第298話 生かしてくれ
ナルディの臨時治療所。
リオンは言葉を失っていた。「……ゼルファ」
ベッドに横たわる男。間違いなくゼルファだった。しかしかつて魔導具を作りながら笑っていた面影は薄い。顔は痩せこけ、全身に包帯、呼吸は弱く、意識もない。生きていること自体が奇跡だった。
「撤退する民を逃がすため、最後まで後方に残りました」アメリアが静かに言う。
リオンは拳を握った。ゼルファらしい。馬鹿なほどお人好しだった。
ベッドの周囲には他にも負傷者がいた。兵士、老人、子供。誰もが限界だった。医薬品も足りない、治療師も足りない、時間も足りない。
「このままじゃ助からねぇな……」ガルヴァンが重い声で呟く。
リオンはしばらく黙っていた。そして決断する。「スキルを使う」
「やるのか」ガルヴァンが顔を上げる。
「ああ」
リオンは外へ出た。ナルディの広場。住民たちが不安そうに見守っている。
スキルを発動した。「《家移転》」
光が広がる。空間が歪む。次の瞬間、ゴゴゴゴゴゴ!!
マンションタイプの一室が出現した。ナルディの住民たちが騒然となる。
「なんだこれは!」
「箱みたいな家だ!」
「リオン公王の家だ!」
リオンは構わない。玄関を開ける。「運び込め!」
狼族たちが動いた。ゼルファを運び、重傷者を運び、危篤患者を運ぶ。助かる可能性が低い者から優先する。次々と家の中へ運ばれていく。
リオンは机へ向かい、紙を取り出してペンを握った。日本語で書く。大きく、何度も。
【生かしてくれ。治療を頼む。金は払う】
短い文章だった。しかし、必死だった。
さらに金貨を積み上げる。一枚、二枚、三枚。やがて山になる。
「おい……」
「いくらあるんだ……」
ナルディの兵士たちが息を呑む。誰にも分からない。リオン自身も数えていない。今はそんなことどうでも良かった。
「生きろ」ゼルファの顔を見る。「死ぬな」
返事はない。それでもリオンは言った。
「まだ借りを返してねぇだろ」
そして、家を日本側へ戻した。
一時間後、再び召喚。家が戻ってくる。中を確認する。ベッドが空いており、手紙が置かれていた。日本語だった。
【治療中。追加患者がいれば送ってください】
「助かったか」リオンは息を吐く。完全ではない。しかし希望はある。なら続ける。
「次だ」
再び重傷者を運び込み、再び金貨を置き、再び家を送る。
二回、三回、四回、五回。何度も何度も繰り返した。
ナルディの広場は慌ただしい。共和国兵、ナルディ兵、治療師。全員が走り回る。夜になっても終わらない。
「お前……」
「なんだ」
「金貨置きすぎだ」ガルヴァンが疲れた顔で言う。
「知らん。人命の方が大事だ」リオンは即答した。それだけだった。
アメリアはその光景を見ながら呆然としていた。「これが……共和国……」
常識では考えられない。異世界と日本を繋ぎ、重傷者を送り、治療を受けさせる。まるで奇跡だった。しかしリオンにとって今は奇跡ではない。友人を助けるための手段だった。
夜明けが近付く。何度目かの《家移転》を終えたリオンは空を見上げた。
「頼むぞ」
誰に言ったのか。日本の医師たちか、神か、運命か。自分でも分からない。
ただ一つだけ、絶対に諦める気はなかった。ゼルファを、そしてナルディの人々を、ここで見捨てるつもりはなかった。




