流れ着く
「その店はこの辺りにはありませんよ」
この言葉を言うのは何度目だろうか。そんなことを考えながら、首を傾げながら店を出ていく女性の後ろ姿を見送った。
さっきまで昼食を買いに来た客で賑わっていた店内は落ち着き、いつの間にか一人になっていた。店長は事務所に入ったきり出てくる様子もない。普段、夜勤で一人の時間には慣れていたが、昼のコンビニでの一人の時間は落ち着かない。店内にはラジオの乾いた音が響いている。ぼんやりとレジを眺めながらたばこの品出しでもしようかと考えていた時、自動ドアの開く音と入店音がきこえ反射的に「いらっしゃいませ」と掠れた声を出した。
「あれ、珍しいね」
聞き覚えのある声の方を見ると、開いた自動ドアから水色のパーカーを着た若い男が目を丸くしてレジにまっすぐ向かってきた。
「今日は明るい時間にいるんだね」
水島は幼さの残った笑顔を向けながらカウンターの前に立った。
「人が足りないんだよ」ため息交じりに言いながら、横目で事務所の中を伺う。店長は休憩に入ったようでパソコンの前の机にうつぶせになっている。
「大変だねえ」水島は間延びした声で言った。
その時、再び入店音が響き、黄色い半袖シャツを着た若い女性が携帯を片手にレジに向かってまっすぐ歩いてきた。反射的に「いらっしゃいませ」と口に出し、水島はさっとレジから離れ、商品棚の奥へ消えていく。
「すみません、道を尋ねたいんですけれど」
レジの前に立った女性は、携帯の画面に視線を向けたまま話し出した。
「このかき氷屋さんへの行き方を教えていただきたいんですけど」そう言って見せられた携帯の画面を見て顔を歪めてしまった。そこには赤いかき氷が写っていた。イチゴと思われるシロップのかけられた氷の周りには白玉や苺、ウサギ型に切られたリンゴがのっている。それらをのせた茶碗には子どもが黒いマジックペンで描いたような河童の絵が刻印されている。
「その店はこの辺りにはありませんよ」
本日二度目となる言いなれた言葉を出すと、女性は驚いたように顔を上げた。
「閉店しちゃったんですか」
「もともとそのような店はありませんでしたよ」
眉を下げていた女性は少しずつ怪訝な顔になる。
「一年前、行ったんですよ。この写真はその時のもので、駅から降りてまっすぐ歩いた先に」
女性は自分の記憶を手探るように話す。
「トンネルを抜けた先に大きな川があって、その川辺に河童の絵の看板のかき氷屋さんが。店名は出ていなくて調べようにも調べれれなくて」
女性の声はだんだんと小さくなっていく。
「この町にかき氷屋さんどころか、川もありませんよ」
できるだけ優しい口調になるように言うと、女性は一瞬驚いたような表情をしたがすぐに悲しそうに眉と携帯を持つ手を下げた。
「すみません、ありがとうございました」と沈んだ声で言って女性は両手で携帯を大切そうに握りながら店を出て行った。それと同時に水島が紙パックのりんごジュースをカウンターに置いた。
「難しい顔してるね」
水島は軽やかな声で言う。
「最近、よく道を訊かれるんだよ」
ひんやりと冷えた紙パックを手にとりスキャンする。
「川辺にあるかき氷屋への行き方を訊かれるんだけど、この町に川もかき氷やもないでしょ。それなのに、たまに訊かれるんだよ。みんな、同じかき氷の写真を持って、店の名前は分からない、前に一度行ったって言う」
水島は会計丁度の小銭を手渡しながら「それって、河童の絵が描かれていない?」と涼しげに言った。
「俺言ったっけ」
首を傾げると、水島は小さく頭を振った。
「俺も行ったことあるから。そのかき氷屋さん」
「ってことは本当にあるのか」焦って少し早口になる。
「高校生の時、俺が神隠しにあったときがあったでしょ」
水島は何気なく言うが、長期間の家出だ。水島の父親も先生たちも必死になって探していたが、手掛かりすら見つからず結局自分からひょっこりと帰ってきたのだ。それを当時の同級生が「神隠しにあったんだ」と周りに言っていたのだ。
「その時に行ったんだよ。河童のお店」
相変わらず軽やかな水島の声に嘘は感じられない。
「あの時、ずっとこの町にいたんだよ。あ、宇井とも夜に踏切で会ったよね」
確か、そんな夜があったような気もする。当時は行方不明の同級生を心配するほどの余裕はなかった。
「その時、確かに川があってね、かき氷屋さん以外にもいろんな店があったんだよ。今はもう見えないけど」
水島の頬が緩む。追いついてはいないが、なんとなく水島の言っていることは分かった。
「じゃあ、前に一度行ったと言いながら道を尋ねてくる人は、みんなお前と同じように神隠しにあった人ってことか」
「多分、そうなんじゃないかなあ」と曖昧な気に抜けた返事をする水島に、苦笑しながらも疑問が口を衝く。
「この町に来たことがなさそうな人たちだったけど、神隠しにあっているならこの駅にまでたどり着けていないんじゃない?」
「きっと流れ着いた人たちだったんだよ」
水島はきっぱりと言った。
「日常から逃げ出したいときに何も考えずに電車に乗ってこの町に来たんじゃないかな」
今まで道を尋ねてきた人を思い返すとみんな一人だった。かき氷も一人分。そしてこの町にある駅は終点。始発の都心部にある大きな駅と違い、静かすぎる町だ。
「自分の知らない町なんだから、その土地の違いに気付くことはできないでしょ。それに自分を知っている人がいない土地で神隠しにあったのなら、誰も気付かない。自分でもね」
水島は紙パックのリンゴジュースをパーカーのポケットに入れ「じゃ、またね」と涼しげに言って音もなく店を出て行った。
残された店内ではラジオの音が響き、事務所からは椅子の軋む音が聞こえる。




