が変わった。
何人もの研究者が一斉に集まってくる。
「どれ?」
「これ」
画面には、小さな数値が表示されていた。
「……魔力反応?」
「いや、まだ分からない」
「でも今まで出なかったぞ」
「だから、もう一回測ろう」
「同じ魔石で?」
「同じ魔石で」
魔石を測定装置にセットする。
「いくぞ」
測定。
全員が画面を見る。
「……出た」
「本当だ」
「もう一回」
「はい」
再び測定する。
「出た!」
「条件変えて!」
「了解!」
そこからは慌ただしかった。
魔石を変える。
魔力を流す量を変える。
測定時間を変える。
装置を一度止めて、再起動する。
何度も確認する。
そして、「……出る」
「こっちも」
「誤差は?」
「ある。でも、今までとは明らかに違う」
「再現性は?」
「条件を揃えれば出る」
研究者たちは互いの顔を見る。
誰も、すぐには言葉にできなかった。
画面に表示されているのは、ほんの小さな数値だった。
まだ正確な量を測れるわけではない。
誤差も大きい。
測定条件によって数値も変わる。
それでも、「……魔力だ」
誰かが小さく呟いた。
「俺たち、魔力を測ったぞ」
研究室が静かになった。
ほんの数秒。
そして。
「やったぁぁぁぁ!」
「測れたぞ!」
「本当に測れた!」
「嘘じゃないよな!?」
「画面見ろ! ちゃんと数字出てる!」
「記録しろ! 誰か記録!」
「もう記録してる!」
一気に研究室が騒がしくなる。
握手をする者。
両手を上げて喜ぶ者。
椅子から立ち上がった勢いで、机に膝をぶつける者までいた。
「痛っ!」
「大丈夫か?」
「大丈夫! 今はそんなことどうでもいい!」
「いや、痛いなら冷やせよ」
「あとでいい!」
笑い声が広がる。
「何ヶ月かかったと思ってるんだ!」
「知らん!」
「お前、途中から日付を数えるのやめただろ!」
「だって数えてたら嫌になったんだよ!」
「俺なんか昨日帰ってないぞ!」
「それは寝ろ!」
「今寝たら夢だと思って起きた時に泣くから嫌だ!」
「意味分からん!」
研究室は、しばらくそんな状態だった。
その騒ぎから少し離れた場所で、一人の研究者が測定画面をじっと見つめていた。
研究開始当初から、この研究に関わってきた男だった。
「……ほんの少しだけどな」
隣に立った研究者が笑う。
「それでも十分だろ」
「まだまだだぞ。誤差も大きいし、測れる条件も限られてる」
「分かってる」
「魔力の正体なんて、まだ何も分かってない」
「それも分かってる」
隣の研究者は画面を指差した。
「でも、昨日まではゼロだった」
「……」
「今日は違う」
男は画面を見たまま、ゆっくり息を吐いた。
「……そうだな」
目元を指で軽くこする。
長かった。
失敗して。
やり直して。
装置を壊して。
予算を取りに行って。
また実験して。
何度も「これならいける」と思って、そのたびに失敗した。
それでも、ようやく辿り着いた。
画面に表示された、小さな数字。
たったそれだけ。
けれど、この研究室にとっては大きな一歩だった。
「よし」
主任研究者がホワイトボードの前に立つ。
そこには、最初から変わらない言葉がある。
『魔力とは何なのか』
主任はその下に、新しい文字を書き加えた。
『まずは、測れるようになった』
そして、ペンを置く。
「ここからだ」
研究者たちは、まだ興奮の残る顔で実験室へ戻っていった。
魔力の正体は分からない。
どうして存在するのかも。
どこから来るのかも。
なぜ魔石が魔力を蓄えられるのかも。
何も分からない。
それでも日本の研究者たちは、その日初めて、魔力という未知の存在を数字として捉えた。
その日の研究室では、いつもより少しだけコーヒーが多く消費された。
そして翌朝。
「……昨日、誰がコーヒー買い足すって言った?」
「俺」
「買ってきた?」
「忘れた」
「お前なぁ……」
研究は、いつも通り続いていた。




