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遠藤は話を聞き終えると、こめかみを指で打って、しばし思考を巡らせた。 そして、この近辺で張り込んでもいいか、と言った。
話に出てきたストーカー男が、腕にギプスをしながら継続する、と思っているわけではないだろう。 代打がやって来ると考えているようだ。 ストーカー男は警察が見張ってくれているので、意味がないと思うのだが……。
女性でもそういうことをするのかと驚いた神崎は、警察に任せたほうがいいのでは、と一応止めた。 勝手にどうぞというのが本音だ。
遠藤は一瞬顔を歪めた。 会社へ戻ると言って立ち上がった。 検討してみるらしい。 神崎の制止を女性蔑視と受け取ったのかもしれない。
一人になった神崎は、事件についていろいろと考えたが、わからないものはわからない。 現実逃避か問題の先送りかで、おもむろに文庫本を読み始めて、たまにカーテンの向こうに目をやり、スマホに目をやって、また本の中へ舞い戻る。
そうこうしているうち、文庫本に指を挟んで眠ってしまい、スマホが鳴ったような気がして目覚めた。 頭がおかしくなってしまう自分を想像できてしまう。 まだまだ精神的には余裕だ。
気晴らしドライブのつもりで、玄関まで行って車のキーを取った。 突っ込んでくるダンプカーが脳裏に浮かんで、車のキーを手放した。 訂正……自分で思っているよりも、ダメージを食らっているっぽい。
うだうだしているうちに正午近くになって、やっと神崎は腰をあげた。 本屋へ行くつもりでいる。 きっちりと施錠して、部屋を出た。
燐家との境のブロック塀のところに、一つだけ鉢植えが置いてあって、ラザニアだかガザニアだか……絵梨子さんが何と呼んでいたか忘れた……の黄色い花が咲いていた。 それで何かを思い出しそうだったが、別に浮かんだアイディアに埋没した。
神崎は花びらを一枚ちぎると、再度ドアを開いてラッチの部分に挟んでおいた。 何者かにドアを開けられれば、ヒラリと落ちるという古典的な仕掛けだ。 たとえ侵入者があったとしても、どうしようもない。 ただ、帰宅したときに花びらが落ちていたら、身構えることくらいはできる。
(こんな仕掛けをして外出しました。 帰ってきたら、花びらが落ちていました。 どうしましょう?)
浜田刑事のため息が、スマホから聞こえたような気がした。
母屋へ行くと、午前に借りた自転車はなくなっていた。 絵梨子さんが買い物へ乗っていったのだろう。 継母と自転車を共有しているのも嫌な気がして、自転車屋を思い浮かべる。 五千円以内で程度のいいものがあれば、即買いしてもいい。
長身細身の神崎は猫背気味に歩く。 パナマハットをかぶり直して、日陰を選んで。 いくら太陽から目をそらしても、暑いものは暑い……。
目当ての古本屋に到着すると、周囲をうかがってから入店した。 鼻腔に古本の匂いが充満した。
「いらっしゃいませ。 ……あら、今日は歩きかい?」
レジの横で小さくなっていたおばあさんが、老眼鏡をはずして上目遣いに神崎を見た。 いつも最初に訪れる古本屋のおばあさんとは、すでに顔なじみだ。
レトロな扇風機の前に立ち、Vネックをつまんで風を通した。
「今日はね」 と九割ほど端折って答えた。 いらぬ心配はかけたくない。 ……というより邪魔くさい。
「探し物は?」
と慣れたもので、今回の問題は?と尋ねるように、おばあさんは手の平くらいのメモ用紙とボールペンを重ねて、スッと押してよこした。
神崎はスマホのメモ帳を見ながら、六冊分のタイトルと著者名を書いた。 当然といっては失礼かもしれないが、この店に検索マシンは存在しない。 店主の記憶力が、マシン代わりというわけだ。
店主は老眼鏡をかけ直して、ふんふんと鼻を鳴らした。 「どれもうちには置いてないね」 即答だった。
さほどがっかりしなかった。 「ある」 と言われるほうが、ビックリするくらいだ。
それなら長居は無用とばかりに 「じゃあ、また来ますぅ」
出ようとしたところ、店主に呼び止められた。
「ちょっと、おにいちゃん。 ……たしか神崎って名だったかい?」
だいぶ前に、入荷しだい連絡をくれるよう、名前と携帯番号を伝えたことがある。
「そうですけど」
「一昨日の昼すぎごろだね。 おにいちゃんが帰った後、しばらくして、おにいちゃんのことを訊いてきた男がいたよ。 ほら、おにいちゃんがここに来て、すぐ後から入ってきたお客さんがいたろ?」
「へぇ、誰だろう」 などと、そらとぼけてみせるが、心拍数の上昇を意識している。 後から入ってきた人がいたことは、何となく記憶しているが、その客の顔は見ていなかった。
「どんな感じの人?」
「髪をピッチリと真ん中で分けていて、高そうな背広を着ていたね」
神崎の頭には、救急車で運ばれていったストーカー男が浮かんでいる。 髪型や服装なら、いくらでも変えられる。 アイツにちがいない、と疑わなかった。 顔の特徴や背丈は? あまり気にしているように思われても恥ずかしい気がして、詳しくは訊かなかった。
「どういう人かって訊いてきたけど、よく来てくれるお客さん、としか言いようがないから、そんな感じで応えておいたよ」
「ふ~ん」
おばあさんは、神崎の反応を見るわけでもなしに、本に目を落としている。 「娘に近づく虫の身辺調査ってやつじゃないのかい」 は冗談だろう。
「ちょっと気味が悪いけど、まぁどうでもいいか。 それじゃ、また」
神崎は店をあとにした。




