第293話 懐かしい名前
ガルリオン共和国王城の公務室。
「……終わらねぇ」リオンは机に突っ伏していた。
机の上には書類の山。外交、貿易、税収、道路整備、森林開発、日本との取引。国王の仕事は多かった。昔は傭兵だった男も、今では立派な書類仕事の奴隷である。
その時だった。
コンコン。
扉が叩かれる。「入れ」
秘書官が一通の封筒を持って入ってきた。「陛下。至急扱いの手紙です」
「どこからだ?」
「グランゼル王国方面とのことです」
リオンは少し眉をひそめた。セルトリア王国。昔リオンが住んでいた国だ。最近はあまり交流がない。
「置いてくれ」
「はっ」秘書官が去る。
リオンは封筒へ手を伸ばし、差出人を見た瞬間、手が止まる。
「……は?」
そこに書かれていた名前。ゼルファ。リオンの表情が変わった。
「ゼルファ……?」
懐かしい名前だった。故郷から逃げたした間もない頃、魔導具の研究を一緒にしていた変人。先生のような存在であり、友人のような存在でもあった。リオンが知識を持ち込み、ゼルファが魔法理論を補う。そんな日々を思い出す。
「生きてたのか、あいつ……」思わず呟く。
しばらく連絡をしていなかった。だから半ば消息不明だと思っていた。リオンは急いで封を切り、手紙を読み始めた。
数分後、公務室は静まり返っていた。
「……おいおい」リオンの顔から笑みが消える。
手紙にはこう書かれていた。グランゼル王国は戦争状態にあること。隣国レオルディア王国が侵攻を開始したこと。そして、国境都市リベストが陥落したこと。
「リベストが落ちた……?」
信じられなかった。リベストは大都市だ。簡単に落ちるような場所ではない。しかし、手紙は続く。
ゼルファ自身も命からがら脱出し、現在は第二都市ナルディへ避難。だが戦況は悪化、レオルディア軍の侵攻は止まらず、ナルディも陥落する可能性が高い。
そして最後、震えるような文字で書かれていた。
【助けてくれ】
短い。しかし、重かった。
リオンは椅子へ深く座り込む。「……」しばらく無言だった。
そこへガルヴァンが入ってくる。「どうした?難しい顔してるな」リオンの様子がおかしいことに気付いたらしい。
「これ見ろ」手紙を渡す。
ガルヴァンは読み始め、顔色が変わった。「……おい」
「だろ?」
「冗談じゃねぇぞ」ガルヴァンは即座に机へ手をつく。「レオルディア王国ってあの軍事国家か?」
「ああ」リオンも頷く。名前くらいは知っている。この周辺でも有数の大国、拡張主義で有名な危険国家だった。
「グランゼル王国が押されてるのか……」
「らしい」
公務室が重くなる。これはもう個人の問題ではない。国家の問題だ。
「どうする?」ガルヴァンが真剣な顔になる。
リオンは即答できなかった。ゼルファは友人だ、恩人でもある。助けたい。しかし共和国には守るべきものがある。リゼ、ルナ、アレリーナ、子供たち、国民。軽々しく軍を動かせる話ではない。
「……」
沈黙。しかし、リオンの脳裏には昔の光景が浮かんでいた。ボロい工房、魔導具の試作品、失敗して爆発する実験、徹夜の研究、ゼルファの呆れ顔、そして笑顔。
「ガルヴァン」
「なんだ」
「まず情報を集める。ナルディの状況、レオルディア軍の規模、グランゼル王国の現状。全部だ」
「分かった」ガルヴァンは頷いた。
リオンは手紙を見つめる。その紙には最後に一行だけ付け足されていた。
【お前なら助けてくれると思っている】
「……馬鹿野郎」思わず苦笑した。しかしその顔は少しだけ嬉しそうでもあった。
遠い異国で今も自分を頼ってくれる友人がいる。それは決して悪い気分ではない。
しかし、同時に、リオンは理解していた。
これはきっと、共和国を巻き込む大きな事件の始まりなのだと。




