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神崎の軽バンに照らし出された女性は、道路わきの斜面をよじ登ろうとして、滑り落ちた。
神崎が車から降りて駆けよると、女性は側溝に片足を取られながら、肩にかかるほどの茶髪を振り乱して暴れた。
何とか鎮めよう思って話しかけるも、全裸の女性は、なおも逃げようとして、側溝沿いに後退った。
「待てって。 俺は怪しいもんじゃないって」
手を差し伸べた瞬間、顔を叩かれた。 ッツ――クソッ。
神崎は女性の両手首を捕まえた。 頭に浮かんでいる状況は、拉致監禁。 女性がどこかから逃げてきたのだとすれば、近くに危ない奴がいる可能性がある。 あえて強調することではないが、腕っぷしには自信がないのだ。
「なぁ、ここから離れたほうがいいんだろ? 警察か病院へ行こう。 とにかく逃げよう。 俺の車に乗れって」
矢継ぎ早に言葉を並べると、女性は腫れあがった瞼で、やっと神崎を見た。 彼女の顔に殴られた痕、鼻血の乾いた痕。
神崎はズレた眼鏡をかけ直して 「急ごう」 とあらためて女性の手を引いた。 が、ズンと重い。 彼女は引っ張ろうとする神崎の手を凝視しながら、ガタガタと震えた。
恐怖は神崎へも伝染する。 こうしている間にも、ホッケーマスクにチェーンソーを振り回した男が、追ってくるような気がした。
「運ぶぞ」 と自分にも言い聞かせるように声をかけ、神崎は火事場のフルパワーで、女性を抱え上げた。 さっきみたいに暴れたりはしなかった。 それでも自分で動かないのだから、困ったものだ。 それにこの女……薫子より確実に重い。
車まで戻って、後ろのハッチドアを跳ね上げる。 荷台の端に彼女の尻を下ろし、両手で彼女の顔を挟んだ。
「俺を見ろ」
彼女はビクッと首をすくめた。 できるだけ優しく言ったつもりだ。 「ここから逃げよう、な」
納得してくれたのか、女性が自ら転がるようにして奥へ行ったので、ハッチドアを閉じた。
自身は運転席に飛び乗り、すぐに車を発進させた。 後ろでゴンッという音。 彼女が転がって、どこかにぶつかったのかもしれなかった。
「大丈夫か?」 とは聞かないでおいた。 大丈夫なわけは、ないだろうし……。
「天井のライトのスイッチ、わかるか? 点けたら、そこら辺に旅行カバンがあるだろう。 それにタオルとか、ジャージとかが入ってるから」
返事はない。 もう一度、言ってやろうと思ったとき、荷台のライトが点いた。 ちゃんと聞こえてはいるようだ。 返事はないが、ジッパーを開ける音がした。
神崎は、後ろから追ってくるものがないか、とバックミラーをチラチラとうかがっていた。 こんなカーブの多い下り道で煽られでもしたら、それこそ堪ったもんじゃない。 そうじゃなくても、焦る心で車のスピードは上がっている。 自爆しそうだ。
追ってくる車も、すれ違った車もなく、なんとか麓まで下ってきた。
以前に通った記憶のある道路に出てきて、冷静にもなれた。
ここに来て、やっと数台の走行車があった。 さっきまでは出会わないように願っていた他人の車が、今は同じ道路を走っているだけで頼もしい。
コンビニの看板が光っていたので、駐車場の一番端に停めた。 店内に、客は一人もいないようだった。 照明の明るさが、ホッとさせる。
背もたれを倒して、外には出ずに、後ろへ移動した。
「よぉ、なんとか市街地まで降りてきたぞ。 ここまで来れば大丈夫だと思うけど。 ……なあ、持つところがなくて、大変だったろう?」
彼女は、エアマットで体半分に伏せていた。
神崎は鼻息をついて、たたんであった後部座席を、助手席の後ろの片方だけ起こして、ちゃんと座れる座席にした。 ヘッドレストも忘れず差し込んだ。
「ここに座ってよ。 窓のカーテンは開けてもいいし、開けなくてもいいから」
女性から返事はないし、顔を伏せたままで、動こうともしない。
神崎は、コンビニで飲み物を買ってやろうと思って、外へ出た。 降りる際に一応、で欲しいものはないかと尋ねたが、やっぱり返事はなかった。
今、走ってきた道路を気にする。 ここに入ってくる車があれば、すぐにでも動けるように、エンジンはかけっ放しにした。
ペットボトルのお茶を買って戻ってくると、女性はちゃんとシートに座っていた。
ほらよ、とお茶を顔の前へ突き出し 「これ、俺の奢りだから」 と軽口をたたいた。 無反応か……。 「ここから一番近い警察署へ、連れてってやるからさ」 と言った。
彼女は、あいかわらず口をきこうとしなかったが、神崎の手から、ペットボトルを受け取った。 そして、うなずいたような気がした。




