第300話 兄との再会
ナルディ到着から三日。
ようやく街は落ち着きを取り戻し始めていた。
重傷者は日本へ搬送された。避難民への食料配給も軌道に乗り、街を歩く人々の顔にも少しだけ余裕が見え始めている。
だが戦争は終わっていない。
夜の軍議室。机の上に広げられた地図を前に、リオンは静かに耳を傾けていた。
「敵本陣は西十キロ地点」
狼族の斥候が報告する。
「再編成中です。こちらへの反撃準備と思われます」
室内が静まり返る。
ガルヴァンが腕を組んだ。「今なら叩けるな」
「ああ」リオンも同意した。
レオルディア軍は共和国軍の介入を知らない。ならば先に動く。
「夜襲をかける」
反対する者はいなかった。
深夜。
雲の切れ間から月明かりが大地を照らしている。
狼族の精鋭たちは音もなく進んでいた。
森を抜けると、敵陣の灯りが見えてくる。
焚き火。見張り台。並ぶ天幕。どこか緩んだ空気。勝利を信じて疑わない軍の姿だった。
リオンは手を上げる。それだけで十分だった。乾いた銃声が夜を裂く。
見張りが崩れ落ちた。
次の瞬間には狼族たちが陣内へ雪崩れ込む。
「敵襲だ!」
「起きろ!」
悲鳴と怒号が飛び交う。混乱の中、リオンは冷静に標的を探していた。
指揮官。旗持ち。伝令。戦場を動かす人間から潰していく。
引き金を引く。また一人倒れた。
その時だった。
「何事だ!」
怒鳴り声が響いた。聞き覚えのある声だった。
リオンの動きが止まる。胸の奥が嫌な音を立てた。
まさか、運のイタズラか……。
だが声は確かに記憶の中にあった。
松明の灯りの向こうから、一人の男が現れる。
豪奢な鎧。鋭い眼光。そして、胸に刻まれた紋章。アルベール家。
リオンは息を呑んだ。
「……兄貴」
十年以上。一度も会うことのなかった相手だった。
男も足を止める。
信じられないものを見るような顔だった。
「リオン……?」
低い声が震えていた。
ほんの一瞬だけ、戦場の音が遠くなった気がした。
「生きていたのか」エドワードが呟く。
リオンは笑った。だが笑顔にはならなかった。
「残念だったな」
兄の顔が歪む。「お前は死んだと聞いた」
「そういうことにしたかったんだろ」
言葉が自然と出た。
自分でも驚くほど冷たい声だった。
胸の奥に沈んでいたものが浮かび上がってくる。
見捨てられた日々。
家族みたいな執事とメイド達。
恋をした人を殺された事。
忘れたつもりだった。だが目の前に本人がいると違う。
忘れられてなどいなかった。
エドワードが剣を抜く。金属音が響いた。「ならばここで終わらせる」
「そうか」リオンも剣を抜いた。
銃ではない。これは銃で終わらせる話ではなかった。
二人の距離が縮まる。剣がぶつかった。
激しい衝撃。重い。エドワードは強かった。
戦場を生き抜いてきた男の剣だった。
だがリオンも弱くない。
魔物と戦い、龍と戦い、幾度も死線を越えてきた。
再び激突する。火花が散る。押し返される。押し返す。互いに譲らない。
「強くなったな……!」エドワードが息を吐く。
「そっちこそ」それだけだった。
昔話はない。家族の話もない。あるのは剣だけだった。
次の瞬間。
リオンは踏み込んだ。迷いなく。鋭く。
剣が閃く。
血飛沫が舞った。
「ぐっ……!」エドワードが膝をつく。
右腕が地面に落ちていた。
周囲の兵士たちが息を呑む。兄は敗れた。誰の目にも明らかだった。
リオンは剣を向ける。あと一歩。踏み込めば終わる。エドワードも理解していた。
逃げたい。命乞いも出来ない。ただ静かにリオンを見ていた。
その目を見た瞬間だった。
「リオン!」ガルヴァンの声が飛ぶ。「撤収だ!」
敵兵が集まり始めていた。夜襲の目的は果たしている。
ここで留まれば包囲される。
リオンは兄を見る。エドワードも見返していた。
言葉はなかった。
言うべきことも思いつかなかった。
長い年月を埋めるには、あまりにも短い再会だった。
やがてリオンは剣を下ろした。「……行くぞ」
背を向ける。
狼族たちが撤退を始める。闇の中へ消えていく。森へ入る直前、リオンは一度だけ振り返った。
兄はまだ立っていた。片腕を失いながらそれでも倒れずに松明の光に照らされたその姿が、不思議と目に焼き付いた。
リオンは何も言わない。ただ前を向いて歩き出す。夜襲は成功だった。
だが胸の奥には、戦いの勝利とも敗北とも違う重さが残っていた。
それが何なのか、リオン自身にもまだ分からなかった。




