第28話 名前をつける気はなかったのに、旧式ゴーレムをロックと呼んでしまった
青い地脈の出口は、静かだった。
静かすぎた。
さっきまで赤い命令でできた中枢が崩れていた場所だ。
壁は剥がれ、床は割れ、嫌な言葉はほとんど消えている。
待機。
排除。
服従。
廃棄。
そういう単語の残りかすが、赤い火の粉みたいに漂っていた。
その奥に、青い脈動がある。
地面の下から、ゆっくり息をしているような光。
息はしない。
石も地脈も息はしない。
だが、そう見えた。
「ガルムさん」
リリアが、俺の隣で足を止めた。
声が少し乾いている。
それでも、白い光を手の中に残している。
「無理をするな」
俺は先に言った。
「まだ何も言っていません」
「言う前から分かる」
「では、言います」
「言うな」
「二十七号さんに、届くかもしれません」
やっぱり言った。
この聖女は、止めても止まらない。
止まらないくせに、自分が止まるべき時は分かっている顔をする。
信用できるのか、できないのか、非常に面倒だ。
ドルムは医療鞄を抱えていた。
中身は少し散らばったままだ。
それでも抱えている。
命令ではない。
もう、そう言っていい気がした。
「ドルム」
俺が呼ぶと、ドルムの核が青く揺れた。
「ここにいる」
「聞く前に答えるな」
リリアが少し笑った。
その笑いは弱い。
でも、ちゃんと笑いだった。
青い地脈の出口の向こうに、赤い糸が細く残っている。
中枢が崩れたせいで、ほとんどは切れた。
だが、全部ではない。
一本。
とても細い赤い糸が、遠くへ伸びている。
倉庫の方角。
二十七号の方角だ。
地脈出口で青く震えた核が、まだ完全には戻りきっていない。
赤い残りかすが、最後の棘みたいに引っかかっている。
「これか」
俺は言った。
「最後の残りかす」
「はい」
リリアが頷く。
「強い命令ではありません。けれど、核の奥に引っかかっています」
「引っかかるな」
言っても仕方ない。
相手は糸だ。
返事はない。
返事があったら、それはそれで嫌だ。
青い脈動が、ゆっくり揺れる。
そのたびに、赤い糸が震える。
糸の向こうで、二十七号の核が揺れている気がした。
見えない。
だが、分かる。
分かりたくないが、分かる。
「リリア」
「はい」
「深く入るな」
「はい」
「本当に入るな」
「はい」
「そのはいは」
俺はそこで止めた。
いつもの続きを言いそうになった。
信用できない、と。
だが、今はやめた。
リリアは俺を見た。
少し驚いた顔をした。
「……言わないんですか」
「非常時だ」
「そうですね」
リリアの白い光が、赤い糸へ伸びる。
細く。
慎重に。
地脈の青が、それを包むように揺れた。
「ガルムさん」
リリアが言った。
「一人では、届きません」
来た。
嫌な報告だ。
「誰が必要だ」
聞きたくないが聞いた。
「ガルムさんです」
やっぱり来た。
「俺は浄化できない」
「でも、二十七号さんは、ガルムさんを上位個体として見ています」
「その設定、まだ生きていたのか」
「はい」
「都合の悪い設定ほど長生きする」
リリアは少しだけ首を横に振った。
「命令ではなく、呼びかけとしてなら届くかもしれません」
「呼びかけ」
嫌な言葉だ。
呼べば、相手ができる。
相手ができれば、距離が縮む。
距離が縮むと、壊れた時に面倒になる。
俺はもう、その理屈を知っている。
知っているのに、ここまで来ている。
知識が役に立っていない。
「番号で呼べばいいだろ」
俺は言った。
「二十七号」
赤い糸が、かすかに震えた。
青にはならない。
遠くの核が、返事を迷ったような震え方をした。
迷った。
そう思ってしまった。
まずい。
「二十七号」
もう一度呼ぶ。
赤い糸が、わずかに揺れる。
だが、奥の青は弱い。
リリアが唇を結ぶ。
「届いています。でも、足りません」
「番号では足りないのか」
「たぶん」
「たぶんに給料を払う話、まだ保留中だぞ」
「今は払ってください」
リリアが珍しく言い返した。
強い。
非常時の聖女は本当に強い。
ドルムが赤い糸を見ている。
青い核が、静かに灯っている。
「番号……遠い」
ドルムが言った。
「名前……近い」
「お前までそういうことを言うのか」
「ここにいる」
「今それを万能の返事にするな」
ドルムは黙った。
だが、核の青は揺れない。
自分の場所に立っている光だった。
俺は赤い糸を見た。
その向こうに、倉庫がある。
二十七号がいる。
毛布がある。
子どもの声がある。
ばいばい、ロック。
あれは名前ではない。
子どもが勝手に言っただけだ。
俺は採用していない。
承認していない。
契約書にも書いていない。
だから違う。
違うはずだ。
「ガルムさん」
リリアが静かに言った。
「呼んでください」
「嫌だ」
即答した。
「嫌でいいです」
「いいのか」
「はい」
「嫌なのにやるのか」
「ガルムさん、いつもそうです」
やめろ。
正確に刺すな。
俺は青い地脈の出口に手をついた。
冷たい。
いや、冷たくはない。
でも、古い。
三百年より、もっと古い。
その奥で、何かの気配がよぎった気もした。
だが、今は確かめない。
赤い糸の向こうの方が先だ。
赤い糸が震える。
リリアの白い光が細くなる。
これ以上待つと、リリアが無理をする。
ドルムの青も揺れ始めている。
俺は口を開いた。
「おい」
赤い糸が止まる。
「ロック」
言ってしまった。
倉庫でもない。
子どもの前でもない。
地脈の出口で。
青い光の前で。
俺は、二十七号ではなく、ロックと呼んだ。
その瞬間、赤い糸が大きく震えた。
遠くで、核が鳴る気配がした。
ごん、ではない。
もっと小さい。
でも、確かに返事だった。
リリアの白い光が、赤い糸の結び目に届く。
ドルムの青が、その道を支える。
俺の声が、糸の向こうへ残る。
ロック。
呼びやすい。
だから危ない。
危ない名前だ。
そして、もう遅い。
「そっちは命令じゃない」
俺は言った。
「戻ってこい」
赤い糸が、ほどけた。
音はしなかった。
ただ、ほどけた。
赤い火の粉が青い脈動に吸い込まれ、白い光に洗われて消える。
遠くで、二十七号の核が青く灯った。
今度は分かった。
完全に。
赤ではない。
青だ。
リリアが息をのむ。
ドルムの核が明るくなる。
俺は動かなかった。
動けなかったのではない。
少し、動きたくなかった。
「届きました」
リリアが言った。
「ロックさんに」
「さんをつけるな」
「はい」
「いや、今のは違う。名前を認めたわけでは」
リリアがこちらを見る。
ドルムも見る。
青い地脈まで見ている気がする。
見るな。
全員で見るな。
「……認めたわけではない」
俺は小さく言った。
声が弱い。
非常に弱い。
リリアは何も言わなかった。
笑わなかった。
ただ、少しだけ目を細めた。
それが一番困る。
「戻るぞ」
俺は言った。
「倉庫の確認だ。保護対象の状態確認だ。業務だ」
「はい」
「業務だぞ」
「はい」
「返事が優しいな」
「はい」
「やめろ」
青い地脈の出口が、静かに脈打つ。
俺たちは崩れた中枢を抜け、谷へ戻った。
赤い柱は消えていた。
谷底の旧式たちは、動きを止めている。
倒れているものもいる。
座り込んでいるように見えるものもいる。
完全に壊れた残骸もある。
救えなかった一体の場所には、赤い光も青い光もない。
俺はそこを見た。
見てしまった。
何も言わなかった。
リリアも、何も言わなかった。
ただ、小さく頭を下げた。
ドルムも、医療鞄を抱えたまま、核を少し伏せるように光らせた。
全部は救えない。
その事実は、消えない。
だが、全部を諦める理由にもならない。
面倒な話だ。
非常に面倒だ。
谷を出ると、街側から騎士の声が聞こえた。
「旧式停止!」
「赤い鎖、消えました!」
「倉庫の二十七号、核が青に!」
二十七号。
いや。
ロック。
言い直しそうになって、俺は口を閉じた。
今はまだ、俺の中で処理中だ。
処理に時間がかかる。
契約書より厄介だ。
東門へ戻ると、倉庫の前に人だかりができていた。
騎士。
アルダ。
バルグ。
子どもたち。
やめろ。
子どもたちはなぜいる。
「下がれと言ったはずだ」
俺が言うと、子どもの一人が胸を張った。
「もう終わったって聞いた!」
「終わったと聞いて近づくな。終わっていない場合がある」
「でも、ロック光った!」
また言った。
自然に。
俺より自然に。
ロック。
倉庫の中を見る。
二十七号は横たわっていた。
欠けた肩の近くに、毛布がある。
核は青く灯っている。
静かで。
はっきりしていて。
第七城門で見た青とも、地脈の青とも違う。
自分で戻ってきた青だ。
リリアがそばに膝をつく。
「ロックさん」
「さんをつけるな」
今度は、言い直せなかった。
アルダが俺を見た。
「名前が決まったのか」
「決まってない」
「そうか」
「なぜ今、納得した」
「決まっていない名前を、皆が同じように呼ぶこともある」
「それは決まっていると言うんじゃないのか」
アルダは黙った。
その沈黙はずるい。
バルグが倉庫の入口で青く光った。
「旧式二十七号、識別名、ロック」
「登録するな」
バルグは一瞬止まった。
「保護対象、ロック」
「早い!」
子どもたちが笑った。
リリアも笑った。
ドルムも、核を青く揺らした。
ロックの核が、それに応えるように青くまたたいた。
俺は天井を見た。
倉庫の天井だ。
俺の待機室だった場所の天井だ。
もう完全に待機室ではない。
保護室。
いや、保護区の最初の場所。
たぶん、そうなる。
嫌な予感は当たる。
「アルダ」
俺は言った。
「この倉庫、もう俺の待機室じゃないな」
「すまん」
「謝るな。謝ると決定する」
「では、正式に提案する」
「やめろ」
アルダは真面目な顔をした。
「旧式ゴーレム保護区を、東門脇から始めたい。ここを一時保護室にし、廃棄場の旧式のうち動ける個体を順に移す」
「やっぱり仕事が増える話だった」
「必要だ」
必要。
またそれだ。
契約書より強い言葉。
アルダが石板を取り出した。
「この保護区の個体は、討伐対象ではなく、保護対象として記録する」
俺は少し黙った。
記録。
ゼルギオも、その言葉を使っていた。
胸元に在庫票をぶら下げ、どの個体から何が取れるかを数えていた。
同じ、記録という言葉だ。
なのに、アルダの石板に並ぶのは、番号ではなく、守る理由らしい。
「……記録するな、と言いたいところだが」
俺は言った。
「今回は、少しだけ言いにくい」
アルダは何も言わず、石板に短く何かを書いた。
在庫票ではなかった。
俺はロックを見た。
青い核。
毛布。
その横にいるリリア。
医療鞄を抱えたドルム。
入口で大きすぎるバルグ。
外で泥だらけの騎士たち。
笑っている子どもたち。
そして、倉庫の隅に置かれた俺の待機用の石台。
石台の上には、誰かが小さな札を置いていた。
旧式ゴーレム保護室。
下に、小さく。
ガルム待機場所、暫定移動予定。
「俺の場所が暫定になっている」
俺は言った。
「ひどい」
リリアが笑う。
「ガルムさん」
「なんだ」
「ありがとうございます」
礼を言うな。
そう言おうとした。
いつものように。
だが、ロックの核が青く灯っている。
ドルムがここにいる。
リリアは立っている。
街は壊れていない。
礼を言われる理由が、少しだけある気がした。
「……業務上の結果だ」
俺は言った。
「はい」
「納得するな」
「はい」
やっぱり言ってしまった。
まあいい。
少しくらいは、いつもの方が落ち着く。
アルダが咳払いした。
「それと、ガルム殿」
「まだあるのか」
「腕の修理が必要だ」
俺は自分の腕を見た。
中枢で削れた外殻が、かなり欠けている。
動く。
だが、見た目はひどい。
リリアの顔がすぐに真剣になる。
「手当てします」
「石だぞ」
「磨きます」
最初に追放された時と同じ言葉だった。
俺は少し黙った。
あの時は、俺はただの旧式だった。
捨てられて、磨かれて、起きた。
今は。
今は、なんだ。
門番か。
壁か。
保護区の仮責任者か。
全部嫌だ。
「……軽くでいい」
俺は言った。
リリアが微笑んだ。
「はい」
ドルムが医療鞄を差し出す。
「布……ある」
「お前も準備するな」
ドルムの核が青く揺れる。
ロックの核も青く揺れる。
バルグが外で低く言った。
「保護区、防衛配置」
俺は文句を言いかけた。
だが、倉庫の中の青い光を見て、やめた。
子どもが倉庫の外から手を振る。
「ロック、またね!」
倉庫の中で、青い核が小さくまたたいた。
俺は何も言わなかった。
否定もしなかった。
それが一番まずかった。
その夜。
東門脇の倉庫には、青い光があった。
俺。
ドルム。
ロック。
外には、でかすぎるバルグの青もある。
四つか。
数えると面倒だ。
でも、赤ではない。
それだけで、今日は十分だった。
ここまでお読み頂きありがとうございました!楽しんで頂けていたら幸いです!




