18
古書店巡りを不発のうちに終えて戻ってくると、アパートの部屋のカギが開いていた。
継母の絵梨子さんが、勝手に入っているのかもしれないと思って、そっとバーノブから手を離した。
マスターキーを使えば大家である両親は、いつでもこの部屋に入ることができる。 が、それを彼女が実行することは一度もなかったはずだ。 いや、自分が気づかなかっただけで、留守中、たまには入っていたのかも……。 ちらりとスマホ見た。 十四時ちょうどだった。 今日は何も収穫がなくて、いつもより早い帰宅だ。
中に絵梨子さんが居れば、だいぶ気まずい。
「あれ、来てたの?」 と彼女が普段からそうしていて、何も珍しいことではない、ような感じで言ってみるか?
……きっとぎくしゃくする。 険悪な関係になることは望んでいないのだ。 見なかったことにして、どこかで小一時間ほど時間を潰してくるのが、平和的かつ現状維持だ。
自転車を引っ張り出してまたがった。 母屋の勝手口が開く音がした。 漕ぎ出しのペダル半回転でブレーキを握った。
ちょっとバックして首を伸ばすと、垣根の向こう、継母がゴミ袋を手にして出てくるところだった。
あれ? 絵梨子さん……。
この地域の不燃ゴミは隔週回収なので、明日を逃してしまうと、次は二週間後だ。 パンパンに膨らんだ袋を一旦置いて、彼女はパタパタと家へ戻っていった。 戸が開け放しだから、またすぐに出てくるのだろう。
では、部屋には誰もいないということか……。 絵梨子さん、カギをかけ忘れちゃった?
自分がそれを忘れることはない。 今日はとくに、だ。
カギをかけた後、引き抜いたときに地面へ落としてしまい、それを拾おうとして、ドアに頭を打ちつけた。 痛み付きのエピソードは、深く記憶に残っている。 絶対に施錠した自信があった。
絵梨子さんは次に出てきたときに、こちらに気づいた。
「あら、探さん。 今からお出かけなの?」
自転車から降りた。 「いや、いま帰ってきたところ」 自転車をくるりと回して方向転換。 不自然だったか……。
「そう。 じゃぁ、うちでソーメン食べない? お中元で貰ったものが、けっこう余っちゃってるのよね。 ウフフ、もう作って、冷やしてあるの」
部屋に入った理由でも、聞かせてもらえるのか? 「うん、食うよ。 ソーメンなんていくらでも入るし」 そりゃないか……。
101号室のドアを引き、上り口へ肩掛けバッグを置いた。 部屋のカギとスマホだけを持って、きっちり施錠してから母屋へ向かった。
自分でもソーメンくらいは作るが、出てきたソーメンにはタマゴやらキュウリ、海苔、ゴマがトッピングされていた。 麺つゆは市販のものだ。 これだけでもちょっと嬉しい。
話題はとくになく、チュルチュルといただいて、すぐにさようならのつもりでいた。 ところが向こうは薫子の話を出してきた。
「よりを戻すつもりはないの?」 と。
十代の後半に、ちょっとだけ付き合っていた、と言う情報は入手済みというわけだ。 何で別れたの? という質問には答えたくない。
「ないよ。 しょっちゅう会ってるけど (呼び出されるけど)、 ただのお友達 (たまにHするけど)。 そんな話になったこともないし。 まぁ何となく連絡し合っている感じ」
絵里子さんと薫子は、神崎抜きで会っているらしい。 そのときに、そんな話が出ているのだろうか?
(絵里子さんと、なに話してんの?) それを聞くのは、いやらしい感じがするし、薫子も言わないんじゃないだろうか。
「ごちそうさま」
勝手に部屋に入ったよね? という話を、穏便に切り出す方法が浮かびそうになかったので、早々に立った。 長居は無用だ。
「あっそうそう、何なら夕飯も一緒にどお? 六時くらいなら、お父さんも帰っていると思うんだけど」
困惑顔の前で手を振る。 「それは遠慮しとく」
「そう」
ここで、しつこく誘ってこない、今の距離感を気に入っているのだ。
カギを開けて、101号室へ上がった。
この時期に食らう、閉め切った部屋の空気塊が、いつもよりマシだった。 もう今年の夏も過ぎ去ろうとしているのだ。 それとも、これがソーメン効果か。
コーヒーを淹れようと思って、いつものマグカップを探した。 流しに置いてないときは、大抵あそこ、ノートPCの付近だ。 リビングへ行って、ガラストップのテーブルを見た。
マグカップへ手を伸ばし、ふと、その手が止まった。
ノートPCが……ない。
ベッドで使うことも……。 寝室をのぞきに……その前に、これはなんだ。 本棚が荒らされている。
部屋から飛び出て、母屋へ走った。
勝手口を勢いよく開くと、江梨子さんがびっくりして、洗い物の手を止めた。
「えっ探さん、やっぱり夕食……」
「違うんだよ。 部屋のカギが開いていて、パソコンがパクられてんだ」
絵梨子さんが、いや、親父のやつが……。
江梨子さんは慌てて手を拭いながら寄ってきた。 「私は勝手に入ったりしないわよ」
声に出していないのに、先に言われた。 血相を変えて、母屋に飛び込んできたものだから、自分が疑われていると思ったのだろう。 ……これは尾を引くかもしれない。 しかし今は、それどころではない。
ゲームばかりしている子どもの親が、ゲーム機を破壊するように、親父が、就職しない息子のノートPCを取り上げる、なんて想像をしていた。
「警察に電話するよ」
親父たちが持っていったのなら、通報されると困るはず。
「すぐに呼んだほうがいいわ」
これは本格的にマズい。 キャッシュカードの情報。 個人売買の情報。 書きかけのこっ恥ずかしい小説、通販の、それとあれと……何だっけ? とにかく警察だ。




