第304話 届いた吉報
ナルディ防衛戦が始まって四日目の朝。
薄い朝靄が郊外を覆う中、リオンはいつものように城を出ていた。隣にはガルヴァン、その後ろには護衛の狼族たちが続いている。目的地は、毎日の補給物資が届く場所だった。
「今日は何が来るんだろうな」ガルヴァンが欠伸を噛み殺しながら言う。
「弾薬だろ。今一番必要なんだから」
「夢がねぇなぁ」
「戦争中に夢なんか見てられるか」
そう返しながらも、リオンの口元にはわずかな笑みが浮かんでいた。ここ数日、この補給だけが明るい話題だった。
やがて空間が揺らぐ。景色が水面のように波打ち、白い光が広がった。見慣れた光景だ。光の中から日本の家が姿を現す。
「何度見ても慣れんな」ガルヴァンが呟く。
「俺もだ」リオンはそう言いながら玄関へ向かった。扉を開けると、中には大量の木箱が積み上げられていた。食料、弾薬、医薬品。そして机の上に一通の封筒。
「あ?」リオンは自然と足を止めた。いつもより厚い。何となく胸騒ぎがした。
封を切り、中の手紙を広げる。日本語で書かれた報告書だった。最初の数行を読んだ瞬間、リオンの目が見開かれる。
「……」
「どうした?」ガルヴァンが横から覗き込もうとする。しかし、リオンは返事をしなかった。もう一度最初から読む。読み間違いではないか確認するように。そして静かに息を吐いた。
「助かった」
「何がだ?」
「全員だ」リオンは顔を上げた。「搬送した重傷者。全員容体が安定したらしい」
一瞬、ガルヴァンが言葉を失う。「……本当か?」
「ああ」
リオンは手紙を差し出した。ガルヴァンも慣れていない言語を慌てて目を通す。そこには詳細な報告が書かれていた。搬送患者全員の生存を確認、死亡者なし、ゼルファも峠を越え回復傾向、継続治療中。
その文字を見て、ガルヴァンが大きく息を吐いた。「そうか……」
その一言に、どれだけの安堵が込められているか分かった。リオンも同じだった。ずっと気になっていた。戦争の準備に追われていても、頭の片隅から離れなかった。あの日、血だらけで倒れていたゼルファの姿が。
生きている。その事実だけで十分だった。
「よかったな」ガルヴァンが言う。
「……ああ」短く返した声が少しだけ掠れていた。
城へ戻る道中、リオンは何度も手紙を読み返していた。三回、五回、七回、十回。
「お前、さっきから何回読んでる?」ガルヴァンがついに呆れたように言う。
「確認だ」
「確認は一回で十分だろ」
「念のためだ」
「絶対違うな」
リオンは聞こえないふりをした。しかし隠しきれない。顔が少し緩んでいた。
ガルヴァンは苦笑する。王としての顔ではない。友人の無事を喜んでいるだけの顔だった。それを見て、何も言わないことにした。
城へ戻ると、アメリアとサルファが待っていた。二人とも忙しい身だが、毎日の補給状況は気になるらしい。
「何か変化はありましたか?」アメリアが尋ねる。
リオンは手紙を持ち上げた。「吉報だ」
その言葉だけで二人の表情が変わった。
「日本へ送った重傷者たちだ。全員助かった」
沈黙が落ちた。
「……全員?」アメリアが目を瞬かせる。
「ああ」
「一人も?」
「死人は出なかった」
次の瞬間、アメリアは椅子に腰を下ろした。力が抜けたようだった。
「本当に……よかった……」
その声は震えていた。彼女もまた責任者だった。送り出した人々の顔を覚えている。だからこそ、重かったのだろう。
「そうか」サルファも静かに息を吐く。それだけだったが、表情は明らかに和らいでいた。「助かったか」将軍らしい短い言葉だった。
その夜、リオンは城壁の上に立っていた。
遠くの闇の中に敵陣の灯火が見える。三万の軍勢。脅威は何一つ変わっていない、状況だって厳しいままだ。
それでも今日だけは少し違った。守ろうとした命が確かに繋がった。助けたかった友人が、生きていた。それだけで胸の奥が少し軽い。
風が吹き、髪を揺らす。リオンは夜空を見上げた。
「生きてろよ」
誰に向けた言葉なのか、自分でも分かっていた。ゼルファ、そして日本で治療を受けている人々。
まだ戦いは終わっていない。二週間後までナルディを守らなければならない。敵は強い、戦いもこれからだ。それでも今夜だけは、少し前を向ける気がした。
遠くで兵士たちの笑い声が聞こえる。リオンはその音を聞きながら、小さく笑った。
まだ戦える。そう思えた夜だった。




