第369話 土に還る
土ドラゴンが動かなくなってから、しばらく経った。
周囲には、まだ戦いの跡が残っている。
崩れた地面。
倒れた木々。
そして、その中央には巨大な土ドラゴンが横たわっていた。
あれほど大きな身体で、何度も大地を揺らしながら進んでいた姿が嘘のようだった。
その巨体の前に、ゼオンが立っている。
隣には精霊の女王がいた。
「ゼオン」
「うん」
「準備はできましたか?」
ゼオンはしばらく土ドラゴンを見上げていた。
「……うん」
返事はしたものの、その声には迷いがあった。
本当に、これでいいのだろうか。
父の決断も分かっている。
共和国を守るためだった。
精霊の都市を守るためだった。
それでも、目の前にいる土ドラゴンは、最後まで誰かを憎むこともなく、ただ前へ進み続けていた。
「……行くよ」
ゼオンは小さく呟いた。
そして、土ドラゴンへ向かって手をかざす。
すると、空間がゆっくりと揺らいだ。
精霊たちの力によって、一つのゲートが開く。
「気をつけてくださいね」
「うん」
ゼオンはゲートをくぐった。
その瞬間、視界が変わる。
土ドラゴンの内部だった。
そこは普通の生き物の身体とはまったく違っていた。
土と岩が複雑に絡み合っている。
その奥には、川のような巨大な魔力の流れがあった。
地下深くから流れてくる魔力が、土ドラゴンの身体の中を巡っている。
「……すごい」
ゼオンは思わず立ち止まった。
これほど大量の魔力を、ずっと身体の中に抱えていたのか。
ゼオンは慎重に歩いていく。
しばらく進むと、やがて大きな空間に出た。
「……これ?」
そこには、一つの巨大な魔石があった。
人間の身体よりもはるかに大きい。
表面からは、強い魔力が静かに流れ出している。
「これが……」
ゼオンはゆっくり近づいた。
「土ドラゴンの核……」
手を伸ばす。
そして、そっと魔石に触れた。
その瞬間だった。
頭の中に、何かが流れ込んできた。
「……!」
ゼオンは驚いて目を閉じる。
見えたのは、地下深くを流れる巨大な龍脈だった。
遥か昔から流れ続ける魔力。
その流れを感じ取り、土ドラゴンは動き始めた。
どこへ行けばいいのか。
何をすればいいのか。
そんなことを考える必要すらなかった。
ただ、龍脈を追う。
ひたすら追う。
そして、その身体が動く限り進み続ける。
「……」
ゼオンは、その光景を見ていた。
何年なのか。
何百年なのか。
それすら分からない。
ただ、ずっと。
土ドラゴンは進んでいた。
その心にあったのは、一つだけ。
前進。
「……どうして?」
ゼオンの目から、涙がこぼれた。
「どうして、そんなに前へ行きたかったの?」
答えは返ってこない。
当然だった。
目の前にあるのは、ただ静かに光る巨大な魔石だけ。
ゼオンは魔石に手を当てたまま、しばらく動かなかった。
そして、小さな声で呟く。
「……ごめんね」
返事はない。
「本当は、止めたくなかったんだ」
ゼオンは涙を拭った。
「父さんも、たぶん同じだったと思う」
少しだけ間を置く。
「でも……みんなを守らないといけなかったから」
自分に言い聞かせるように、ゼオンは続けた。
「僕も、どうすればいいのか分からなかった」
魔石の光が静かに揺れる。
「だから……」
ゼオンは目を閉じた。
「もう、頑張らなくていいよ」
その言葉とともに、ゼオンの魔力がゆっくりと広がっていく。
魔石を包み込む。
強く押さえつけるのではない。
ただ、静かに。
長い旅を終えられるように。
魔石の光が少しずつ弱くなっていく。
土ドラゴンの身体を巡っていた魔力も、ゆっくりと流れを変えていった。
身体を支えていた岩が崩れる。
土が落ちる。
巨大な身体が、少しずつ大地へ戻っていく。
ゼオンはその様子を黙って見つめていた。
「……」
もう、何も言えなかった。
やがて、土ドラゴンの身体は完全に大地へと溶けていった。
そこに残ったのは、大きな土の山だけだった。
ゼオンは最後まで魔石に手を触れていた。
そして、静かに呟く。
「……どうして?」
答えは返ってこない。
けれど、ゼオンには何となく分かっていた。
土ドラゴンにとっては、進むことそのものが生きることだったのかもしれない。
だから、止まれなかった。
だから、何度邪魔されても。
何度傷ついても。
ただ前へ進んだ。
「……ごめんね」
ゼオンはもう一度だけ呟いた。
やがて、巨大な魔石も静かに光を失っていく。
長い旅を続けてきた土ドラゴンは、最後には何も残さず、大地へと還っていった。
ゲートの向こうでは、精霊の女王がゼオンを待っている。
ゼオンはしばらくその場を動かなかった。
そして最後に、土の山へ向かって小さく頭を下げた。
「……ゆっくり休んでね」
それだけ言って、ゼオンはゆっくりと歩き出した。
土ドラゴンの長い旅は、そこで終わった。
そして、その身体は再び土となり静かに、大地の一部へと還っていった。




