開戦前夜
貴賓室にスピキ将軍を呼び出した。彼らはもはや老人のようだと言えず、頼り甲斐のある戦士の顔をしていた。
「先ほどブルースより報告がありました。アテネ属州を失陥したと」
彼の顔は動かない。分かっているんだろう、自分がなぜここに呼ばれたのか。約束の時が来たのだと理解しているんだろう。
「そして反乱の首謀者はハンニヴァルカ・アナキヌス・スパルタクスと名乗っていたそうです。また、旧アテネ国軍やカルタゴン軍の生き残りも合流していると」
「……真逆の方向でしたか」
彼はハンニヴァルカ・アナキヌス・スパルタクス捜索部隊を率いて旧カルタゴン周辺やゲルマン地域を探っていた。まぁつまり彼はハンニヴァルカ・アナキヌス・スパルタクスを読みきれなかった訳だけど、それが何を意味しているのか、薄々私にも分かってる。
「奴はおそらくハンニヴァルカではないと?」
「えぇ、私の勘としては。しかしまだ分かりません。ハンニヴァルカが私の思考を読んでいたと言うことも考えられますから」
「ですがどちらにせよ潰すだけです」
ハンニヴァルカであれば因縁の相手をもう一度潰す、ハンニヴァルカでなければ戦友を騙る者を潰す、そんな具合だろうか。まるで少年漫画みたいだ。
「その為には何が必要なんです?」
少しの時間、彼は顎に手を当てて考えた。そして彼は私に指を差した。
「貴方と、そして近衛兵です」
士気を上げる為に皇帝が必要と、そう言うことか。
「ではそうしましょう、貴方が必要と言うのであれば」
餅は餅屋、この前平民議員が独裁官制度への言及を避けたみたいに私もそうするべきだ。だって軍事の知識なんてほぼ無いしね。
「感謝いたします、我が皇」
彼と握手をした後、私は自分の寝室に戻った。整えられた布団、片付けられた裁縫道具、そして誰もいない、私だけの部屋。なのに目の前には私の知ってる人が居る。誰も入れるなと言っていた筈なのに。
「お久しぶりですね、お母様。何か火急要件でも?」
一年合わないうちに随分老けたように見える。でも母親はいつまで経っても母親で、なんというか、怒られるかもと思うと怖い。母の説教よりも怖い経験なんて何回もしてるのに。
「火急の用がなくては母と子は会ってはならない、そう言うルールはないでしょう」
「ありますよ、私はエルガーベラス家の家長で皇帝です。何より先々月可決したじゃありませんか、ヘラヘラ緊急法」
「口達者ね、誰に似たんだか。ヘリオース・エルガーベラス、ここに座りなさい」
私をフルネームで呼んでベッドを叩いてる……説教だ。
「早く」
いつもの私なら不法侵入です出ていってくださいと言っていた。なのに何で今はそれができない。皇帝であるのなら家族なんて他人でなくてはならないのに。
でも身体は正直で、少し手を振るわせながら母の隣に座ってしまった。
「何です、お母様」
なんて綺麗な人なんだろう。難儀な息子を持ってしまって、その子が皇帝になって、独裁をして、そりゃ皺だって増えた、なのにこの人は昔よりもずっと美しいように感じる。
「……ごめんね、ヘリオ」
母は私を抱きしめた。啜り泣く声が耳元で聞こえて、私の胸が張り裂けそうになる。勝手に泣いてるのはこの人なのに、何で私が少し泣きそうになってるんだ。
「なんです?お母様らしくない」
「ごめんなさい、皇帝になれなんて言ったせいで、貴方は……」
貴方が言う事なのか、それは。昔からずっと、貴方は私のしたい事を否定してきたじゃないか。服もお人形遊びも、最終的には諦めて許してくれたけれど、ずっと長男でしょって言って否定してきたじゃないか。なのに私が役割に生きようと決めた途端に、貴方は……
「辞めてくださいね、お母様。今更になって謝られても何にもならないでしょう」
「怖くなったのです、私は。エルガーベラスの領民達が貴方に放蕩皇帝だとか悪逆非道だとか、そう言う罵声を浴びせていて」
自分の領土、荒地だし生産性もほぼないから放置してたんだけど、ともかくそっちではそうなってたのか。まぁそう言われても仕方ないよ、だってエルガーベラス北部での反乱潰したし作物も強制徴収したし。
「別に割とよくあることですよ、お母様。私は皇帝なんですから。これが私の役割何です」
抱擁を解いて母の顔を見た時、彼女は大粒の涙を流していた。まるで心臓が鷲掴みにされたみたいに痛い。
「正直後悔しています、私は。私の一人娘を皇帝にしてしまった、人柱に。最低の母親だと分かっています、でも死んで欲しくないの貴方に……私は……」
めちゃくちゃな言葉だ。多分、混乱してるんだろう。それ程までに後悔していたのか、私を皇帝としてしまった事を。でも後悔しているからって許される理由にはならないでしょ。まぁ、それは母が一番分かってるだろうけど。だって、この人は私の母だから。
「それで、何を言いにきたんです?お母様。ただ顔を見たいから会いに来た、なんて無駄な事をする人には思えませんし、何より貴方は私のお母様です。ですから私と同じく何か唐突な思い付きをしたんじゃないんですか?」
まるで私がイグニオン神星会議で突然自分の女装の正当化を図ろうとしたみたいに、貴方も何か突然思い付いたからここに来たんでしょう?
「お見通しね、ヘリオ。そうよ、私と逃げましょう、ヘリオ。全てを投げ出して」
……ふざけるな。
「それは筋が通らないでしょ、お母様」
私は立ち上がって自分の母を見下ろした。この人こんなに小さかったっけか、そう思った。
「わかってるわ、でも……」
「辞めてくださいねって言ったでしょ。自分の罪悪感を拭う為に子供を利用しないで下さい。それにほら、わかるでしょ」
「もう私個人がどうこうとか言う次元じゃないんです。私が傷ついて他の人も苦しんでどうにかして終わらせる、それ以外の選択肢なんてどこにありましょうか」
母はしばらく何も言わず、数分後立ち上がった。目にはまだ涙と泣き腫らしが残っていた。
「……ごめんなさい」
母はゆっくりと、ゆっくりと扉に向かった。そしてその扉を開け、私に振り向いた。
「愛してるわ。それと、綺麗よ」
去っていく母。綺麗よという言葉。いつの間にか私の頬には涙が伝っていた。弱いままの私じゃいけないのに、何で私の中の私は完全に消えてくれないんだ。




