第305話 銃声の城壁
ナルディ防衛戦五日目。
朝早くから城内は慌ただしかった。「敵軍接近!!」城壁の上から見張りの兵士が叫ぶ。
次の瞬間、警鐘が鳴り響いた。重い鐘の音が街中へ広がる。
兵士たちが武器を掴み、持ち場へ駆け出した。
避難民たちも不安そうな顔で空を見上げる。
ついに来た。
誰もがそう思った。
アメリアは鎧の留め具を締めながら階段を駆け上がる。
城壁へ出た瞬間、目の前の光景に息を呑んだ。
「……多い」思わず声が漏れる。
地平線の向こうまで旗が続いていた。無数の兵士。槍の穂先が朝日に光る。人の波だった。
隣へ来たサルファも顔をしかめる。「噂以上だな」
その少し後ろでは、リオンが双眼鏡を覗いていた。
「相変わらず多いな」
「見るだけで胃が痛いぞ」ガルヴァンが嫌そうに言う。
「安心しろ」
「何がだ」
「俺も痛い」
「安心材料が一つもないんだが」
そんな軽口を叩いていても、二人とも視線は敵軍から外さなかった。
冗談でも言わなければやっていられない数だった。
レオルディア軍はゆっくりと前進を始めた。
角笛が鳴る。太鼓が鳴る。兵士たちの足音が地面を震わせた。
ナルディ兵の中には唾を飲み込む者もいる。
緊張で手が震えている若い兵士もいた。
「大丈夫か?」隣の兵が声を掛ける。
「だ、大丈夫だ」
全然大丈夫そうに見えなかった。
それでも逃げる者はいない。逃げれば街が終わる。家族も友人も失う。だから立つしかなかった。
アメリアが声を張る。「持ち場を離れるな!」
サルファも剣を掲げる。「ナルディを守るぞ!」
「おおおおお!!」
兵士たちの声が重なった。
恐怖を追い払うような叫びだった。
その横で、リオンは静かに距離を確認していた。
「距離は?」
「六百!」
「五百!」
「四百!」
報告が飛ぶ。
ナルディ兵たちは戸惑い始めていた。弓兵がまだ動かない。共和国兵も動かない。
普通ならとっくに矢を放つ距離だった。
「まだなのか……?」誰かが呟く。
そして、「三百」と狼族兵が告げた瞬間。
リオンが手を上げた。
乾いた破裂音が響く。
パンッ!!
続けて。
パンパンパンパンッ!!
城壁の上が轟音に包まれた。ナルディ兵たちは思わず肩を震わせる。
だが本当に驚いたのはその次だった。
前進していたレオルディア兵が次々と倒れた。
「え……?」若い兵士が呆然と呟く。
矢が飛んだようには見えない。魔法も見えない。それなのに人だけが倒れていく。
「なんだ今の……」
アメリアも目を見開いていた。
訓練で見た。知識としても理解していた。だが実戦は違う。目の前で見ると異様だった。
レオルディア軍の隊列が揺らぐ。前列の兵士たちが足を止めた。何に攻撃されたのか分からない。
それが一番恐ろしかった。
「前進しろ!」将校が怒鳴る。「進め!!」
兵士たちは再び走り出す。
しかし……。
パンッ!!
パンッ!!
また倒れる。隣にいた仲間が突然地面へ崩れる。血を流して動かない。原因が見えない。理解できない。恐怖だけが広がっていく。
しばらくして敵軍がさらに接近した頃、リオンが次の命令を出した。
「迫撃砲準備」
ナルディ兵たちの表情が引き締まる。訓練では何度も見た。だが実戦は初めてだった。砲弾が装填される。
短い静寂。
「撃て」
ドォン!!
空気を震わせる轟音。砲弾が空高く舞い上がる。そして、敵軍の中央へ落ちた。
次の瞬間、ズドォォォォン!!大地が揺れた。
土煙が噴き上がる。爆風に巻き込まれた兵士たちが吹き飛ぶ。
隊列が崩れる。
悲鳴が上がる。
「な、なんだ!?」
「魔法か!?」
「分からん!」
誰も答えられない。再び砲弾が降る。
爆発。悲鳴。混乱。整然としていた軍勢が目に見えて乱れていく。
城壁の上。サルファは言葉を失っていた。
攻城戦は何度も経験している。だがこんな光景は初めてだった。
敵が近付く前に崩れていく。
「これが……共和国の力か」
アメリアも黙ったまま戦場を見ている。
恐ろしい。味方で良かった。心の底からそう思った。
その時だった、敵軍の奥で角笛が鳴る。
撤退の合図。
兵士たちが一斉に後退を始めた。
ナルディ兵から歓声が上がる。
「下がったぞ!」
「敵が退いた!」
「追い返した!」
城壁が歓喜に包まれる。泣いている兵士もいた。何度も味わった大規模攻城戦。
生き残った安堵があった。
だが、リオンは双眼鏡を下ろさなかった。遠ざかる敵軍を見つめる。まだ終わっていない。
三万の軍勢は健在だ。
今日の敗北だけで諦める相手ではない。
「次はもっと厄介になるな」
隣でガルヴァンが頷く。「ああ」
歓声が響く城壁の上で、二人だけは次の戦いを見ていた。
それでも、今日だけは確かだった。ナルディは守り切った。
そして、レオルディア軍は初めて知った。
この城を攻めることが、決して楽な戦いではないということを。




