第14話 守護者契約書にサインした瞬間、同型ゴーレムが俺を探して歩いてきた
砦に朝の鐘が鳴るようになった。
魔王軍第七城門では、鐘はだいたい悪い知らせだった。
出撃命令。
敵襲警報。
点検集合。
上官の気まぐれな朝礼。
どれも労働者の核に悪い。
だが、この砦の鐘は少し違う。
朝だ。
飯だ。
門を開けるぞ。
誰かが帰ってくるぞ。
そんな感じで鳴る。
俺が立っている門も、いつの間にか「魔王軍の前線」ではなく、「誰かが帰ってくる場所」みたいな顔をしている。
気に入らない。
そういう場所には、だいたい仕事が増える。
「ガルムさん」
背後から声がした。
リリアだ。
白い外套をまとった聖女は、今日も妙に朝日に似合っていた。
やめてほしい。
朝日に似合う者が近くにいると、こちらの苔とひび割れが余計に目立つ。
「なんだ」
「契約書ができました」
「破棄しろ」
俺は即答した。
リリアは両手で羊皮紙の束を抱えている。
分厚い。
嫌な厚みだ。
「まだ内容も読んでいません」
「契約書という単語だけで危険物だと判断した」
「アルダさんも確認済みです」
「包囲が早い」
そこへ、銀鎧の騎士団長アルダがやってきた。
手には別の書類。
やめろ。
紙を二方向から持ってくるな。
包囲戦か。
「ガルム殿。これは必要なものだ」
「俺は必要ないと思う」
「貴殿の立場を守るための契約だ」
「立場より昼寝場所を守ってくれ」
「それも項目に入っている」
俺は一瞬黙った。
「……何?」
アルダは真面目な顔で羊皮紙をめくった。
「休息場所の確保。定期整備の実施。無断解体の禁止。部品取りの禁止。魔王軍への無断引き渡しの禁止。契約外労働の制限」
「待て。今、かなり重要な単語が混じっていた」
「部品取りの禁止か」
「そうだ。なぜ俺の人生に、部品取り禁止条項が必要なんだ」
「必要だからだ」
「必要だから入った、という説明は説明ではない」
リリアがそっと書類を差し出した。
「ガルムさんが、ここにいていいと明文化するものです」
その言い方は、ずるい。
俺は文句を言うために口を開いた。
開いたが、返事が一拍遅れた。
ここにいていい。
書類の上の言葉なら、ただの文字だ。
だがリリアが言うと、妙に重い。
魔王軍の除籍通知にも、俺の名前は書いてあった。
旧式ゴーレム・ガルム。
老朽化。
戦力外。
廃棄。
あの時も書類だった。
今日も書類だ。
同じ紙のくせに、内容が違いすぎる。
紙にも性格があるのかもしれない。
嫌な発見だ。
「……内容を読め」
「はい」
リリアがうなずいた。
逃げ道が一枚ずつ封鎖されていく音がする。
「エルド門街および砦における臨時守護者契約書」
「題名から重い」
「第一項。対象者、旧式ゴーレム・ガルムを、魔王軍所属兵器ではなく、独立した意思を持つ協力者として扱う」
「独立した意思はある。主に休みたいという意思だ」
「第二項および第三項。本人の同意なき解体、売却、部品取り、魔王軍への引き渡しを禁じる。また、過度な命令、危険な単独任務、契約外の長時間労働を課してはならない」
「俺の人生、ついに部品取り禁止と契約外労働禁止が同じ項目に並ぶ段階まで来たのか」
「大事なことです」
リリアは真顔だった。
真顔で言われると、こちらがふざけているみたいになる。
ふざけているのは俺ではない。
世界の方だ。
アルダが咳払いをした。
「これは貴殿だけでなく、砦側の義務も明確にするものだ」
「義務という単語は重い。俺の関節にも悪い」
「貴殿を守るための重さだ」
そう真面目に言われると、文句の置き場に困る。
リリアが次の項目を指で示した。
「第四項。対象者の休息場所として、東門脇の石造り倉庫を改修し、専用待機室とする」
「待て。専用待機室?」
「はい。雨風を避けられます。床も補強しました。ガルムさんが横になっても崩れません」
「俺が横になる前提で床を補強するな。俺が重いみたいだろ」
「重いです」
アルダが即答した。
「石だからな」
「石扱いするな。いや、石だが」
リリアが小さく笑った。
俺は目の青い光をそらす。
専用待機室。
響きだけなら悪くない。
いや、悪い。
こういうものを受け取ると、居着いたみたいになる。
居着いたら、出ていく時に面倒だ。
「第五項。対象者は、エルド門街および砦に重大な危険が迫った場合、可能な範囲で防衛協力を行う」
「来た。本性を現したな」
「可能な範囲で、です」
「可能な範囲という言葉は信用できない。昔、魔王軍で『可能な範囲で魔獣の餌やりも頼む』と言われた。気づいたら魔獣小屋の清掃までやっていた」
「それは大変でしたね」
「大変だった。魔獣の方が上官より礼儀正しかった」
リリアが書類の最後を示した。
「最後に、署名です」
「署名」
嫌な単語だ。
契約書は、読むだけならまだ逃げられる。
署名した瞬間、石の足首に見えない鎖がつく。
「ガルムさんのお名前を、ここに」
「俺の字は汚いぞ」
「大丈夫です」
「魔王軍では石くずの字と呼ばれていた」
「ここでは、ゆっくり書いてください」
俺は契約書の前に立った。
机が用意されている。
ご丁寧に、石の指でも使える太い筆まである。
準備が良すぎる。
逃走経路を先に潰された気分だ。
「書くぞ」
「はい」
「後で、やっぱり守護神契約でした、とか言うなよ」
「守護者です」
「似ている」
「違います」
リリアは静かに言った。
こういう時のリリアは強い。
やわらかい声なのに、岩に水が染み込むみたいに逃げ道をふさいでくる。
俺は筆を持った。
石の指は細かい作業に向いていない。
筆先が震える。
いや、震えてはいない。
古代ゴーレム特有の微細な姿勢制御ということにしておく。
ガ。
ル。
ム。
三文字。
たった三文字なのに、やけに時間がかかった。
最後のムが少し潰れた。
まあ、俺らしい。
「……これでいいのか」
リリアが契約書を見た。
「はい」
「笑うなよ」
「笑っていません」
「口元が少し動いた」
「嬉しかっただけです」
「書類に優しくするな。紙がつけあがる」
リリアは契約書を胸に抱えた。
まるで大切なものみたいに。
俺は目をそらした。
紙だぞ。
紙にそんな顔をするな。
こっちの内部構造が落ち着かない。
「ガルム殿」
アルダが右手を差し出した。
「これからも、よろしく頼む」
「重い」
「握手だ」
「業務の受け渡しに見える」
「握手だ」
俺は仕方なく、石の手を出した。
握手が終わった瞬間だった。
砦の外壁上から、見張りの声が落ちてきた。
「東の旧遺跡方面に反応!」
朝の空気が、一瞬で変わった。
鐘が鳴る。
今度の鐘は、朝の鐘ではない。
警戒の鐘だった。
やっぱり鐘は悪い知らせを運ぶ。
俺の経験は正しかった。
「状況を報告しろ!」
アルダが叫ぶ。
「旧遺跡の地脈出口付近から、大型のゴーレムが接近中! 岩石外殻、推定身長はガルム殿より二回り以上大きい!」
「比較対象に俺を使うな」
俺は思わず言った。
誰も聞いていない。
「敵性反応は?」
「不明! ただし、核と思われる部分から青い光!」
青い光。
その言葉に、胸の奥で何かがずれた。
同じ石。
同じ核。
同じ古い命令の残り香。
分からん。
分からんが、面倒だけは分かる。
「魔王軍の新型ではなさそうだな」
アルダが低く言った。
「旧式に見えるが、規模が違う。ガルム殿、心当たりは」
「ない」
「即答だな」
「心当たりがあったら業務が発生する」
「発生する前提で話すな」
リリアが契約書をそっと畳んだ。
「確認に行きましょう」
「待て。なぜ自然に行く流れになった」
「危険かどうか、見極める必要があります」
「遠くから見極めればいい。高い塔とか、安全な部屋とか、俺の専用待機室とか」
「待機室はまだ鍵を渡していません」
「今渡せ。緊急避難だ」
アルダが外壁へ向かって歩き出した。
リリアも続く。
俺はその場に残った。
残ろうとした。
行かない理由なら、いくらでもあった。
契約直後だ。
説明も受けていない。
相手はでかい。
俺よりでかい。
そこが一番気に入らない。
覚えがない仕事ほど、あとから請求書が来る。
だが、門の下で子どもが母親の袖を握っていた。
商人が荷車を止めている。
修理中の門扉は、まだ完全には閉まらない。
俺の足だけが、先に一段動いた。
「……誰が動けと言った」
俺は自分の足に文句を言った。
足は返事をしない。
石の足は頑固だ。
外壁に上ると、東の荒野が見えた。
朝の光の向こう。
旧遺跡の黒い影。
その手前に、何かが歩いていた。
でかい。
岩の塊だ。
だが、ただの岩ではない。
ずんぐりした体。
厚い腕。
胸の中心に、割れ目。
そこから青い光が漏れている。
俺の光に似ていた。
嫌なほど似ていた。
ただし、俺よりずっとでかい。
職場に大型新人が来た時の圧に近い。
新人なら見たことはある。
同じ顔で、俺よりでかい新人は初めてだ。
あってたまるか。
「止まる様子は?」
アルダが問う。
「ありません! 同じ言葉を繰り返しています!」
風に乗って、低い声が届いた。
石をこすったような声。
古い。
重い。
聞き覚えがあるような、ないような。
「ガルム……探索……開始……」
俺は黙った。
リリアが息をのむ。
アルダが俺を見る。
騎士たちも俺を見る。
やめろ。
一斉に見るな。
視線で業務を発注するな。
「ガルム……探索……開始……」
大型ゴーレムは、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。
一歩ごとに、地面が揺れた。
門の上の騎士が弩を構える。
アルダが手で制した。
「まだ撃つな」
正しい判断だ。
撃ったらどうなるか分からない。
撃たなくても、すでに面倒だが。
「ガルムさん」
リリアが静かに言った。
「知っている方ですか?」
「知らん。だが、向こうは俺を知っているらしい」
「どうしますか」
「どうもしない」
俺は胸を張った。
「俺はついさっき契約書に署名したばかりだ。労働開始前の説明も受けていない。業務範囲も未確認。よって、これは勤務外だ」
リリアは少しだけ首を傾げた。
「でも契約書には、重大な危険が迫った場合は可能な範囲で防衛協力、と」
「読むな。契約書を武器にするな」
アルダが真面目な顔で言った。
「ガルム殿。あのゴーレムは、貴殿を探している。そして、このまま来れば門に到達する」
「どちらも見れば分かる」
「対応を」
「俺に振るな」
そう言った瞬間、大型ゴーレムが立ち止まった。
距離はまだある。
だが、その胸の青い光が強くなった。
そして、はっきりと声が響いた。
「ガルム……確認……」
俺の核が、今度こそ鳴った。
こつん、ではない。
ごん、に近い。
内部で誰かが石を叩いたような音。
俺は腹立たしさをごまかすために、門の縁を指で叩いた。
「……なあ、リリア」
「はい」
「契約書に、同型ゴーレム対応手当は」
「ありません」
「追加しろ。今すぐだ」
リリアは困ったように笑った。
「まずは、お話を聞いてからにしましょう」
「話が通じる相手に見えるか?」
「ガルムさんも、最初はそう思われていました」
それを言われると弱い。
あの時、リリアは俺を魔王軍の兵器ではなく、ガルムと呼んだ。
石くずではなく。
旧式ではなく。
名前で。
だから今、俺はこの門の上に立っている。
非常に不本意だ。
本当に不本意だ。
「ガルム……探索……完了……」
大型ゴーレムが、また一歩踏み出した。
その声に、古い命令の残り香が混じっている。
敵意は薄い。
だが、質量が濃い。
「アルダ」
「何だ」
「撃つな。たぶん壊す相手じゃない」
アルダがわずかに目を見開いた。
リリアも俺を見る。
俺は慌てて付け加えた。
「勘違いするな。壊したら修理費と報告書が増えるだけだ」
「はい」
リリアがうなずく。
その返事が、やけにやさしい。
「分かっています」
「分かるな。そこは疑え」
俺は門の階段を降り始めた。
一段降りるたびに、契約書の厚みを背中に感じる。
いや、契約書はリリアが持っている。
つまりこれは気分の問題だ。
気分の問題は、だいたい厄介だ。
門前に出る。
朝の風が、砂を運んでくる。
大型ゴーレムは、こちらを見ていた。
岩の顔には表情がない。
だが、胸の青い光だけが、ゆっくりとまたたいている。
同じ石の気配。
古い命令の残り香。
俺に似ているのに、俺よりずっと重い何か。
そういうものが、頭の中に勝手に並ぶ。
並ぶな。
誰も頼んでいない。
「止まれ」
俺は声を出した。
大型ゴーレムの足が止まる。
本当に止まった。
やめろ。
俺の言葉で止まるな。
仕事が濃くなる。
大型ゴーレムの胸が光った。
「ガルム……識別」
「識別するな」
「上位個体……照合中」
「上位にするな」
「指示を」
「俺に振るな」
背後で、リリアが小さく息をのんだ。
アルダの鎧が鳴る。
門の上の騎士たちは、弩を構えたまま固まっている。
街の方から、誰かが「ガルム様」とつぶやく声がした。
俺は聞こえなかったことにした。
様を訂正する余裕までない。
大型ゴーレムは、静かに俺を見下ろしていた。
いや、見下ろすな。
身長差が腹立つ。
「識別名……バルグ……」
低い声が響いた。
「神鉱守護兵……同型支援機……」
「支援機」
俺は復唱した。
嫌な響きだ。
支援されると、仕事が増える。
「ガルム……探索……完了」
バルグと名乗った大型ゴーレムは、ゆっくりと片膝をついた。
地面が揺れた。
砂埃が上がった。
俺は一歩下がった。
反射だ。
逃げたわけではない。
反射だ。
「指示を」
「だから俺に振るな」
俺は門の上を見た。
アルダは黙っていた。
リリアも黙っていた。
騎士も、街の人も、子どもも黙っていた。
沈黙が重い。
視線より重い。
全員が何も言わないせいで、俺が何か言わなければいけない空気になっている。
沈黙で発注するな。
「……リリア」
「はい」
「契約書に不備がある」
「どこですか?」
「同型巨大ゴーレムが徒歩で業務を持ってきた場合の項目がない」
「追記します」
「するな。認めたことになる」
バルグは俺を見たまま、動かない。
青い光が、静かにまたたく。
壊す相手ではない。
敵ではない。
だが、面倒だ。
ひどく面倒だ。
俺は頭を抱えた。
石の手が、ごつんと額に当たる。
痛くはない。
気分は痛い。
「書類に署名した瞬間」
俺はつぶやいた。
「責任が歩いてきたんだが?」
リリアが、ほんの少しだけ笑った。
「ガルムさん」
「なんだ」
「まずは、お話を聞きましょう」
「話が通じるといいな」
「きっと通じます」
俺はバルグを見上げた。
「おい、バルグ」
「指示を」
「その返事をやめろ。まずそこからだ」
「了解」
少しだけ安心した。
だが、次の瞬間。
バルグは言った。
「ガルム、指示を」
「戻った!」
門の上で、誰かが吹き出した。
リリアも口元を押さえている。
俺は空を見上げた。
朝の鐘は、もう鳴り止んでいた。
だが、俺の中では別の鐘が鳴っている。
仕事開始の鐘だ。
最悪だ。
本当に、最悪だ。
でも。
バルグの青い光は、どこか不安定に揺れていた。
古い命令に引っ張られながら、それでも誰かを探してここまで歩いてきた光。
俺はそれを見てしまった。
見てしまった以上、知らないふりをするのは難しい。
ああ、もう。
やってらんねえ。
「分かった」
俺は言った。
「ただし、俺は上司じゃない。守護神でもない。重そうな役職も認めん」
「了解」
「あと、指示ではない。確認だ」
「了解。確認を指示として受理」
「受理するな!」
俺の叫びが、朝の門前に響いた。
その声を聞いて、街の人々が少しだけ笑う。
バルグは動かない。
リリアは契約書を胸に抱えたまま、こちらを見ている。
俺は、ついさっき書いた自分の名前を思い出した。
ガルム。
石くずではなく。
旧式ではなく。
廃棄物ではなく。
名前。
紙の上に書いた三文字が、妙に重い。
そして今、その名前を呼んで歩いてきた巨大な面倒が、俺の目の前で片膝をついている。
「……契約書」
俺は低く言った。
「はい」
リリアが返事をする。
「同型ゴーレム対応手当を入れておけ」
「……項目名が長いですね」
「今来たやつの方がでかい」
バルグの青い光が、またひとつ瞬いた。
俺の退職後生活は、やはり静かにならないらしい。




