第247話 静けさを求めて、聞こえた声
王城・裏手。夜。
「……もう無理だ」
リオンはぽつりと呟いた。神殿、聖女、クマ(未遂)、説教。全部まとめて、頭の中がうるさい。
「一人になりたい……」
数分後、リオンは一般兵士の服に着替えていた。質素な布鎧、見慣れない剣。王の面影はほとんどない。鏡を見て頷く。
「……よし、バレないな」
人気の少ない裏門を抜け、向かう先は馬小屋。王城の喧騒から離れたその場所には、静かな空気があった。干し草の匂い、ゆっくりとした呼吸音。
「……落ち着くな」
小さく息を吐く。久しぶりに、何も考えなくていい空間だった。
「少し借りるぞ」
適当な馬を選ぶ。茶色の、落ち着いた個体。暴れる様子もない。「いい奴そうだな」
手際よく鞍を持ち上げ、背に乗せようとした瞬間。
『重い』
「……は?」
リオンの手が止まった。周囲を見る。誰もいない。馬小屋は静かだ。
「……気のせいか?」
再び鞍を固定しようとする。
『だから重いって』
はっきりと聞こえた。低い声。どこか間延びしている。
リオンはゆっくりと振り向いた。「……誰だ」
誰もいない。兵もいない。精霊も――いない。
『下だよ』
リオンは視線を落とした。
そこにいたのはさっきの馬。じっとこちらを見ている。
沈黙。数秒。
「……いや」リオンが一歩下がる。「まさかな」
『その"まさか"だ』
リオンは顔を覆った。「……やめてくれ。なんでだよ」
馬は鼻を鳴らした。『なんでって。お前が聞こえてるだけだろ』
「責任転嫁するな」
沈黙。リオンは天井を見上げた。
「……俺、疲れてるな」
『自覚はあるんだな』
「いやいやいや」リオンは首を振る。
「クマで神が出て、聖女に怒られて、今度は馬が喋るとか。もう終わりだろ」
馬はため息をついた。『失礼なやつだな。俺は前から喋ってる。聞こえなかっただけだ』
リオンはゆっくりと視線を戻す。「……つまり?お前、普通なのか?」
『知性ある馬だ。賢いだろ』
「いや怖い」
しばらくの沈黙。しかし不思議と――嫌ではなかった。むしろ。
「……静かだな」リオンが呟く。
『ここはな。人間が少ないからな』
リオンはゆっくりと鞍の紐を締め直した。
「……乗っていいか?」
『優しくな。さっきみたいに雑だと蹴るぞ』
「物騒だな」
軽く跨ると、馬はおとなしく受け入れた。
『どこ行くんだ』
「決めてない。適当だ」
馬小屋を出る。昼の空気、静かな風。久しぶりに何も背負っていない時間。
「……なあ」リオンがぽつりと言う。
『なんだ』
「少しだけでいい。王じゃない時間、くれ」
馬は短く答えた。
『乗せてやるよ』
昼明かりの下、一人と一頭は静かに歩き出した。
王ではない時間がほんの少しだけ、流れていた。




