第227話 銀の産声
北部の森に、その日は朝から静けさが満ちていた。
風は穏やかで、精霊も騒がない。
まるで“今日は大切な日だ”と森そのものが理解しているかのようだった。
「……始まりそうです」
そう告げたのは、付き添っていた狼族の女性だった。
ルナは、額に汗をにじませながらも、はっきりと頷く。
「大丈夫。狼族の出産は、静かなものです」
その声は、驚くほど落ち着いていた。
リオンは、森の外で待っていた。
中には入らない。
それが、ルナ自身の希望だった。
「王は、外で待っていて下さい。産声が聞こえた時に、来てくれればいい」
その言葉を、リオンは守った。
拳を握り、ただ待つ。
胃の痛みではない。
これは別の種類の緊張だった。
やがて。
「……あ」
小さな声が、森に響いた。
続いて。
確かに、産声が上がった。
高くもなく、低くもない。
力強い、はっきりとした声。
その瞬間、リオンは息を吸うのを忘れていた。
呼ばれて、森の中へ入る。
そこにいたのはルナの腕の中で眠る、小さな命。
銀色の髪。
狼族らしい耳と、小さな尻尾。
だが、どこか不思議なほど普通だった。
神話でもなく。
聖獣でもなく。
ただの、生まれたばかりの狼族の赤ちゃん。
女の子だった。
「……銀色だな」
リオンが、そう呟くと。
ルナは、微笑んだ。
「父に似たのかもしれません」
「それとも……」
「この国の色、なのかもしれませんね」
赤ちゃんは、小さく手を動かし、指を握った。
リオンの指を。
その感触に、胸の奥が熱くなる。
「……軽いな。でも、ちゃんと生きてる」
ルナは、静かに言った。
「普通でいいんです。強すぎなくていい。この子は、狼族とリオンとの子として生まれました」
それを聞いて、リオンは深く頷いた。
精霊は、今回は騒がなかった。
森は、ただ静かに祝福しているだけだった。
それが、何よりありがたかった。
その夜。
ガルヴァンに、短い報告が届く。
ルナ、無事出産
【女の子】
【特記事項なし】
【健康】
それを読んで、ガルヴァンは珍しく微笑んだ。
「……よし。今回は、神話じゃないな」
北部の森に、新しい命が加わった。
銀色の髪を持つ、ただの狼族の少女。
だがそれだけで。
この国にとっては、十分すぎるほどの希望だった。




