第295話 急ぐな、王よ
ガルリオン共和国王城の軍議室。
室内には重苦しい空気が漂っていた。机の上には、グランゼル王国の地図、レオルディア王国軍の推定侵攻ルート、ナルディ周辺の地形図、そして大量の資料が並べられている。
誰もが真剣な表情で作戦を検討していた。
だが、その空気を破るように、リオンが椅子から立ち上がった。
「よし」
全員が顔を上げる。リオンはあっさりと言った。
「俺、一人で行ってくる」
軍議室が静まり返った。数秒間、誰も言葉を発しない。リオンは気にした様子もなく続ける。
「ヘリを一機借りる。燃料を積み込んでナルディへ直行。ゼルファを回収して、そのまま帰還。最短で三日だ」
説明を終えた瞬間、ガルヴァンがゆっくりと立ち上がった。「お前」
「ん?」
「馬鹿か?」
「違う」
「馬鹿だ」
次の瞬間だった。
ゴッ!!
「ぐはっ!?」
拳が飛んだ。リオンは椅子ごと吹き飛び、床を転がる。
「な、何すんだ!?」
鼻を押さえながら叫ぶリオンに、ガルヴァンは珍しく本気で怒っていた。
「何すんだじゃねぇ!!」
軍議室が震えるほどの怒声。誰も口を挟めない。ガルヴァンは机を叩いた。
「お前は王だろうが!!」
「だから急いで!!」
「一人で敵国近くまで行く王がいるか!!」
リオンが言葉を失う。だが、ガルヴァンは止まらない。
「相手は盗賊じゃねぇ!」
「軍隊だぞ!」
「しかも、戦争中だ!!」
再び机を叩く。資料が跳ねた。
「途中でヘリが撃墜されたらどうする!?囲まれたら!?捕まったら!?死んだら!?」
一つ一つが正論だった。リオンは反論できない。ガルヴァンはさらに続ける。
「国はどうなる。リゼたちはどうなる。子供たちはどうなる」
その言葉に、室内が静まり返った。重い沈黙が流れる。リオンは目を伏せた。
確かに、昔の自分なら一人で向かっていただろう。
だが今は違う。王だ。夫だ。父親だ。背負うものがある。
ガルヴァンは深く息を吐いた。
「焦るな」
低く落ち着いた声だった。
「俺もお前の友、ゼルファを助けたい。だからこそ、準備するんだ」
リオンはしばらく黙り込んでいた。やがて、小さく頷く。
「……悪かった」
素直な謝罪だった。ガルヴァンも頷く。
「分かればいい」
それから一週間。共和国は慌ただしく動き始めた。
燃料。弾薬。食料。医薬品。通信設備。
武器商人のJと日本側から救出作戦に必要な物資が次々と集められていく。
今回は大軍による侵攻ではない。目的はゼルファの救出と現地状況の確認。
何よりも速度が重視された。選ばれたのは狼族の精鋭部隊。
十数名の少数部隊だったが、全員が実戦経験豊富な戦士たちである。
さらにガルヴァンも同行することになった。
「本当に来るのか?」
リオンが尋ねる。するとガルヴァンは即答した。
「お前を一人にすると、ろくなことにならん」
誰も否定できなかった。
出発当日。飛行場では大型ヘリが待機していた。
兵士たちが最終確認を行い、整備員たちが慌ただしく動き回る。
見送りにはリゼとルナも来ていた。
「気を付けてください」リゼが静かに言う。
「ああ」リオンは頷いた。
ルナもリオンを抱きしめ囁く。「無茶をしないように」
「努力する」
「信用できません」
「俺もそう思う」珍しく自覚はあった。
そのやり取りに、周囲から小さな笑いが漏れる。
少し離れた場所では、アレリーナがアレンを抱いていた。「必ず帰って来い」
短い言葉。
だが、その声には強い想いが込められていた。
リオンも真剣な表情で頷く。「ああ」
アレンが小さな手を振る。「きゃー♪」
リオンは思わず笑みを浮かべた。
「帰ったら遊んでやる」
もちろんアレンには意味など分からない。
それでも、父親として約束しておきたかった。
やがてローターが回転を始める。
バババババババ!!
轟音と共に風が吹き荒れた。兵士たちが次々と乗り込む。ガルヴァンも座席に腰を下ろした。
「行くぞ」
「ああ」
リオンも機内へ乗り込む。扉が閉まり、機体がゆっくりと浮上した。
共和国の空。広大な森。遠ざかる王城。
その全てを見下ろしながら、リオンは静かに拳を握る。
ゼルファ。グランゼル王国。レオルディア王国。
全てが、その先に待っている。だが今度は一人ではない。仲間がいる。準備もある。
だからこそ……「必ず助ける」
その言葉を胸に。
大型ヘリは西の空へ向かい、力強く飛び立った。




