第302話 二週間の猶予
軍議が終わっても、誰もすぐには席を立たなかった。
重苦しい空気だけが部屋に残る。机の上に広げられた地図。その上に記された敵軍の位置。
三万。
たった二文字の数字なのに、まるで岩のような重さだった。
リオンは椅子にもたれながら地図を見つめる。
ナルディの戦力は五千。
その中には連日の戦いで疲れ切った兵もいる。
まともにぶつかれば結果は見えていた。
「どうする?」沈黙を破ったのはガルヴァンだった。
部屋に残っていた全員の視線がリオンへ集まる。
リオンはしばらく考えた後、静かに口を開いた。「共和国軍を呼ぶ」
その言葉にアメリアが顔を上げた。「本格的に介入するのですか?」
「ああ」リオンは頷く。「もう様子見してる段階じゃない」
ナルディが落ちればゼルファを助けに来た意味が無くなる。
そして、グランゼル王国その先には共和国がある。
他人事では済まない。
サルファが腕を組んだ。「どれほど動かせる?」
「精鋭は出せると思う」狼族の戦士たち。
獣人部隊。エルフの射手。
共和国には質の高い兵が揃っている。
だが問題もあった。
「到着までどれくらいかかるのです?」
アメリアの問いに、リオンは地図へ視線を落とす。
街道。補給地点。移動速度。頭の中で計算する。
「……二週間」
誰かが息を呑んだ。
二週間。平時なら短い。だが戦争中なら永遠にも等しい。
アメリアが小さく呟く。「それまで持つのでしょうか……」
不安を隠せていなかった。
ナルディの現状を誰よりも知っているからだ。
リオンは少しだけ笑った。「持つかじゃない」
そして、全員を見渡す。
「持たせるんだ」その言葉に部屋の空気が少しだけ変わった。
不安は消えない。だが覚悟は決まる。今はそれで十分だった。
翌朝。
総督府の執務室。アメリアは帳簿を前に頭を抱えていた。
机の上には金貨箱が並んでいる。貴族たちから集めた資金。街の備蓄。緊急用の予算。どれもナルディにとって大切なものだ。
「本当に出すのですか?」
アメリアは確認するように尋ねた。
向かいに座るリオンは即座に答える。
「必要だ」
迷いはなかった。「武器も弾も食料も空から降ってくるわけじゃない」
戦争を続けるには金がいる。それはどこの世界でも同じだった。
「兵士は空腹じゃ戦えないし、剣と槍と矢がなければもっと戦えない」
アメリアは視線を落とした。分かっている。理屈は理解できる。
だが街の財産を吐き出す決断は簡単ではない。
しばらく沈黙が続く。
やがて彼女は小さく息を吐いた。「分かりました」顔を上げる。「ナルディも覚悟を示します」
リオンは静かに頷いた。「助かる」
短い言葉だったが、それだけで十分だった。
午後。
ナルディ郊外。人目の少ない場所に大量の木箱が積まれていた。
金貨。銀貨。宝石。換金できる価値ある品々。
その光景を見たガルヴァンが口笛を吹く。「改めて見るとすげぇ量だな」
「街一つの命運がかかってるからな」リオンは苦笑した。
手にした紙へ日本語で文字を書く。
【Jへ
戦闘に巻き込まれた戦争だ。必要な武器弾薬と食料の確保を超特急で頼む。
費用は同封した資金を使用してほしい。
状況はかなり切迫している。
可能な限り急いでくれ。
リオン】
書き終えると封筒へ入れる。ガルヴァンが覗き込んだ。「毎回思うんだが」
「なんだ」
「お前はこの世界の王なのに日本語で軍需発注してるんだよな」
リオンは少し考えた。「言われてみれば変だないい加減、日本側も俺達の世界の文字を覚えて欲しいな」
「だろ?」
二人は苦笑いになる。戦争の最中だというのに、そんなくだらない会話が少しだけ気持ちを軽くしてくれた。
リオンは手を前へ出す。「《家移転》」
光が広がった。空間が揺らぐ。次の瞬間、日本の家が現れる。
周囲の兵士たちはもう驚かない。
黙々と木箱を運び込み始めた。最後にリオンは封筒を机の上へ置く。
「頼むぞ」小さく呟く。
そして、家は光に包まれ、日本へ消えていった。
その夜。
リオンは城壁の上に立っていた。風が吹く。街を見下ろせば、まだ灯りが残っている。
避難民の家。兵士たちの詰所。炊き出しの火。
守るべきものは確かにそこにあった。
隣へガルヴァンがやって来る。「眠らなくていいのか?」
「お前もだろ」
「違いない」
二人は並んで夜空を見上げた。
遠くの闇の向こうには三万の軍勢がいる。
考えるだけで胃が痛くなりそうな数だった。
「二週間か」ガルヴァンが呟く。
「ああ」
「長いな」
「長い」リオンも認めた。
本音を言えば不安だった。絶対に勝てる保証などどこにもない。
それでも王である以上、その不安を人前で見せるわけにはいかなかった。
城壁の向こうに広がる闇を見る。
二週間。
その時間を稼がなければならない。共和国軍が来るまで。
この街が希望を失わないためにリオンは静かに拳を握った。
「絶対に守る」




