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遠藤記者は簡易な朝食にいたく感激し、普通にトイレを借り、化粧を直して万全の態勢を整えた。
裸女のレポートは読んでいたので、その両親がやって来ると知って、是非とも取材したいと言う。 どこにも報道されていないのだ。 断られることは承知の上だろう。 それでも一応、とか言っている。 記者なりの秘策があるのだろうか。 昨夜の張り込みが空振りに終わってしまい、何かしらの埋め合わせ情報を欲しているようにみえた。
しかし、こっちが事件のことを吹聴して回り、雑誌記者まで手配したと思われては心外なので、神崎からそれはやめてくれとお願いした。
それに遠藤は、唇を尖らせながらも、案外、簡単に了承した。
車内温度は、これからぐんぐん上昇していく。 エンジンを止めて、エアコンなしの張り込みなど考えられない。
昼の間はてっきり自宅なり、会社へ戻ると思っていたが、遠藤はこのまま張ると言う。 それならこの部屋にいたらいいと薫子が言って、その言葉を待っていたかのごとき早さで、彼女は礼を言った。 また、神崎抜きで、話は進んでいくのだった。
裸女の両親は先の電話で約束した通り、正午を少し過ぎたころ、神崎のアパートを訪れた。
歳は二人とも五十かそこら。 憔悴の風貌から、ここ最近になってやっと復活できたような、辛気臭い雰囲気を引きずっている。 ただ、顔には努めて明るさを浮かべていた。 旦那の顔を見て、神崎は裸女の顔を思い出した。
「探、上がってもらって」
「いえいえ、奥さん、本当にもうお構いなく……」
薫子は盆に麦茶を載せて、ご両親が断りにくいパフォーマンスをみせた。 奥さんと呼ばれたことも、さらりと流してみせた。
それに一旦遠慮したのも、娘のことで礼を述べたのも、旦那のほうだ。 奥さんは、まだひと言も発していない。
「心的ショックが大きくて、警察の聴取にも、まだ断片的にしか答えられない状況で、私どもにも、まったく事件のあらましがつかめんのです。 現状から推測することしか……。 それでも昨日にやっと退院の許可が下りまして、家に連れ帰ることができたしだいです」
「そうですか……」 大変ですね、とは言いづらく、神崎は継ぐ言葉を飲み込んだ。
犯人の目星やら、いつ、どこで、どういったふうに……。 こちらの質問には、何も答えられない、と先に言われたような感じだ。
「あのぉ」 と、盆を胸に抱えた薫子が口を開いた。 「探は……」 と神崎を指さし 「お嬢さんは担架で運ばれていくときに、探を指さして、叫び声をあげたそうなんです」
「おい」 と神崎は制したが、彼女は続けた。
「そのせいで、探はまるで犯人扱いを受けて、朝まで拘束されてしまったんですよ」
初耳だ、と夫妻の表情が語っていた。
「それは、何といいますか。 誠に……」
口ごもる旦那は妻に目で助けを求め、奥さんは奥さんで、旦那に困惑の表情を向けてはうつむく。
「ドライブレコーダーで誤解は解けましたし、そのことを恨んではいませんよ。 ただ、あれが何だったのかが、今でも不思議なんです。 俺の顔が犯人に似ていたとか……。 それでもし、お嬢さんが元気になられたら、あのときのことを覚えているなら、でかまいませんけど、どういう意味だったのか知りたいですね」
夫妻の心情を察すれば、こんなことは言いたくなかったが、薫子の勢いに便乗する形で、宿題を投げかけた。 それで少し後悔して 「すべてが解決して、もう大丈夫ってなったらの話ですけど」と言い添えた。
監禁場所から自力で脱出したのか、そもそも監禁などはなくて、全裸で山に放置されたのか、犯人の人数は、何をされた……。 好奇心は、不躾で他人事で、膨張を制御するのに苦労する。
「命あって、帰ってきてくれただけで感謝」
そういうものなのか?
夫人は旦那に 「おい」 と促され、思い出したように、傍らに置いたトートバッグから包みを取り出した。
「これは、娘が借りていたジャージと同じものです」
あぁそう言えば、ていどの服だ。 しいて言えば、薫子も常盤も、あのジャージには袖を通したことがある。 ジャージは病院で切られたらしく、同じメーカーの同じ色の同サイズを、奥さんがネットで取り寄せたそうだ。 現金でいいのに、とは言わないでおいた。
夫妻は麦茶には手を付けず、重ねて礼を言って帰っていった。
神崎と薫子が玄関まで見送りに出て、振りかえると寝室から遠藤記者が出てきていて、麦茶を飲んでいた。
「けっきょく、まだ何もわかっていないんだね」 遠藤は言う。
「そうらしいな。 仕方ないか」
「……本当にまだそんな状況なのか、調べてあげましょうか?」
え? 両親がウソを言っているとでも? 神崎は薫子と視線かわした。
なるほど、記者という人種は、そこから疑うのか……。




