第309話 最後の決着
三国和平条約が締結された翌朝。
リベスト郊外の草原には、まだ朝靄が残っていた。
湿った風が草を揺らし、鳥の鳴き声だけが静かに響いている。
その中で、二人の男が向かい合っていた。
リオン。そして、エドワード。かつては同じ家で育った兄弟だった。
だが今は違う。
長い戦争の果てに、ようやくここまで辿り着いたのだ。
エドワードの右腕はなかった。ナルディでの夜襲で失われたままだ。それでも彼は背筋を伸ばし、左手一本で剣を握っていた。
その姿に無理は見える。だが、惨めさはなかった。
「来たな」エドワードが口を開く。
リオンは小さく笑った。「お前もな」
少し間を置いて続ける。
「和平が決まったんだ。普通なら、もう剣を抜く理由はない」
「そうだな」
「それでも来た」
リオンは答えなかった。その沈黙だけで十分だった。
エドワードもそれ以上は言わない。二人とも分かっている。これは戦争ではない。
国のためでもない。誰かに命じられた戦いでもなかった。自分自身のための決着だった。
遠く離れた場所ではガルヴァンたちが見守っている。
だが誰も近付こうとはしない。口を挟む資格がないことを知っていた。
リオンは腰から拳銃を外した。地面へ置く。予備の拳銃も置く。ナイフも外した。
最後に剣だけを手に取る。
「魔導具は使わん」
エドワードが静かに頷いた。
「最後だ。礼は言う」
風が吹く。朝靄がゆっくり流れていく。
二人は同時に構えた。次の瞬間、地面を蹴る。鋼がぶつかり合う音が草原に響いた。
激しい踏み込み。鋭い斬撃。火花が散る。
エドワードは強かった。片腕を失っているとは思えないほどだ。
何度も剣を打ち込み、何度も受け流す、その技術は今なお一流だった。
だが、リオンも昔の少年ではない。数え切れない戦場を越えてきた。死線も潜った。守るべきものも増えた。
剣が交わるたびに、互いの歩んできた年月がぶつかり合う。
やがてエドワードの呼吸が乱れ始めた、肩が上下する、足も少し重くなっている。
それでも退かなかった。むしろ笑っていた。
「強くなったな」息を切らしながらそう言う。
リオンは何も答えない。ただ前へ出る。
剣が閃く。エドワードも迎え撃つ。だが、その瞬間だった。
金属音が響く。
エドワードの剣が大きく弾かれた。宙を舞う剣。そのまま草の上へ突き刺さる。
勝負は決まった。リオンの剣先が喉元で止まる。
静寂。
風の音だけが聞こえた。
エドワードは目を閉じる。「終わりか」
「ああ」短い返事だった。
しばらく誰も動かなかった。
エドワードがゆっくり目を開く。「お前には恨まれているだろうな」
リオンは黙っている。
「分かっている」エドワードは苦笑した。
「謝ったところで許されるとは思わん」
その言葉を聞いた瞬間、リオンの脳裏に一人の女性の姿が浮かぶ。
クラリス。幼い自分を守ってくれた人。
いつも優しかった人。誰も味方がいなかった頃、そばにいてくれた人。
忘れたことなど一度もない。今でも夢に見る。
リオンは目を閉じた。胸の奥が少しだけ痛んだ。
そして、静かに目を開く。「……クラリスの敵だ」それだけだった。
エドワードは頷く。言い訳はしない。弁明もしない。ただ静かに受け入れた。
リオンは剣を握り直す。迷いはなかった。
長い年月をかけて積み重なったものに、終わりを告げる。
草原を風が吹き抜けた。
そして、決着はついた。
遠くで見守っていたガルヴァンは、静かに帽子を取った。
誰も声を出さない。
リオンもすぐには動かなかった。
ただ空を見上げる。雲一つない青空だった。不思議なほど静かだった。
ずっと恨みも怒りもあった相手だった。
それなのに今は、ただ胸の奥にぽっかりと穴が空いたような感覚だけが残っている。
しばらくして、リオンはゆっくりと剣を納めた。
「……終わったぞ」
誰へ向けた言葉だったのか、自分でも分からなかった。
クラリスかもしれない。幼い頃の自分かもしれない。あるいは、失われたまま戻らなかった日々へかもしれない。
答える者はいない。
それでも、どこかで聞いていてくれる気がした。
リオンは背を向ける。もう振り返らなかった。長かった戦争は終わった。
そして、長い間胸の奥に残り続けていた過去との戦いも。
ようやく終わりを迎えたのだった。




