第四章(10)
「……ザイェーム・リンドオール」
魔王が何かの魔法を唱えた。その瞬間。
「なっ、あああっ」
急に俺たちの目の前が暗転した。同時にひどい目まいに襲われる。立っていられないほどの目まい。平衡感覚がなくなる。強烈な吐き気までしてきた。
「うぐうぅぅ。なんだよっ、これはぁっ?」
気づいたら俺たちは三人とも真っ暗闇の中にいた。真っ暗闇、何も見えない。それどころか上下左右の感覚さえわからない。手足も動かせないようだった。身動き一つできない暗黒の空間、その中にいつの間にか俺たちは閉じ込められていた。
「……勇者どもよ」
声、魔王モルグラッドの声だ。魔王は俺たちの目の前にいた。闇の中に浮かぶように立って俺たちのことを見ていた。
「……ここは我が作り出した空間、もはやおまえたちの自由は効かぬ」
冷徹に骨まで響いてくるような魔王の声。
「後のおまえたちはゆっくりとここで死にゆくのみだ」
「な、なんだと?」
俺はどうにか首だけは動かすことができた。左右を見ると、暗闇の中には仲間たちの体が浮いていた。
「ノルノ! バムントさん!」
「…………」
二人とも返事はない。ぐったりとして動かない。わずかに息だけはしているようなので、死んではいないようだった。しかし、だからいいと言うことはまったくなかった。モルグラッドの言ったことが本当ならば俺たちはこのままここで何もできずに死んでいくしかないのかもしれなかった。
「く、くそっ。モルグラッドめ。まさかこんな奥の手を隠し持っていたとは!」
理解を超えるほどに恐ろしい魔法だ。おそらく暗黒魔法なのだろうが何がどう作用しているのかもわからない。気づいたら俺たちはモルグラッドが作り出したというこの暗黒空間で死を待つだけの状況になっている。これほど恐ろしい魔法はない。魔王モルグラッド、これほどの敵に俺は勝負を挑んでいたとは。一瞬でも勝てると思った俺が馬鹿だったのかもしれない。
「も、もう死ぬしかないのか……」
あきらめたくない。当然、死にたくない。しかしこの状況、いったい俺はどうすればいいのだろうか。首を少し動かすのがやっとの俺に何ができるというのだろうか。
「勇者の力、こんなときこそ勇者の力で……」
魔法に対抗できるのは俺の中に流れる勇者の力だけだ。それだけが頼りとも思えた。
「だ、駄目か……」
しかし、相変わらず俺はほとんど動けない。勇者の力を発揮しようと思ってもどうにもならないようだった。いや、ノルノとバムントさんは気を失っている。こうして俺だけ意識を保っていられるのも勇者の力のおかげだと考えることもできたが、
「それだけじゃどうしようもないな、くそっ」
俺の心の中にあきらめの気持ちが広がっていく。
と、そこへ。
「……勇者よ」
突然、モルグラッドが話しかけてきた。
「我はおまえに最後の機会を与えてやらねばならぬ。我に剣を向けるためのな」
「えっ?」
「なぜなら我とおまえは同一の目的を持った存在だからだ。目的の前には我が命すらも選択肢の一つに過ぎぬのだ」
「……なに?」
俺には魔王の言い出したことの意味がまったく理解できなかった。
これは罠だろうか? いや、この期に及んで俺に罠をかける必要なんてまったくないはずだ。なら、どうして……。
俺はモルグラッドをただただ見返す。魔王は静かに続ける。
「今は我もほとんど体を動かすことはできぬ。我が力の全てはこの空間を生み出すことに注がれたが故に。おまえはまだ我を滅ぼせるだけの可能性を持っている」
なぜ、魔王がこんなことを言うのか。敵である俺に有利な情報を与えてくるのか。そんなことは一片もわからなかったが今はやつの話を聞く以外に俺たちが生き残れるすべはない。俺は魔王の一言一句を脳に焼き付ける。
「おまえたちが死ぬまではあと数分。それまでに、もしもおまえが勇者という存在の真の意味を理解したならば、自然はおまえに味方をするやも知れぬな」
「……いったいどういうことだ?」
「…………」
答えない魔王。後は自分で考えろということか。
魔王は何が言いたかったんだ? 勇者という存在の真の意味? いったいどういうことなんだ? 自然が味方? そうすれば俺は魔王を倒せるのか?
俺は魔王の言葉を脳内で何度も反すうさせる。わからないことだらけだが、今の俺にはとにかく一つ一つのことを考えていくしかない。考えるだけしかできない俺は必死に考える。
「勇者の意味、だと?」
そんなことを考えるのは初めてだった。意味も何も俺は勇者として異世界から連れてこられた。それだけのはずだった。たぶん偶然、俺には勇者としての才能みたいなものがあったのだろう。その程度にしか俺は思っていなかった。それは違うというのだろうか。
「確かに考えてみれば……」
勇者の力というものはとても不思議なものだ。魔法の力とも電気などの普通の力とも違う。いくら異世界の人間だからといってもそんな不思議な力が俺の体から生み出されるのはおかしな話かもしれない。きっと何か大きな存在による手助けがあるのかもしれない。例えばこの世界の自然界だとか自然法則だとかによる手助け。魔法力が体の中に流れる魔王や魔獣と同じように。
「はっ!」
ここで俺はあることを思い出した。
勇者と魔王はコインの裏表のような存在だ、というロネア様の言葉を。
彼女は勇者に与えられた力と魔王たちに与えられた力が同じようなものだと言いたかったのかもしれない。
「モルグラッド、おまえは勇者とおまえたち魔王や魔獣が似たような力を持っていると言いたいのか?」
「……その通りだ」
今度の質問には魔王は答えてくれた。
「我々の力はどちらも自然の力によって生み出されたもの。それぞれの力には正しい使われ方というものが存在するのだ」
「……正しい使われ方」
この言葉、とても重要な気がする。魔王たちの力、この力の使われ方は明瞭だ。魔法力を使いすぎる人間たちを滅ぼそうとする、これが魔王たちの持つ力の正しい使われ方だろう。一方、勇者の力はどうだろうか。勇者の力は魔王や魔獣を倒すためのものだろう。そうとしか考えられない。おそらくそれも間違いないだろう。
「では、なぜ自然界とやらは自らが生み出した魔王や魔獣をわざわざ倒すための力を用意したのか?」
これは大きな謎のように思えた。相反する力と存在を作る自然。その目的とは?
「も、もしかして!」
俺の脳裏にある考えが閃いた。自然がせっかく生み出した魔王や魔獣を逆に消そうとするのは……。
「おまえたちの体が魔法力で出来ているからか!」
魔王も魔獣も体には魔法力の黒い霧が流れている。その魔法力は本来、自然にはあってはならないもの。人間が魔法を使うことと同じ類のことなのだ。人間対魔王の戦いは毒をもって毒を制するという形であったが、人間が使う魔法力が減れば今度は魔王たちの方がが自然に大きく反した存在となってしまうのだ。
「つまり、今のおまえは自然にとっては矛盾した存在となっているわけなのか」
魔王モルグラッドは小さくうなずいた。
「ロンセリアという国の魔法力プラントはすべて停止した。今の我の魔法力は世界にとって必要以上に大きすぎるやも知れぬ」
俺は何とも言えない気持ちになった。
「……勇者という存在の真の意味、それは人間に対抗するためとはいえ大きすぎる魔法力を持ってしまった魔王の存在をこの世から消すためのシステム、というわけだったんだな」
モルグラッドはすべてを語る。
「そうだ。世界に魔法力の均衡をもたらすこと。それが魔王である我と勇者であるおまえに与えられた同一の目的なのだ」
人間が魔法力を使いすぎれば魔王が人間を攻撃する。次に魔王が強くなりすぎれば勇者が魔王を倒す。世界はこの繰り返しによって魔法力のバランスが保たれる、という仕組みになっていたのか。
「うっ。こ、この力は……」
少しすると、俺は急速に体の中に力がみなぎってくるのを感じた。今まで体にあった勇者の力、それをはるかに上回る量の力が俺の体の中に流れ込んでくるのがはっきりとわかった。
「こ、これが自然が俺の味方をするということの意味なのか!」
光に包まれる俺の体。今までが嘘のように体が軽くなる。俺はモルグラッドが作り出したこの暗黒空間の中ででも自由に動けるようになったようだった。
「……すごい力だ」
白い光が剣先からも大きく伸びたマイネストラス。まるで常時でもグレイトフル・ブレイブを使った状態が発動しているようであった。
「……勇者よ」
しばらくして魔王モルグラッドは言った。
「我は我自身を否定することはできぬ。故に我は自滅することはできぬ。故に我は人間と戦い続ける」
残った右手で大鎌を構える手負いの魔王。ただ、自身の言葉通りほとんど体を動かすことはできないようだった。
「しかし、真の理解を得た勇者の手によって敗れるのであらば……」
魔王は落ち着いた口調で続けた。
「それほど悪い気はせぬかも知れぬ」
「……モルグラッド」
俺は動けない魔王の前まで来ると光の刃が伸びるマイネストラスを高く掲げた。モルグラッドは憎き魔王だとはいえ、その胸中に複雑な感情がひしめいていることを俺は理解した。俺に最後のチャンスを与えてくれたことにも感謝しないわけにはいかない。だが、俺にはモルグラッドを倒さないわけにもいかない。
「すまない」
「…………」
俺はマイネストラスをまっすぐに振り下ろした。真っ二つになる魔王モルグラッドの体。すぐにモルグラッドの体は膨大な量の魔法力を吐き出しながら空間と同化するように消えてしまった。
「あっ!」
俺たち三人の体も元の空間に戻った。目の前にはアンドアネルの街の風景が広がっている。元にいた大通りの一角に俺たちは帰ってきたのだった。
「終わった、のか?」
いまだ魔王を倒したことに実感が湧いてこない俺。いくら探しても魔王モルグラッドの姿は辺りにはない。確かに戦いは終わったのだ。俺たちは魔王に勝ったのだ。
「トーイチ!」
ふと、気がつくと俺の横には意識を取り戻したノルノとバムントさんが立っていた。
「トーイチ、おまえはついに魔王を倒したんだな!」
ノルノの声に俺は答える。
「ああ、たぶんそうだと思う」
「やったあああああ!」
俺に勢いよく飛びついてくるノルノ。バムントさんも、
「そうか、おまえは本当にたいしたものだな。良くやった、トーイチ!」
満面の笑みを俺に向けてくる。そんな二人の様子を見て俺はようやく実感が湧いてきた。俺は魔王を倒したんだと。
「お、おお、おおおおお!」
俺は叫ぶ。戦いに勝ったという喜び、死なずにすんだという安堵、ロネア様に対する祈りの気持ち、モルグラッドに対するある種の同情。様々な感情をふくんだ俺の声はアンドアネルの青い空に吸い込まれていったのだった。




